凡ての造られしものに福音を

~1870(明治3)年 プロテスタントの日本伝道

1747(延享4)年 「北米合衆国ドイツ改革派教会」(1869年に「合衆国改革派教会」
と改称):所謂「ジャーマン・リフォームド」創立
1838(天保9)年 「北米合衆国ドイツ改革派教会」(「合衆国改革派教会」)、外国伝道局を創設
1841(天保12)年 イギリス・スコットランドのエディンバラ市に「エディンバラ外国医療援助会」
(1843年に「エディンバラ医療伝道会」と改称)創立
1848(弘化5)年
1月22日
T・A・パーム、祖父並びに父の伝道地セイロン(現スリランカ)の
コロンボに生まれる
1850年1月17日
(嘉永2)年
12月5日
橋本熊三郎(のちの押川方義)、伊予国松山藩久松侯藩士橋本宅次昌之の三男として生まれる
1854年
(嘉永7年3月3日)
幕府、ペリーと「日米和親条約」を締結調印
1857(安政4)年 橋本熊三郎、押川方至作右衛門の養子となり押川方義となのる
1858(安政5)年 吉田亀太郎、陸中国花巻に生まれる。この年「日米修好通商条約」締結調印
1859(安成6)年 「米国長老教会」のJ・C・ヘボン、「米国改革派教会」(「米国オランダ改革派教会」:所謂「ダッチ・リフォームド」)のS・R・ブラウン、G・H・フルベッキ来日
1861(文久元)年 「米国改革派教会」(「米国オランダ改革派教会」:所謂「ダッチ・リフォームド」)のJ・H・バラ来日
1864(元治元)年 幕府はS・R・ブラウンとJ・H・バラに横浜居留地167番を外国人礼拝所建築敷地として下附
1866(慶応2)年 「北米合衆国ドイツ改革派教会」(「合衆国改革派教会」:所謂「ジャーマン・リフォームド」)、独自に外国伝道開始の方針決定
1869(明治2)年 押川,松山藩の選抜により上京し、箕作秋坪の「箕作塾三叉学舎」に入塾
1870(明治3)年 「貢進生」の制度が布かれ、押川、「貢進生」となり、開成学校(「大学南校」、のちの 「東京帝国大学」)に学ぶ。(翌年、廃藩置県とともに「貢進生」の制度廃止)
吉田亀太郎、両親と共に石巻に移り住む

神のみ 奇しき事跡

~1871(明治4)年 ~1878(明治11)年 パーム・押川・吉田の出会い

1871(明治4)年 押川、横浜の「修文館」に移る
J・H・バラ、横浜居留地167番の小会堂で押川方義、本多庸一、植村正久ら達青年を教える、所謂「バラ塾」
1872年3月9日(明治5)年1月1日 日本人による最初の祈祷会 がバラの指導のもとに始まる。祈祷会は連日続けられたが、1872年3月10日(明治5年2月2日)、日曜日の午後、押川方義ら「バラ塾」青年中9名、バ ラから受洗。
この日、既に他所で受洗していた2名を加えた11名により我国最初のプロテスタント教会である「横浜公会」(「日本基督公会」)創立。
バラ、 仮牧師となる
1873(明治6)年 吉田亀太郎、上京して築地新港町の化学研究所で石油精製方法研究に従事す
「合衆国改革派教会」外国伝道局、日本伝道方針決定
S・R・ブラウン、横浜山手211番に「ブラウン塾」開設。押川方義、植村正久、井深梶之助、藤生金六、山本秀煌、雨森信成など「ブラウン塾」生となる
4月15日 「エディンバラ医療伝道会」、日本伝道を決定し、日本派遣最初の宣教医師としてT ・A・パームを選任
1874(明治7)年
5月15日
T・A・パーム夫妻来日
1875(明治8)年
1月19日
パーム夫人メアリー、出産後三日目のこの日、に逝去。初産の女児も1月28日に逝去。
4月9日 新潟伝道を決意したパームは東京を発ち、4月15日に新潟到着、医療伝道開始パーム、横浜のブラウンに協力者派遣を要請。
ブラウンからこの要請を知らされたバラは祈祷会の席上で「ブラウン塾」生達に新潟伝道応援のための献身者を募る。
誰一人応ずる者無き中で「横浜公会」長老の押川方義これに応ず吉田亀太郎、石油精製事業のため新潟へ向かい、12月中旬、中條町到着
12月21日 「横浜公会」(現・「日本基督教会横浜海岸教会」)長老押川方義、横浜を出発、新潟のパームのもとへ向う
1876(明治9)年
1月3日
押川、新潟のパームのもとに到着
「合衆国改革派教会」(「ジャーマン・リフォームド」)、「米国改革派教会」(「ダッチ・リフォームド」)と提携して外国伝道を行うことを決定
1877(明治10)年
10月3日
「日本基督公会」、「日本長老公会」合同により「日本基督一致教会」組織
吉田亀太郎、パーム並びに押川による伝道説教で福音に接す
1878(明治11)年
9月30日
「合衆国改革派教会」、日本宣教事業に着手のためA・D・グリングを日本派遣
最初の宣教師として選任
11月5日 吉田、新潟でパームから受洗

我は福音を恥とせず

~1879(明治12)年 ~1885(明治18)年 開校への胎動

1879
(明治12)年
6月1日
グリング夫妻横浜着、「合衆国改革派教会在日宣教師社団」(「ジャパン・ミッション」)創立
吉田亀太郎、吉田の両親の住む石巻および東北地方各地を巡回し、東北地方伝道の必要性をパームと押川に報告
1880
(明治13)年
8月7日
押川と吉田、東北地方を伝道視察し、東北伝道の急務をパームに訴える
新潟大火、パームは押川と吉田を東北伝道のため派遣することを決断
9月6日 押川、吉田を伴い、吉田の両親の住む石巻をはじめ東北地方各地への伝道着手のため新潟出発、9月26日に仙台に到着
10月10日 押川、北三番丁木町通角、下〈しも〉きく宅に「基督教講義所」開設
グリング夫人ハティー、女学校創設の必要を数度にわたり外国伝道局に訴える
1881
(明治14)年
5月1日
押川方義と吉田亀太郎により「仙台教会」(現「日本基督教団仙台東一番丁教会」)創立
1882
(明治15)年
6月1日
3年間にわたる準備を終えて、グリング、東京九段で伝道開始。6月4日の聖日礼拝が「合衆国改革派教会」の日本における最初の聖日礼拝
1883
(明治16)年
9月23日
「合衆国改革派教会」の日本派遣第2番目の宣教師J・P・モール夫妻横浜着、10月15 日より東京築地で伝道開始
10月18日 パーム、帰英の途につく
1884
(明治17)年
5月11日
グリングによって「元大工町教会」(のちの「神田教会」)創立
1885
(明治18)年
2月頃
モールによって「番町教会」(のちの「富士見町教会」)創立
4月21日 W・E・ホーイ、E・R・プールボー、M・B・オールトの3名、「合衆国改革派教会」日本派遣宣教師に選任さる
12月1日 W・E・ホーイ横浜着
12月4日 押川、ホーイと会見し、仙台に神学校並びに女学校創設の必要を説く
12月13日 ホーイ、グリングと共に仙台を視察する(~17日)
12月21日 グリング,モール,ホーイの3名がグリング宅で「合衆 国改革派教会在日宣教師社 団(1879年6月1日発足の所謂「ジャパン・ミッション」)としての最初の
会議を正式に開催し、グリングが団長、モールが財務担当、ホーイが書記担当と 役割分担を決定し、併せてホーイの仙台赴任を決定

