宮城学院の校歌は、本学 音楽科の創設者のケート・I・ハンセン先生が作曲し、土井晩翠先生が作詞したものです。
ハンセン先生は1907(明治40)年9月~1951(昭和26)年1月まで、途中不幸な第2次世界大戦中に帰国を余儀なくされましたが、宮城女学校・宮城学院で40年の長きにわたり教鞭をとりました。当時、国内には東京音楽学校(現・東京芸術大学)と神戸女学校(現・神戸女学院大学)しか音楽専門学校がなかった1916(大正5)年に、音楽教師養成を目的にした3年間の音楽専攻科を開設し、多くの卒業生を全国のキリスト教学校の音楽教師として送り出しました。当時、ヨナ抜き音階(5音音階)しか知らなかった日本人に7音音階を教え、ソルフェージュの授業も、どこの音楽学校よりも早く大正時代から取り入れ、日本の音楽教育の進歩発展と西洋音楽の普及に多大な貢献を果たしました。讃美歌1954年版289番は、ハンセン先生が作曲したものです。
土井晩翠先生は、滝廉太郎の「荒城の月」の作詞者としてつとに知られた詩人・英文学者です。先生とご一家は、とりわけ宮城女学校との深いかかわりを持ち続けられました。土井林吉として母校二高の教授を務めるかたわら、1915(大正4)年4月~1924(大正13)年12月までの9年間にわたり、宮城女学校専攻科で英文学講師を務めました。1921(大正10)年6月に創刊された文学会雑誌「橄欖」には、創刊号から第8号まで、土井先生ご自身が毎回巻頭に創作詩を寄稿しました。校歌の歌詞は短いものですが、実に豊かな聖書的イメージを宿しており、土井先生が聖書の御言葉に深く沈潜しつつ、一言ひとことを紡ぎだした渾身の一作と言えます。
歌詞のどこにも校名は出てきていません。理由は、そもそもこの歌が校歌として作詞されたものではなく、キリスト教女子青年会(YWCA)の歌として作詞されたものだったからです。その歌を、宮城女学校が創立50周年を迎えた1936(昭和11)年に、あらためて校歌として正式に制定したのです。
作詞:土井晩翠
作曲:ケート・I・ハンセン(音楽科元教授)
演奏:宮城学院女子大学 音楽科学生
1.
天にみさかえ 地に平和
ひとにみめぐみ あけくれに
祈る尊き み教えの
光をあおぐ 姉妹
2.
ああ曙よ 光明よ
春よ 望と愛と信
嵐も雨も むらくもも
我には示す 明日の晴
3.
わが名にしおう 宮城野の
錦の郷に 日々に織る
あやを 心によそいつつ
聖なるわざに いそしむ身
4.
鳩のやさしみ 清浄の
操みどりの 橄欖の
色はとこしえ 人の世に
神のほまれを あらわさん
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