シオンの女子よ 喜び楽しめ

~1886(明治19)年 ~1893(明治26)年 創立とプールボー校長

1886
(明治19)年
1月13日
ホーイ仙台着任
5月15日 押川方義とW.E.ホーイの協力により「仙台神学校」開校、初代校長押川方義、副校長W.E.ホーイ
7月2日 プールボー並びにオールト横浜到着、東京で諸準備ののち7月16日仙台着任
7月19日 宮城県議会副議長首藤陸三所有家屋(仙台区東四番丁35)を教員住宅兼校舎として「宮城女学校」開校の準備に着手
9月18日 「宮城女学校」(「予科」3年、「本科」4年)設置認可(以後この日を「創立記念日」とする)。押川方義、「校主」に就任。
初代校長E.R.プールボー、教員はプールボー、オールト、助教は稲垣ぎん、曲直瀬雪江
9月24日 仙台区東二番丁51番地田辺繁久別邸にて10名の生徒で授業開始
1887
(明治20)年
4月
「宮城女学校校舎」建設のための校地2千4百余坪を仙台区東三番丁162番地~169番地に取得
9月5日 第2年度開始
12月21日 「合衆国改革派教会」宣教師 D.B.シュネーダー夫妻来日
1888
(明治21)年
4月
W.E.ホーイ、D.B.シュネーダー、E.R.プールボーが宮城女学校校舎建設委員となる
5月 「宮城女学校校舎」(2階は寄宿舎)建築起工
9月 松平正直宮城県知事の推輓で、早坂哲郎、数学教員として就任
1889
(明治22)年
3月2日
押川方義、「ジャパン・ミッション」の推薦と「合衆国改革派教会」外国伝道局の招聘により欧米の教育事情その他視察に出発。首藤陸三、「校主」に就任
4月1日 「宮城女学校校舎」建築がほぼ完成した4月1日、田辺繁久別邸より移転し、4月15日より授業開始
7月5日 木造2階建の「宮城女学校校舎」(講堂・教室・寄宿舎)献堂式
1890
(明治23)年
3月24日
教科内容充実のため申請中の「宮城女学校規則変更認可願」認可
9月 「宮城女学校文学会」創設され、機関雑誌『宮城野』を発行
10月30日 「教育ニ関スル勅語」発布
1891
(明治24)年
「合衆国改革派教会」外国伝道局財務局長R.F.ケルカーの夫人の寄贈蔵書を受け、「メアリー・A・ケルカー記念蔵書」が図書室に備えられる
1892
(明治25)年
1月21日
所謂「ストライキ事件」により生徒5名退学
1893
(明治26)年
4月
「宮城女学校規則更生」認可され、学年始業を4月初め、学年終業を3月末と改める。(但しこの後7年間は9月始業、7月終業)
6月25日 第1回卒業礼拝(説教:ウイリアム・E・ホーイ
6月26日 7月をもって退任帰国のプールボー校長送別会
6月29日 第1回卒業式(卒業生4名)。「宮城女学校同窓会」発足
8月26日 「在日宣教師社団」(「ジャパン・ミッション」)に「実行委員会」(宮城女学校管理運営機関)創設
9月 J.P.モール、第2代校長に就任
10月18日 橋本経光(押川方義の長兄・東北学院邦語神学部在学)、「校主」に就任

確して揺くことなく

~1894(明治27)年 ~1905(明治38)年 発展と試練

1894(明治27)年
9月2日
「合衆国改革派教会」宣教師 L.ズーフル来日、第3代校長に就任
1895(明治28)年
6月
宮城女学校「本科」(のちの「高等女学科」)第3回卒業生田村たみ子、宮城女学校同窓会」初代会長に就任
1896(明治29)年 11月20日 「宮城女学校」創立10周年記念式典
1897(明治30)年
9月14日
「バイブルハウス」(宮城女学校卒業生中で外国人宣教師の助手となった者が住み込んで伝道活動のため研鑽をつむ「ジャパン・ミッション」所属の建物)竣工
1898(明治31)年
11月26日
「教科課程」の改正により「本科」を5年に延長
1899(明治32)年
2月8日
「高等女学校令」公布
8月3日 「私立学校令」並びに「一般ノ教育ヲシテ宗教外ニ特立セシムルノ件」(所謂「文省部訓令第12号」)公布
9月1日 早坂哲郎、「幹事」(教育・渉外・運営各分野で校長を補佐)に就任
10月9日 ズーフル、「校主」となる件認可され初めて「外国人校主制」実施
1900(明治33)年
6月12日
1年制「聖書専攻科」(「特別聖書科」)設置
「合衆国改革派教会」宣教師 S.L.ワイドナー仙台着任
9月2日 「合衆国改革派教会」宣教師 A.K.ファウスト夫妻来日
12月 ズーフル校長、休暇帰米。S.L.ワイドナー「校長代理」(明治35年8月まで)に就任
1901(明治34)年
3月30日
第9回卒業式(初めて3月に行われた卒業式)
4月 第16年度開始、学年始業が初めて4月になる
5月14日 菊池大麓東京帝国大学総長並びに柳沢文部省普通学務局長来校視察
1902(明治35)年
3月8日
寄宿舎浴場より出火、校舎全焼。市内片平丁69番地、寺木定芳氏所有家屋を仮校舎として借り受け移転(所謂「片平丁時代」)
4月26日 火災のため延期されていた第10回卒業式は東北学院の好意的申出を受けて東北学院講堂において挙行
8月26日 ズーフル校長、横浜着・帰任
12月 市内東二番丁135番地~138番地に「寄宿舎」用地として校地1千4百余坪(従来の校地中央部西側隣接の土地)を取得
1903(明治36)年
3月28日
第11回卒業式(於「片平丁仮校舎」)
4~6月 「片平丁仮校舎」が採光・暖房その他の面で教職員・生徒にとり健康上望ましくないため、新校舎完成まで授業休止
8月 「寄宿舎」(2階寄宿舎、1階教室・講堂延面積320坪)建築完成。9月11日より「寄宿舎」を「仮校舎」として授業開始のため「片平丁仮校舎」から移転
9月10日 「新校舎」の定礎式挙行
1904(明治37)年
6月1日
「在日宣教師社団」創立満25年記念日
6月2日 総煉瓦造3階建スレート葺・延面積315坪の「新校舎」(「クリスティーン・エリザベス・ヴォルマー・ファウスト・メモリアル・ホール」、所謂「第1校舎」)献堂式
7月2日 第12回卒業式(「第1校舎」における最初の卒業式)
1905(明治38)年
5月26日
久保田譲文部大臣来校視察

凡てのこと相働きて

~1906(明治39)年 ~1913(大正2)年 躍進の10年

1906(明治39)年
3月16日
「萬国基督教女子青年会」本部マクドナルド女史来仙を機に「宮城女学校基督教女子青年会」創立
10月 原田ことぢ、英語教員として就任
1907(明治40)年
6月11日
「宮城女学校運営委員会」(外国伝道局の方針遵守下での宮城女学校管理運営機関)設置
9月 「合衆国改革派教会」宣教師 ケート・I・ハンセン、リディア・A・リンゼイの両名、音楽教員及び英語教員として就任
10月 早坂哲郎幹事、「合衆国改革派教会」外国伝道局の招聘により研究・視察のため2ケ年の予定で渡米
1908(明治41)年
1月
従来の校地の西南側隣接地東二番丁139番地~140番地に6百余坪取得
4月6日 ズーフル、帰国のため仙台発
「合衆国改革派教会」宣教師 H.K.ミラー、「設立者」(従前の「校主」)に就任
4月7日 H.K.ミラー、第4代校長に就任
9月より 授業料1カ月「予科」50銭・「本科」1円をそれぞれ60銭・1円20銭に改訂
1909(明治42)年
3月
「宮城女学校文学会」機関雑誌『宮城野』を廃刊して『萩の下露』創刊
8月22日 S.L.ワイドナー再来日、9月13日第5代校長に就任(但し、2月22日付で認可済)
9月18日 S.L.ワイドナー、「設立者」に就任
12月18日 早坂哲郎幹事、研究・視察を終え帰仙
1910(明治43)年
2月24日
教職員・生徒一同参集し、「校旗制定」を決議
3月 宮城女学校「本科」第10回卒業生奥山ます、「宮城女学校同窓会」第2代会長に就任
4月2日 第18回卒業式の日、教職員・在校生一同より「校旗」の寄贈,卒業生一同より「宮城女学校基本金」のため金200円の寄贈。
なお卒業式には当時来仙中の「合衆国改革派教会」外国伝道局総幹事バーソロミュー博士夫妻臨席
8月12日 「学則改正」により「予科」を廃し、「本科」を「高等女学科」(5年制)と改称
12月21日 文部大臣より、「明治44年3月以後の卒業者は『高等女学校令』による高等女校卒業者と同等以上の学力を有すると検定する」旨の通達を受く
1911(明治44)年
3月29日
第19回卒業式(「本科」卒業生25名)並びに「聖書科」第1回卒業式(卒業生8名)
4月10日 第26年度授業開始、本年度より「高等女学校令」による女学校として発足
4月13日 文部大臣より、「明治43年以前の卒業者全員も明治44年3月以後の卒業者と同等の学力ある者と認める」旨の通達あり
10月 東二番丁134番地に校地670坪(「寄宿舎」北側隣接の土地)を取得
10月25日 宮城女学校創立満25年記念祝賀式。『私立宮城女学校一覧』(東北学院労働会金子紀念印刷所印刷)発刊
1912(明治45・大正元)年4月 3年制「家政専攻科」を設置
東二番丁132番地~133番地(1911年に取得した校地の北側に隣接の東二番丁・柳町角地)に校地を取得。
四面を東二番丁・北目町通・東三番丁・柳町通に囲まれた方形の所謂「東二番丁校地」が整う
1913(大正2)年
4月
3年制「英文専攻科」設置(但し、開講が2年遅れて1915年4月開講となる)
7月16日 「合衆国改革派教会」宣教師で東北学院教授であった A.K.ファウスト、第6代校長に就任
10月10日 早坂哲郎幹事在職25周年記念祝賀会
11月25日 幼稚園保姆無試験検定認可

練達は希望を生ず

~1914(大正3)年 ~1941(昭和16)年 大正時代から昭和へ

1914(大正3)年
10月20日
1907(明治40)年に設置された「宮城女学校運営委員会」を拡充強化した「理事会」(The Board of Managers)組織発足、「寄附行為」(The Constitution)制定
1915(大正4)年
4月
「家政専攻科」第1回卒業式(卒業生3名)
5月 「教職員心得11ヶ条」成文化し、校長・幹事・教師・舎監・司書の職務を定める
私立宮城女学校生徒心得」作成。授業料は1ヵ月、「本科(「高等女学科」)」1円50銭、「家政専攻科」・「英文専攻科」2円、「聖書専攻科」1円
1916(大正5)年 「家政専攻科」2年に短縮
4 月 3年制「音楽専攻科」設置(但し、1914年より「専攻科」としての内容の授業開始)
4月 2年制「聖書専攻科」設置(但し、1897年竣工の「バイブルハウス」で1900年から1年制「聖書専攻科」として開設されていたものを「在日宣教師社団」から
学校経営に移管設置)
1917(大正6)年
3月
「音楽科専攻」第1回卒業式(卒業生2名)
11月19日 「第2校舎」定礎式執行
1918(大正7)年
1月26日
「聖書専攻科」増設の件認可
3月 「英文専攻科」第1回卒業式(卒業生2名)
3月 宮城女学校「高等女学科」第15回、「音楽専攻科」第1回卒業生佐藤まさ、「宮城女学校同窓会」第3代会長に就任
5月28日 「第2校舎」(総煉瓦造3階建スレート葺延面積644坪)献堂式
10月15日 従来の『萩の下露』などの定期刊行物を合冊刊行することとして『校報』(The School News)創刊号刊行(年2回発行)
この頃の授業料1カ月、「高等女学科」2円、「専攻科」2円50銭
1919(大正8)年
1月28日
「専攻科」に「予科選科」を設置の件認可
3月 宮城女学校「高等女学科」第20回、「聖書専攻科」第3回卒業生小野寺みきよ「宮城女学校同窓会」第4代会長に就任
1920(大正9)年
3月
「英文専攻科」に「英語会」設置
1921(大正10)年
6月30日
「宮城女学校文学会」が年刊機関雑誌『橄欖』創刊
「宮城女学校文学会」を「宮城女学校校友会」と改称
1922(大正11)年
2月
「宮城女学校基督教女子青年会」、「尚絅女学校青年会」と協力して欧州学生救済義捐金募集のため音楽会開催
1923(大正12)年
1月
「大講堂建設資金」募集始まる
1925(大正14)年
4月
「学則改正」により「専攻科」をすべて3年制とする。なお「英文専攻科」・「聖書専攻科」には1年の「予科」を置く
「家政科予科」の廃止
1926(大正15・昭和元)年
3月23日
「バイブルハウス」を取り壊した跡地に建築の総煉瓦造3階建(1階に教室・事務室、2階に図書室、3階に社交室、地階は雨天体操場)の
「増築第2校舎」(「ヴォーンホルト記念校舎」)献堂式
10月20日 宮城女学校創立40周年記念式・記念音楽会・記念祝賀会
10月 宮城女学校「高等女学科」第8回卒業生原田ことぢ「宮城女学校同窓会」第5代会長に就任
1928(昭和3)年
1月10日
宮城女学校創立者・「元校主」押川方義逝去
3月8日 「英文専攻科」に中等教員無試験検定取扱許可
11月 御大典(天皇即位)記念噴水池(所謂「六角池」)建設
1930(昭和5)年
2月
K.I.ハンセン、シカゴ音楽大学より「音楽博士」の学位を受く
2月21日 文部省による音楽科学術試験実施
5月をもって退任帰米の A.K.ファウスト校長の離任式。1911年に来日以来、山形・秋田両県で19年間、
伝道に従事していた「合衆国改革派教会」宣教師 C・D・クリーテ、第7代校長に就任。
5月30日 A.K.ファウスト前校長夫妻送別会
11月11日 A.K.ファウスト校長在任17年間の功績・徳望を記念して建造される「ファウスト記念館」定礎式
1931(昭和6)年 「音楽専攻科」に「師範科」及び「研究科」を設置
校服制定
12月26日 「ファウスト記念館」(別名「同窓会館」、建坪67坪、1階裁縫室、2階作法室)献堂式
1932(昭和7)年
6月11日
鈴木クワルテット、ハンセン作曲「日光」を演奏
12月12日 K.I.ハンセン、L.A.リンゼイ、原田ことぢ勤続25年祝賀式
1933(昭和8)年
6月30日
「音楽専攻科」3年生、山形市及び鶴岡市に音楽演奏旅行
12月 校門改築成る
1934(昭和9)年
2月17日
宮城女学校創立50周年記念事業として基本金10万円募集の計画を起こす
12月10日 鈴木虎之進勤続25年祝賀式
1935(昭和10)年
2月20日
1934年4月12日逝去のメアリー・E・シュネーダー記念寄贈図書献納式(専攻科図書室)
6月10日 C.D.クリーテ校長、アーサイナス大学より「神学博士」の称号受く
7月22日 宮城女学校校友会・宮城女学校同窓会主催、仙台市教育会・河北新報社後援の第1回夏季婦人講座開催
1936(昭和11)年
3月3日
文部省告示により「宮城女学校高等女学部卒業者ニ對シ高等女学校高等科(修業年限2ヶ年)ノ
入学ニ関シ修業年限5箇年又ハ3箇年ノ高等女学校ヲ卒業シタル者ト同等以上ノ学力アルモノト指定」された。
この頃、「高等女学科」は「高等女学部」と、「専攻科」は「専攻部」と称することとなり、「専攻部」は「聖書科」3ヶ年、「聖書科予科」1ヶ年、「家政 科」3ヶ年、「英文科」3ヶ年、「英文科予科」1ヶ年、「音楽科研究科」1ヶ年以上、「音楽科本科」3ヶ年、「音楽科師範科」3ヶ年、「音楽科予科」2ヶ 年の組織であった
7月 土井林吉(晩翠)より息女故土井照子の記念として宮城郡七ヶ浜吉田浜町字沢尻の畑地をキャンプ敷地として寄贈
11月1日 宮城女学校創立50周年記念感謝礼拝・職員永眠者追悼会
11月2日 宮城女学校創立50周年記念式典(10月16日~11月8日の間に記念諸行事)
12月23日 『宮城女学校50周年史』発刊
1937(昭和12)年
3月6日
金子かね、勤続25年表彰式
12月12日 「宮城女学校家庭会」設立
12月30日 「大講堂」(鉄筋コンクリート3階建煉瓦タイル貼483坪)新築落成
1938(昭和13)年
1月30日
「大講堂」献堂式
4月1日 「国家総動員法」公布
5月5日 勤労奉仕開始
5月20日 徐州陥落に際し全校生徒旗行列参加
11月20日 弓道部創設
1939(昭和14)年
3月6日
一見清、勤続25年祝賀式
4月8日 「宗教団体法」公布
本年度より2学級(100名)募集
8月30日 「財団法人宮城女学校」寄附行為申請
8月31日 「財団法人宮城女学校」設立認可申請
12月26日 第5代校長S・L・ワイドナー逝去
1940(昭和15)年
5月15日
『欖橄』タブロイド版となる
6月23日 仙台市内の基督教主義学校代表者が宮城県庁に呼び出され、
(1)朝礼に国歌を歌い宮城遥拝をすること、
(2)聖書の授業を必須から外すこと、
(3)御真影を受けることを提言・要請された
9月12日 C.D.クリーテ校長辞職、一見清校長事務取扱となる
11月10日 「紀元2600年記念式」
11月26日 「教育勅語」発布50周年にあたり、K.I.ハンセン、L.A.リンゼイ、一見清、原田ことぢ、金子かね、大越直、文部大臣より表彰せらる
1941(昭和16)年
2月8日
「宮城女学校家庭会」総会にて本校維持費として一口(金30円以上)寄附の件を決議
2月14日 「財団法人宮城女学校」設立許可、理事長・一見清
2月21日 校地校舎を「合衆国改革派教会在日宣教師社団」より「宮城女学校」へ寄附される「寄宿舎」を4教室に改築して「第3校舎」と
改称「ミッションハウス」を「家政専攻部」校舎として使用、校長住宅も教室として使用
2月27日 一見清、「財団法人宮城女学校」理事長に就任
本年度より4クラス(200名)募集
6月3日 「宮城女学校校友会」は解散し、「宮城女学校報国団」成立
6月4日 宮城女学校「高等女学科」第5学年生、宮城(皇居)外苑整備勤労奉仕のため上京
6月9日 第7代校長 C.D.クリーテ夫妻、帰米の途につく
6月24日 「日本基督教団」成立
10月31日 「和歌山高等商業」教授西山貞、第8代校長に就任
11月20日 館岡剛より宮城郡七ヶ浜吉田浜の保安林寄贈
12月8日 日本、米英両国に宣戦布告、太平洋戦争に突入
12月9日 アメリカ人教員全員辞任
12月26日 「専攻部」において繰上げ卒業始まる
宮城女学校同窓会、「母校維持会」結成

四方より患難を受けくれども

~1942(昭和17)年 ~1959(昭和34)年 戦禍と復興、西山学院長時代

1942(昭和17)年
1月30日
外国人理事4名辞任、西山貞、「財団法人宮城女学校」理事長に就任
2月16日 御真影奉安殿献堂(御真影拝戴式は4月24日)
2月 西山貞、「宮城女学校同窓会」第6代会長に就任
7月4日 理事会において「専攻部」に「国語科」設置の件可決
7月4日 一力次郎、「財団法人宮城女学校」理事長に就任
7月24日 御真影を奉安庫に奉安
8月8日 高等女学校の「英語」を随意科目とし週3時間以内とするとの文部省の通牒に従い全国中等学校長会議において「英語」を随意科目とする事を決定
10月27日 「専攻部」の「音楽科」後援の目的をもって「宮城音楽同好会」結成
11月16日 教職員、生徒に対して軍事教練開始
1943(昭和18)年
4月1日
「宮城女学校」を廃止し「宮城高等女学校」設置,「専攻部」を「専攻科」と改称
4月 「専攻部」に3年制「国語科」設置
6月 「専攻科」生、農村託児所に勤労奉仕
7月20日 代ケ崎の海洋道場で修練す
7月24日 ラジオ体操、救急訓練実施
8月24日 「理科実験室」増設
10月4日 「金属供出命令」により「第1校舎」、「第2校舎」のラジエター、「大講堂」のシャンデリア並びに階段の真鍮手摺りを取外し供出
10月5日 農繁期手伝いに出動
10月12日 三馬弘進ゴム会社に勤労奉仕
10月19日 市内清水小路5番地に「寄宿舎」設置
1944(昭和19)年
4月
「理科実験室」及び「調理実験室」改修工事完成
5月10日 「専攻科」4科併設正式認可。(「育児専攻科」・「国語専攻科」・「外国語専攻科」・ 「音楽専攻科」)により従来の「家政専攻科」は「育児専攻科」となり、「英文専攻科」は「外国語専攻科」となる
5月 「東北風第202号工場」(長町の「日本電気株式会社」の戦時 名)との間に「学校工場化契約」成立。「専攻科」生が勤労動員で同工場に赴き、電波探知機部品製造技術を習得することに努め、従来の「家政専攻科」教室を 作業工場とする「学校工場」での指導者となる「第2校舎」が「学校工場」に指定される
8月 「第2校舎」内の従来の「家政専攻科」教室を「学校工場」の 「第1工場」に転用し作業開始。尚、「元ミッション・ハウス」は10月に「第2工場」、「第2校舎」の「洗濯実習室」が12月に「第3工場」となる宮城高 等女学校「高等女学科」4年生・5年生は8月から10月まで、勤労奉国隊として仙台簡易保険局に出勤
9月 「専攻科」で繰上げ卒業式(「家政」第29回、「英文」第28回、「音楽」第27回)
11月3日 「高等女学科」4年生・5年生、横須賀海軍航空技術廠に出勤
12月 「学校工場第3工場」、作業開始
1945(昭和20)年
1月
「専攻科」校舎である「第2校舎」の東半分が仙台聯隊地区司令部庁舎として徴用される
3月 宮城高等女学校「高等女学科」4年生及び5年生が勤労動員先の横須賀海軍航空技術廠で卒業式(1943年度から高等女学校は全国的に4年制に統一されため宮城高等女学校「高等女学科」においても4年生も卒業)
4月23日 この日から「高等女学科」4年生は多賀城の海軍工廠に勤労動員、3年生以下は普通授業
5月30日 御真影を根白石小学校に奉遷。重要図書類を岩切に疎開
7月2日 「専攻科」では、昭和20年度入学生の繰下げ入学式挙行
7月10日 仙台空襲により「大講堂」「第2校舎」を残して校舎7棟を焼失。焼失の延床面積 1277坪。罹災教職員14名、罹災生徒約200名、逝去生徒3名
7月21日 「高等女学科」では、大講堂を教室とし、各学年毎に組を合併して授業開始。
当日、登校した生徒は在校生の半数以上の500有余名
8月4日 「宮城高等女学校」学徒隊を「宮城高等女学校」戦闘隊に切りかえる
8月15日 「終戦の詔勅」放送
9月11日 宮城高等女学校「高等女学科」第2学期始業式。翌12日より授業開始、但し、米軍の仙台進駐により、15日から2週間休校
9月12日 宮城高等女学校「専攻科」授業開始
10月1日 宮城高等女学校「高等女学科」授業再開。10月8日から低学年は午前、上級学年は午後に授業という「二部授業」実施
10月11日 仙台市・連坊小路国民学校の4教室を借り受けることができ、「高等女学科」4年生が授業を受ける。「第2校舎」を徴用使用の仙台聯隊地区指令部が引揚げ、「第2校舎」の明け渡しを受けた11月15日より「二部授業」を中止
10月15日 この日より毎週月曜日に始業前に「礼拝」を実施。11月30日からは毎朝、「礼拝」を実施が可能となり礼拝復活
12月15日 午前11時より大講堂で全学院合同の、戦後最初のクリスマス礼拝
12月27日 根白石小学校より御真影を奉迎、翌28日に音楽講堂で御真影奉還式を行い、宮城県教学課に奉還
1946(昭和21)年
1月21日
「高等女学科」・「専攻科」共に始業式を挙行し、翌22日から授業開始。
この週から月曜日を休業とする「5日制」を実施
2月5日 「戦災復興資金」募集開始
3月31日 「第3校舎」復旧工事完成し、連坊小路国民学校の教室を借りずに授業可能となる
5月7日 「国文科」に中等教員無試験検定許可
校地826坪を市内東三番丁14番地~16番地に取得
5月25日 「第4仮校舎」復旧工事完成
6月5日 「第5仮校舎」復旧工事完成
6月29日 「専門学校令」による「宮城学院女子専門学校」設置許可(「育児科」、「国語科」、「外国(英)語科」、「音楽科」)
7月10日 「宮城高等女学校」は「宮城学院高等女学校」と改称認可
9月18日 宮城学院創立60周年記念式典
11月 宮城女学校「高等女学科」第14回卒業生伊藤まき、「宮城学院同窓会」第7代会長に就任
11月1日 西山貞、「財団法人宮城学院」理事長に就任
11月14日 「宮城県立第一高女」前校長諸石靖、「宮城学院高等女学校」主事に就任
1947(昭和22)年
3月10日
「財団法人宮城学院理事会」は「建物戦災復旧貸付金」の借入れを決定し、本格的に校舎復旧に着手
3月22日 「宮城学院女子専門学校」第1回卒業式(「育児科」49名、「国語科」22名、「外国語科」 8名、「音楽科」11名)
3月31日 「教育基本法」・「学校教育法」公布
4月1日 新学制により「宮城学院中学校」設置
8月4日 「宮城学院女子専門学校」主催の音楽科認定講習会開催
9月23日 「寄附行為」の改正により「理事は原則として福音的基督教信者とし理事会に於て之を選任す。但し1名は宮城学院女子専門学校長を以て之に充つ」と
なり、再来日のC.D.クリーテ、A.アンケニー、K.I.ハンセンを理事に加える(翌年L.A.リンゼイも)
9月 「宮城学院父母教師会」結成、初代会長に大石栄一を選出
1948(昭和23)年
2月20日
矢野貫城、「財団法人宮城学院」理事長に就任
3月23日 「宮城学院中学校」第1回卒業式。但し、卒業生は4月9日に新学制によって設置された「宮城学院高等学校」に進学
5月18日 「財団法人宮城学院理事会」は専任教職員および基督教教役者子女の授業料(中学のみ)免除を決定
5月23日 戦時中は活動を休止していた「基督教女子青年会」、即ち、YWCA復活
8月31日 「第1校舎」修復工事完成
1949(昭和24)年
2月21日
「宮城学院女子大学」設置認可(「学芸学部」として「英文学科」4年制、「音楽科」4年制)
4月 1946年1月以来実施の「月曜日休業の5日制」を「土曜日休業」という本来の「5日制」に復帰。尚、「中学校」も「高等学校」も「女子大学」にあわせて、本年度から「2学期制」を実施
6月15日 「宮城学院女子専門学校学則」一部変更認可(修業年限を2ヵ年として、「本科」として「育児科」・「国語科」・「外国語科」・「音楽科」の4科とし、別に修業年限1ヵ年の「別科」を置く)
7月23日 「大学寄宿舎」(「第1寄宿舎」)用地として、市内土樋195、196番地の土地564坪取得
9月15日 「第6校舎」(木造2階建、延729坪)新築工事完成
10月27日 「宮城学院女子大学」開設並びに「宮城学院高等学校」新校舎落成記念祝典
1950(昭和25)年
3月14日
「宮城学院女子短期大学」設置認可(「家政科」・「国文科」)
5月25日 「大学寄宿舎」(所謂「土樋寮」)である「第1寄宿舎」新築工事完成
6月末 「和歌山大学」教授山崎謹一郎、「大学主事」として就任
8月 市内清水小路に「学院長宅」用地156坪取得
9月30日 「中学校」校舎として「第5校舎」新築工事完成(木造2階建、384坪)
「中学校」・「高等学校」で制服を制定
1951(昭和26)年
2月28日
「大学家政館」としての「第4校舎」新築工事完成(木造2階建、140坪)
3月9日 「学校法人宮城学院」設立認可。矢野貫城、理事長に就任
3月31日 「宮城学院女子専門学校」廃止
10月23日 宮城学院創立65周年記念式典
「宮城学院文化学会」組織
12月25日 宮城学院女子大学『研究論文集』創刊
1952(昭和27)年
2月29日
「宮城学院女子大学教職課程」設置認可
4月13日 東北学院との合同理事会開催(以後度々)
5月13日 元「第3校舎」跡地に「大学本館」(鉄筋コンクリート3階建一部地階総延坪670坪)新築工事鍬入式
1921(大正10)年に「宮城女学校文学会」雑誌として創刊号が刊行された『橄欖』は1941年7月頃から廃刊になっていたが、
「宮城学院高等学校自治会」機関誌として再刊
1953(昭和28)年
4月1日
「日本基督教団」総務部の末包一夫、事務長に就任
4月 佐々木統一郎「宮城学院父母教師会」第4代会長の提言奔走と多田三郎校医、東北大学医学部中村隆教授及び長池医院・長池博子医院長の協力に
より「宮城学院ヘルスセンター」開設
今年度より「宮城学院高等学校」より推薦の成績優秀者を面接選考の上、「無試験入学」を許可する制度がとられ、20名(「音楽科」3名、「家政科」12名、「国文科」5名)が「推薦入学」となった
「大学」では、大学在学生の28%を占める汽車通学生を含めた全学生が毎朝の礼拝に出席できるようにするため、従来の「礼拝時間」午前8時5分~8時20分を今年度より午前10時5分~10時25分に変更
5月1日 「大学本館」新築工事完成
6月 宮城女学校「高等女学科」第24回、「音楽専攻科」第3回卒業生片桐こう、「宮城学院同窓会」第8代会長に就任
7月 宮城女学校「聖書専攻科」第7回卒業生丸山敏子、「宮城学院同窓会」第9代会長に就任
9月13日 第6代校長 A.K.ファウスト、米国ペンシルヴァニア州アレンタウンで逝去
10月19日 東北学院、尚絅女学院との合同学院長会議開催
12月21日 「基督教学校教育同盟」第41回総会、本学院で開催(~22日)
1月1日 「私立学校教職員共済組合」に加入
「第1寄宿舎(所謂「土樋寮」)」新築第2期工事完成
3月1日 「宮城学院中学校自治会」雑誌『鴿(はと)』創刊
3月31日 北海道・奥羽・東北地方に緊急必要な「幼稚園教員養成機 関」設置構想計画の下で1954(昭和29)年4月1日より1955(昭和30)年3月31日まで
「宮城学院女子大学附設幼稚園教員養成所」(1年)設置 を1955(昭和30)年度に「宮城学院女子短期大学保育科」設置認可の前提として認可
4月1日 宮城学院女子大学「英文学科」・「音楽科」並びに宮城学院女子短期大学「家政科」・「国文科」に「教員養成課程」認定。又、宮城学院女子短期大学「家政科」に「栄養士養施設」指定認定
4月 「家政科」に「栄養士養成課程」が設置され、取得単位数増加に伴う授業時間数確保のため、今学年度より「6日制実施」今学年度より新運営組織として
「部長会議」(中学・高校各教務部長及び大学教務・学生両部長)を設置
市内霊屋15の宅地45坪及び住宅を取得、「宮城学院中学校・高等学校霊屋寮」を創設
9月21日 「大学寄宿舎(所謂「米ヶ袋寮」)」用地として市内米ケ袋広丁23番地の宅地401坪・居宅32坪を取得
11月1日 「体育館」新築工事鍬入式
1955(昭和30)年
2月20日
「大学図書館」、「第2校舎地下室食堂」改造工事契約
3月24日 「第1寄宿舎」増改築工事開始
3月31日 「宮城学院女子大学附設幼稚園教員養成所」廃止
4月1日 「宮城学院女子短期大学学科増設」(「保育科」)認可
4月26日 「第2校舎」地下の「雨天体操場」を改装しての「学生食堂」(喫茶)営業許可
5月13日 「保育科」教室及び「附属幼稚園」増築工事のため市内東二番丁141の宅地741坪を取得
5月31日 父母教師会・同窓会・教職員の協力による1650万円で完成の「体育館」(鉄筋コンクリート建、延273坪)献堂
5月 「第1校舎」内の「大学図書館閲覧室」(元・「小講堂」跡)の改築改装工事完成(2階に 「合同講義室 C」、1階に「図書閲覧室」)〈因に、「合同講義室 A」は
「大学本館」2階に、 「合同講義室 B」は「大学本館」3階に所在〉
6月7日 「基督教学校教育同盟」東北・北海道地区協議会、本学院で開催(~8日)
9月26日 「保育科」教室及び「附属幼稚園」増改築工事開始
10月10日 宮城学院創立70周年記念式典
12月20日 保育科教員養成課程認定
1956(昭和31)年
2月
「保育科」教室及び「附属幼稚園」増改築工事(延238坪)完成
3月2日 「宮城学院女子短期大学附属幼稚園」設置認可。4月より開園
8月7日 『宮城学院70年史』発行
8月10日 西山貞学院長、渡欧米(~12月6日)
8月21日 女子短期大学免許状(保健)授与のための所要資格を得させるための正規課程認定(家政科)
10月13日 「日本女子大学連盟」秋季例会、本学院で開催
1957(昭和32)年
4月1日
島末三、事務長に就任
4月16日 女子大学免許状授与の所要資格を得させるための聴講生課程認定(音楽・英語)
5月2日 全国教会学校大会、本学院で開催(~3日)
5月13日 木造2階建208坪の「米ケ袋寄宿舎(所謂「第2寄宿舎」)」起工式
7月16日 仙台復興土地区画整理による東二番丁道路拡張(削減校地面積344坪)に基づく「第2校舎」一部解体工事並びに「第2校舎新館」(鉄筋コンクリート4建地階付延530坪)新築工事(「家政科実験室」並びに「音楽科」関係室収容)着工。(1958年3月31日完成)
7月29日 「中学校図画教室」新築工事着工。9月完成(木造平屋37坪)
1958(昭和33)年
4月
今年度より従来の「宮城学院父母教師会」を「宮城学院中学校高等学校父母教師会」と「宮城学院大学後援会」とに組織がえして、
「宮城学院大学後援会」初代会長に一力次郎「財団法人宮城高等女学校」前理事長就任
6月3日 「第2校舎新館」献堂式
1959(昭和34)年
1月20日
女子大学学科増設認可(家政学科)
3月 「宮城学院教職員協議会」結成
3月31日 西山貞学院長辞任。1941(昭和16)年11月、「宮 城女学校長」に就任以来「校長」・「学院長」、又、「理事」・「理事長」として戦時中並びに終戦後の最も困難な時代に「宮城女学校」の基礎を確固たらしめ 且つ「宮城学院」を発展させた功績を讃え「名誉学院長」に推される
4月28日 「高等学校新校舎」第1期工事鍬入式
9月25日 「高等学校新校舎」第1期工事定礎式
10月29日 「財団法人宮城女学校」元理事長一見清逝去
11月30日 「高等学校校舎」(鉄筋コンクリート造4階建351坪)第1期工事落成

惟エホバの旨のみ

~1960(昭和35)年 ~1978(昭和53)年 拡充と「改革」

1960(昭和35)年
1月11日
「高等学校新校舎」(第1期工事351坪)献堂式
4月1日 「女子大学」免許状授与の所要資格を得させるための正規の課程認定(保健・家庭)
4月1日 戦後14年間、基督教女子教育に専念した「弘前学院」学院長小田信士、第2代「宮城学院」学院長、併せて、第2代「宮城学院女子大学・女子短期大学」学長、第2代「宮城学院中学校・高等学校」校長に就任
4月1日 菅野章夫、事務局長に就任
6月8日 宮城学院の将来的発展を展望して総合的観点から諸計画を立 案検討するため、「企画委員会」を創設。委員は「学校法人宮城学院」理事長、学院長、常務理事2名、学内理事2名、事務長、大学教務部長、大学学生部長、 高校主事、中学主事、大学各科長5名、高校教務主任、中学校教務主任、庶務会計課長、大学後援会長、中学・高校父母教師会長の21名からなる。
「宮城学院施設拡充10ヵ年計画」は「企画委員会」において企画され実施されるに至る
6月17日 宮城学院長宅用地として市内堤通86番地に宅地取得
7月22日 「高等学校新校舎」(第2期工事459坪)鍬入式
8月29日 福島県穴原温泉吉川屋旅館を会場として「全学院専任教職員修養会」開催(~31日、講師は松木治三郎関西学院大学神学部教授)
1961(昭和36)年
1月20日
宮城郡七ヶ浜吉田浜の校有地729坪(土井晩翠並びに東北学院教授館岡剛より寄贈)を東北電力株式会社仙台火力発電所関係施設のため提供し、同社より代替地を受ける売買契約成立
5月23日 「高等学校新校舎」落成(鉄筋コンクリート4階建810坪)。当工事援助のため「宮城学院中学校・高等学校父母教師会」から校舎建築資金の寄附あり
6月14日 小田学院長、「世界教育者会議」(於ニューデリー)出席並びに欧米視察(~8月16日)8月10日 学生ホール調理室を栄養士集団実習室に改造及び大講堂フローリング工事
9月10日 K.I.ハンセン、L.A.リンゼイ両教授より「宮城学院同窓会」に寄贈の「軽井沢山荘」に隣接のシュレーヤー所有別荘(土地213坪、木造2階建45坪)の寄贈を受け、「軽井沢山荘別館」と称して「軽井沢山荘」と同様に同窓会の運営とする
9月26日 文部省、「中学校全国一斉学力テスト」実施
10月5日 「女子大学」に栄養士養成施設認定
10月6日 宮城学院創立75周年記念諸行事(~13日):(1)記念礼拝・10月7日午前10時、説教者・桑田秀延東京神学大学長、(2)記念講演会・10月7日午後2時、講師・茅誠司東京大学総長、(3)記念式典・10月9日午前10時、
1962(昭和37)年
3月3日
第7代校長 C.D.クリーテ、米国カリフォルニア州クレアモントにて逝去
8月23日 「企画委員会」企画の「宮城学院施設拡充10ヵ年計画」実施のため「宮城学院施設拡充協力定期預金制度」が「学校法人宮城学院理事会」において承認される
9月16日 「協力定期預金制度」発足
1963(昭和38)年
1月10日
「大学新館」工事鍬入式
2月15日 「女子短期大学保育科」に「保母養成施設」認可
4月5日 「宮城学院愛子グラウンド」用地として宮城郡宮城村上愛子松原に土地約46,000㎡(約1万4200坪)取得
6月28日 西山貞名誉学院長、小田信士学院長沖縄教育事情視察(~7月3日)
1964(昭和39)年
1月10日
「大学新館」(鉄筋コンクリート造地下1階地上5階延床面積5,110㎡〈延坪1,548坪〉)建築工事竣工、総工費 1億7,000万円
1月11日 「女子大学」に「日本文学科」増設申請認可
1月17日 「女子短期大学」に「教養科」増設申請認可
2月24日 「女子大学」(国語・書道)及び「女子短期大学」(国語)免許状授与のための課程認定
2月28日 宮城郡宮城町芋沢字向田に土地1,000坪取得
4月13日 「中学校・高等学校総合校舎」(鉄筋コンクリート造地下1階地上4階、屋上に天体観測ドーム設備、延1,275坪)建築工事鍬入式
7月11日 文部省委嘱「図書館司書・司書補講習会」を「大学新館」5階合同講義室で開催(~8月31日、1979年度まで毎年)
8月31日 市内郡山字新々田に土地417坪取得
10月17日 「宮城学院愛子グラウンド」造成工事着手
11月20日 「大学新館」・「中学校・高等学校総合校舎」献堂式。 
「第3校舎」・「第5校舎」・「中学校図画教室」は解体。「第6校舎」階下南東2教室を「仙台アメリカンスクール」に貸与し、2階は「大学」並びに「中 学・高校」の仮寮とし、他は「学友会」・「学生自治会」・「生徒会」・「同窓会」用の諸室として使用することとする
1965(昭和40)年
3月13日
「宮城学院仮寮」(旧「第6校舎」2階)改造工事開始
4月19日 宮城郡泉町(当時)市名坂字天神沢に土地約65,000㎡(約2万坪)取得
5月8日 「宮城学院女子大学学則一部変更」申請認可(図書館学)により、「英文学科」及び「日本文学科」の教職に関する専門科目に「図書館学」を加え、
「司書」資格を得させること可となる
5月10日 新「米ケ袋寮」(所謂「米ヶ袋大学寮」)建築工事(鉄筋コンクリート造、地下1階地上5階、延656坪)鍬入式
6月3日 東三番丁校地内のグラウンド造成工事(テニスコート3面、バレーコート2面、バスケットコート1面)
8月24日 「中学校・高等学校総合校舎」屋上に「音楽教室」を増築並びに従来の「音楽室」を「図書室」並びに「普通教室」に改造の工事開始
8月30日 「栄養士養成施設」教育課程承認
1966(昭和41)年
3月22日
「宮城学院愛子グラウンド」附属建物「愛子スクール・ハウス1号館」建築工事開始
4月1日 「宮城学院女子大学」に「キリスト教文化研究所」設置
5月7日 「宮城学院名誉学院長」西山貞、東京(武蔵野日赤病院)において逝去、同14日、宮城学院「大講堂」において宮城学院葬
7月 「愛子スクール・ハウス1号館」落成
9月2日 「宮城学院女子大学」に「生活科学研究所」設置
10月12日 宮城学院創立80周年記念礼拝(説教:武藤富男明治学院長)
10月14日 宮城学院創立80周年記念式典並びに「米ヶ袋大学寮」献堂式
10月31日 『宮城学院80年小誌』発行
1967(昭和42)年
1月28日
「第1校舎」である「旧 大学図書館」並びに「第4校舎」を解体し「新大学図書館兼校舎」(鉄筋コンクリート造地下1階地上5階、地下に学生食堂、1階に大学図書館、2階から4階 を大学講義室、4階の1部及び5階に研究室の延面積4,128㎡)建設工事鍬入式。尚、翌1968(昭和43)年2月に「新大学図書館兼校舎」(「第1校 舎」)建築工事落成(総工費1億2,500万円)に伴い、宮城学院内各校舎名称を全面的に変更し、「本館」、「体育館」、「大講堂」以外の校舎を「第1校 舎」が「1号館」、「第2校舎」が「2号館」、「大学新館」が「3号館」、「第7校舎」が「4号館」、「中学校・高等学校総合校舎」が「5号館」(柳町 側)及び「6号館」(東三番丁側)、「第6校舎」が「7号館」のごとく「1号館」より「7号館」までの呼称とする。
2月3日 「図書館司書課程」を「女子大学」の「日本文学科」・「英文学科」に設置認可
4月18日 「女子大学・女子短期大学」において「新入生オリエンテーションキャンプ」開始
5月23日 小田信士学院長、渡欧米(~8月3日)
9月16日 「学校法人宮城学院理事会」は大学本来の使命を達成するために大学の制度上の問題を審議し、大学の組織と機構の改革をはかることを目的とする「宮城学院・大学制度審議会」設置を承認
12月20日 「女子大学」に「家政学科管理栄養士専攻課程」認可
1968(昭和43)年
1月4日
「宮城学院名誉教授」 K.I.ハンセン、米国カンザス州ローガン近郊の「ノートン病院」で逝去、1月26日、宮城学院並びに宮城学院同窓会の共催で「1号館」4階大講義室で追悼式挙行
2月 「在日宣教師社団」から寄贈の2階建旧「宣教師館」を「宮城学院愛子グランド」内に改装移築工事完成し、「愛子スクール・ハウス2号館」と称して使用開始
3月1日 「8号館」(「中高寮」及び「保育科」並びに「幼稚園」を含む総合校舎)建築工事の鍬入式
3月15日 「宮城学院女子大学教育問題協議会」設立
10月 「宮城学院中学校」において「推薦入試制度」開始
11月15日 「1号館」・「愛子体育館」・「8号館」合同献堂式挙行(「1号館」において)
1969(昭和44)年
2月
「宮城学院高等学校」から「宮城学院女子大学・短期大学」への「無試験入学」志願者の推薦資格決定((1)年4回の定期考査成績平均80点以上で且つ年5回の実力考査成 績平均40点以上、(2)推薦に足る人物、(3)専願である)
4月 「学校法人宮城学院寄附行為」一部変更申請、「制度改革」行われる
4月1日 阪田勝三、公選制最初の「宮城学院女子大学・女子短期大学」学長に就任。
就任式は5月28日に挙行
4月1日 「宮城学院中学校」主事渡邉弘道、事務局長に就任
9月3日 「学校法人宮城学院寄附行為」一部変更認可
9月18日 新「寄附行為」に基づいて選任された最初の理事、監事、評議員就任
9月 佐藤利吉、「学校法人宮城学院」理事長に就任
矢野貫城「学校法人宮城学院」前理事長、村上兵助前常任理事、平山信子前理事の3名、「宮城学院名誉理事」に就任
「財団法人宮城高等女学校」元理事長一力次郎、「宮城学院名誉評議員」に就任この年より「事務職員研修会」開始
1970(昭和45)年
4月1日
「日本基督教団仙台外記丁教会」牧師大沼隆、公選制最初の「宮城学院中学校・高等学校」校長に就任
5月25日 東京、市ヶ谷の「私学会館」において「基督教学校教育同盟」第58回総会開催(~26日)。この総会において同盟の「社団法人」化が議決され、
以降、「キリスト教学校教育同盟」と改称
6月30日 6月29日、阪田勝三学長の辞任により、石井昌光、「学長事務取扱」に就任
7月7日 「財団法人宮城高等女学校」元理事長・「宮城学院名誉評議員」・「宮城学院大援学後会」初代会長一力次郎逝去
10月9日 大講堂内に建造設置されたパイプオルガン(西ドイツ、ハノーヴァーのエミール・ハンマー社建造)奉献式
10月16日 「宮城学院中学校・高等学校入試委員会」と「宮城学院 女子大学入試管理委員会」との合同会が開催され、「宮城学院女子大学・女子短期大学」への
「無試験入学」志願者推薦に関して審議の結果「(1)高校側は志 願希望者全員を推薦する。(2)大学側は推薦書調査の後、主体的に選考する。但し、その際各科定員の20%以内の線は守る。(3)推薦制は存続する。」等 決定
1971(昭和46)年
2月11日
「宮城学院名誉教授」 L.A.リンゼイ、米国カンサス州アーカンソーシティにおいて逝去。
4月23日、宮城学院並びに宮城学院同窓会の共催で大講堂において追悼式挙行
4月1日 石井昌光、「宮城学院女子大学・女子短期大学」学長に就任。就任式は4月28日に挙行
5月 宮城女学校「高等女学科」第31回、「英文専攻科」第9回卒業生滝口篤子、「宮城学院同窓会」第10代会長に就任
10月8日 「宮城学院総合計画委員会」発足
10月18日 宮城学院創立85周年記念礼拝及び記念式典(記念説教:宮本武之助東京女子大学長)
10月19日 宮城学院創立85周年記念講演会(講師:森有正パリ大学教授、茅誠司元東京大学総長)
10月20日 『宮城学院報』創刊
1972(昭和47)年
4月1日
石井昌光学長、「学院長職務代行」を兼務(~8月17日)
4月10日 『宮城学院広報』創刊
8月18日 渡邉弘道事務局長、「学院長事務取扱」を兼務(~1973年3月31日)
1973(昭和48)年
4月1日
「東北学院大学」法学部教授佐藤昌彦、第3代「宮城学院長」に就任。5月16日に就任式挙行
4月1日 大沼隆、「宮城学院中学校・高等学校」校長に再選就任
8月13日 「宮城学院総合計画委員会」並びに「建設委員会」発足(10月1日、「建設委員会本部長」に松崎粲就任)
1974(昭和49)年
1月26日
「学校法人宮城学院理事会」は仙台市北西部の丸田沢地区(所謂桜ヶ丘地区)への総合移転を決定
4月1日 石井昌光、「宮城学院女子大学・女子短期大学」学長に再選就任
4月1日 「仙台高等学校」前校長高梨光、事務局長に就任
4月18日 石井昌光学長、「理事長職務代行」を兼務(~9月3日)
9月3日 石井昌光学長、「学院長職務代行」を兼務(~1975年3月31日)
1975(昭和50)年
4月1日
「恵泉女学園」元学園長・「キリスト教学校教育同盟」総主事清水二郎、第4代「宮城学院長」に就任。5月19日に就任式挙行
11月4日 「学校法人宮城学院」元理事長、「宮城学院名誉理事」矢野貫城逝去
1976(昭和51)年
4月1日
阿部富士雄、「宮城学院中学校・高等学校」校長に就任
10月18日 宮城学院創立90周年記念式典
1977(昭和52)年
4月1日
松崎粲、「宮城学院女子大学・女子短期大学」学長に就任
8月1日 「東京女子大学」前事務長小林義一、事務局長兼法人室長(嘱託)に就任
9月18日 『宮城学院最近10年小史』発行
11月21日 「宮城学院名誉理事」平山信子逝去
1978(昭和53)年
6月12日
午後5時15分、宮城県沖地震発生、宮城学院の被害総額2,000万円を超える
7月31日 「総合移転建設工事」本契約調印式
8月11日 「総合移転建設工事」仕事始め式
9月22日 岩井淳一理事、「学院長事務取扱」を兼務(~1979年3月31日)
10月16日 桜ヶ丘校地への総合移転建設工事起工式

神にむかひて歓びよばはれ

~1979(昭和54)年 ~1986(昭和61)年 移転から「百周年」まで

1979(昭和54)年
4月1日
「専修大学」文学部主任教授早坂禮吾、第5代「宮城学院長」に就任。5月16日に就任式挙行
4月1日 阿部富士雄、「宮城学院中学校・高等学校」校長に再選就任
5月9日 新制度として設けられた「大学名誉教授規程」施行により在職37年並びに36年の経歴を有する石井昌光並びに森下金二郎に新制度「名誉教授」称号の第1号並びに第2号を授与
5月31日 総合移転に伴う「大学寮用地」を泉市長命ケ丘に購入
7月7日 「総合移転推進本部」発足(本部付11名)
1980(昭和55)年
4月1日
松崎粲、「宮城学院女子大学・女子短期大学」学長に再選就任
6月1日 「宮城学院同窓会」主催「赤レンガの大講堂へのさよなら演奏会」開催(W.S.カンディフ教授によるシューベルトのピアノ・ソナタ第18番「幻想」)
7月29日 長命ヶ丘校地に「大学寮(橄欖寮)」起工式
8月7日 「桜ケ丘校地」への引越トラック第1陣の輸送開始(大小3万個の荷物の輸送、9月30日完了)
9月1日 「幼稚園校舎」献堂式(午前9時30分)
9月8日 「高等学校校舎」献堂式(午前8時50分)
「中学校校舎」献堂式(午前10時5分)
10月1日 「大学校舎」献堂式(午前10時)
「短期大学校舎」献堂式(午後1時30分)
10月4日 「同窓会館」献堂式(午後1時30分より会館内「資料室」において)
10月25日 「宮城学院新キャンパス(所謂「桜ヶ丘校地」)落成献 堂記念式典」挙行(司式並びに説教:学校法人宮城学院理事 山本尚忠仙台広瀬河畔教藤利吉理事長、式辞:早坂禮吾学院長、祝辞:キリスト教学校教育同盟東北・北海会牧師、献堂の辞:佐道地区代表理事 小田忠夫東北学院長、衆議院議員三塚博 元文部政務次官、山本壮一郎宮城県知事、島野武仙台市長、「米国合同教会世界宣教局」代表ポール・クレイトン博士)。新キャンパス建設工事の一環として宮 城学院正門前に赤御影石の「宮城学院標石」(日展無審査・天城鈴木三省筆)設置された
11月25日 「宮城学院礼拝堂」へのパイプオルガン移設工事完了引渡
12月1日 今野恒四郎、事務局長に就任
「宮城学院資料室兼百年史編纂室」を設置し渡邉弘道元事務局長が室長就任
12月14日 「宮城学院礼拝堂(礼拝堂タワーに「宮城学院同窓会」より寄贈の12個のキャリオン設置)」落成献堂記念パイプオルガン演奏会(パリ国立高等音楽院名誉教授アンリエット・ピュイグ・ロジェ)
12月19日 午後3時30分より「新キャンパス」(「桜ヶ丘校地」)における最初の「全学院教職員クリスマス礼拝」(説教・「天のクリスマス」:前東京神学大学長竹森満佐一吉祥寺教会牧師)を新装なった「宮城学院礼拝堂」で挙行。教職員の家族の他に桜ヶ丘地域の市民も招待
1981(昭和56)年
3月24日
「橄欖寮」献堂式
3月26日 「建設本部」並びに「移転推進本部」解散
4月1日 大学・短期大学の「礼拝」時間を12時20分~45分に変更
5月17日 宮城学院同窓会第1回「ホームカミングデー」
5月 宮城女学校「高等女学科」第39回、「音楽専攻科」第16回卒業生伊藤久子、第11代同窓会長に就任
10月9日 宮城学院創立95周年記念式典(礼拝)並びに記念講演会 (説教・「結実」:日本基督教団東北地区総会議長深田寛仙台北三番丁教会牧師、
講演講師・「キリスト教的人間観」:日本基督教学会会長中川秀恭国際基督教 大学長、「古代メソポタミヤ文明と 旧約聖書」:日本オリエント学会名誉会長・中近東文化センター総裁三笠宮崇仁殿下)
1982(昭和57)年
3月13日
「キリスト教学校教育同盟」東北・北海道地区代表理事・「学校法人宮城学院」元理事・元評議員小田忠雄東北学院理事長・学院長・大学長逝去
4月1日 大沼隆、中学校・高等学校校長に就任。就任式は5月8日に挙行
6月4日 「キリスト教学校教育同盟」第70回総会、本学院で開催(~5日)
6月24日 「学校法人宮城学院」元理事・元評議員三沢房太郎「大学後援会名誉会長」逝去
10月2日 中学校・高等学校講堂に設置されたカナダ、カサバンフレール社製のパイプオルガン(可動式)奉献式(奉献演奏:岡井晃青山学院大学教授)
10月12日 同窓会主催 M.A.ガーナー、W.S.カンディフ、J.J.ランディス在職30周年記念感謝の会(「ホテル仙台プラザ」において)
10月27日 「宮城学院桜ケ丘キャンパス」が建築業界の最高峰といわれるBCS(Building Constructors Society)賞(「財団法人建築業協会」の「建築業協会賞」)受賞
11月 英文学科・日本文学科・家政学科・家政科(短期大学)の一般推薦入学開始。
保育科(短期大学)の一般推薦入学開始は翌年度から。
11月26日 「学校法人宮城学院名誉理事」・「宮城学院中学校・高等学校父母教師会」初代会長大石栄一逝去
1983(昭和58)年
1月
本年度より「事務局新年礼拝」を開始(説教・田中従夫「仙台東一番丁教会」牧師)
4月1日 2月16日の法人理事会で学院長に再選された早坂禮吾、学院長に就任
山形孝夫、女子大学・女子短期大学学長に就任
本学年度より事務局(大学・短大)に「入試事務室」設置
8月2日 東三番丁・旧キャンパス時代の「六角池」の復元工事に着手。その工事費は「宮城学院同窓会」の寄贈による。
9月18日「宮城学院創立記念日」に「建学の泉」として落成
「宮城学院・女性のための生涯教育講座」開始
1984(昭和59)年
2月
「女子大学・短期大学」においては受験生の便宜のため1984年度入学試験試
鍬験場を本年度より秋田市内にも開設
4月 米国合同教会(United Church of Christ)世界宣教局 P.R.グレゴリー総主事「宮城学院女子大学音楽科奏楽堂」(Kate I.Hansen Memorial Hall)建設並びに同奏楽堂内パイプオルガン建造のための資金寄贈者デーン・G・ベールズ「ハンセン財 団」理事長(K.I.ハンセン名誉教授甥)夫妻来日・来校
10月31日 W.S.カンディフ、ピアノリサイタル(100周年基金のため)
1985(昭和60)年
4月1日
4月1日 大沼隆、中学校・高等学校校長に再選就任
4月 女子大学・短期大学「教職センター」設置
5月1日 「中学校主任」及び「高等学校主任」をそれぞれ「中学校教頭」「高等学校教頭」と呼称することとする
7月 「宮城学院創立100周年記念行事準備委員会」発足(委員20名)。5月7日、第1回準備委員会開催
8月1日 「女子大学」英文学科生の海外研修開始
12月4日 長谷川英敏、事務局長に就任
1986(昭和61)年 「ハンセン財団」から寄贈の「ケート・I・ハンセンメモリアルホール」に建造設置されたスイス、サンマルタン社製のパイプオルガン奉献式(奉献演奏:佐藤ミサ田園調布カトリック教会オルガニスト)
4月1日 山形孝夫、女子大学・女子短期大学学長に再選就任
5月2日 宮城学院創立100周年記念中学校運動会
5月9日 宮城学院創立100周年記念高等学校運動会
5月15日 宮城学院創立100周年女子大学・短期大学新入生歓迎スポーツ祭
5月18日 宮城学院創立100周年宮城学院同窓会第6回ホームカミングデー
5月19日 宮城学院創立100周年記念「宮城学院・東北学院共催NHK交響楽団演奏会」(於:宮城県民会館)
5月31日 宮城学院創立100周年記念岡本由紀子(「宮城女学校」第7回卒業生小泉はる《日本最初の女流新聞記者として活躍した磯村春子》を
モデルにしたNHK朝の連続テレビ小説『はね駒』の演出家)講演会
7月1日 「宮城学院創立100周年『目で見る』編集委員会」発足(委員9名)
8月6日 宮城学院創立100周年記念「仙台七夕」参加(~8日)
9月17日 宮城学院創立100周年記念喜多流「能」公演
9月18日 宮城学院創立100周年記念日、「創立記念礼拝」(説教「イエス・キリストは主である」:学校法人宮城学院理事山本尚忠仙台広瀬河畔教会牧師)並びに
「墓前礼拝」(「金銀は我になし」:資料室渡邉弘道)
9月21日 宮城学院創立100周年記念「幼稚園大運動会」
9月30日 宮城学院創立100周年記念「国立モスクワ合唱団」公演
10月9日 宮城学院創立100周年記念彫刻「帽子の像」(佐藤忠良作)除幕式並びに講演会
10月11日 宮城学院創立100周年記念式典(式辞:早坂禮吾学院長、祝辞:山本壮一郎宮城県知事、S.リベイ「米国合同教会」世界宣教局副理事長、久山康「キリスト教学校教育同盟」理事長、伊藤久子「宮城学院同窓会」会長)
『宮城学院目でみる100年』発行
10月15日 宮城学院創立100周年記念オリジナルミュージカル“Heart by Heart Tour”公演 (~18日)
11月1日 宮城学院中学校・高等学校創立100周年記念式典及び音楽会(於県民会館)
11月16日 宮城学院創立100周年記念林秀光ピアノリサイタル
11月24日 宮城学院創立100周年記念ロンドンシェークスピアグループ「ハムレット」公演

自由・愛

~1987(昭和62)年 ~2016(平成28)年 「130周年」まで

1987(昭和62)年
1月17日
宮城学院は創立以来一世紀にわたる基督教主義教育によって幾多の人材の育成と社会の発展に寄与したとして、東北学院と共に「河北文化賞」を受く
2月 「宮城学院特定基金」募集開始
3月31日 宮城学院の100年史『天にみ栄え-宮城学院の百年-』発行
4月1日 山室章、第6代学院長に就任
4月12日 「学校法人宮城学院」評議員、女子大学名誉教授、元学長石井昌光逝去
6月20日 ゲルハルト・オピッツピアノ演奏会
7月16日 幼稚園舎増築工事起工式
10月25日 理事、評議員改選、佐藤利吉、理事長に再選
11月10日 幼稚園舎増築工事献堂式
1988(昭和63)年
4月1日
福井喜江、中学校・高等学校校長に就任
「国際交流センター」開設
7月19日 教育基金のための募金廃止
9月24日 講義館5階改修工事(国際文化科用研究室等)完成
12月1日 女子大学、北アリゾナ州立大学と交換計画協定(教員の派遣、大学院学生の実習生としての受入等)締結
12月22日 短期大学に国際文化科設置認可(入学定員70名)短期大学保育科の入学定員変更認可(100名から80名に)
1989(平成元)年
3月17日
第1回中学・高等学校海外(アメリカ)研修旅行
4月1日 松崎粲、第7代学長に就任
4月1日 「宮城学院生涯学習センター」開設、塚本哲人、所長に就任
7月18日 仙台市青葉区中央四丁目の旧キャンパス西南角に設置された「宮城学院跡地記念碑」除幕式
7月20日 生涯学習「ウィメンズ・カレッジ・インみやぎ」開講式(講座は10月26日まで)
10月3日 事務局機構改革(部長制発足)
1990(平成2)年
4月1日
鈴木登、第9代幼稚園長に就任
設備運転業務(ボイラー等)を業者委託
5月5日 「学校法人宮城学院」元学院長佐藤昌彦逝去
5月20日 「宮城学院女子大学英文学科」第4回卒業生庄子泰子、「宮城学院同窓会」第12代会長に就任
10月25日 理事・評議員改選、佐藤利吉、理事長に再選就任
1991(平成3)年
1月29日
宮城学院前地下横断歩道渡り初め
4月1日 大沼隆、第14代校長に就任
古田倭文男、第10代幼稚園町に就任
マーガレット・アン・ガーナーに名誉教授号を授与
6月18日 「第二講義館」及び「大学図書館」等増築工事開始
12月9日 「ハイデルバーグ大学」との姉妹校協定調印式
1992(平成4)年
1月18日
「宮城学院女子大学」名誉教授、「宮城学院同窓会」前会長、「学校法人宮城学院」元理事、元評議員伊藤久子逝去
3月24日 「第2講義館」の定礎式
4月1日 小野忠信、第7代学院長に就任
野坂東作、第8代学長に就任
「大学院等設置準備室」設置
4月18日 「第2講義館」献堂式
6月25日 宮城学院前都市計画道路開通
9月24日 「学校法人宮城学院寄附行為」変更認可
11月17日 寄附行為変更に伴う役員改選で新理事会発足。松崎粲、第7代理事長に就任
12月12日 女子大学収容定員の増加に係わる学則変更認可(第三年次)
1993(平成5)年
4月1日
鈴木登、第11代幼稚園長に就任
10月26日 「宮城学院特定基金」を中止し「宮城学院創立110周年記念事業寄付金」の募金開始
12月3日 「学校法人宮城学院」元理事、元評議員、「宮城学院同窓会」元会長滝口篤子逝去
1994(平成6)年
4月1日
田中弘志、第15代校長に就任
4月1日 中学校・高等学校、「隔週五日制」実施
4月1日 「宮城学院キリスト教センター規程」制定、資料室の設置
5月3日 ウイリアム・S・カンディフ「宮城学院名誉理事」に就任
8月1日 軽井沢校地の隣接地397㎡購入
9月16日 同窓会創立百周年記念展示会(~22日、藤崎デパートリビング館6階市民ホール)
9月28日 「宮城学院キリスト教センター」開所
12月15日 女子大学に「人間文化学科」設置認可(短期大学の「教養科」は廃止となる)
1995(平成7)年
1月18日
「学校法人宮城学院」元学院長清水二郎逝去
1月30日 「宮城学院資料室」機関誌『信・望・愛』創刊号刊行
3月16日 宮城学院女子大学・大学院「人文科学研究科」設置認可
女子大学・短期大学「第2講義館」増築棟建設工事(565.19㎡)起工式
4月1日 野坂東作、「宮城学院女子大学・女子短期大学」学長に再選就任
ウイリアム・S・カンディフ、佐伯晴郎、菊地明子に名誉教授称号を授与
5月23日 女子大学はクイーンズランド工科大学と交換計画協定(1年に2名まで)を締結
6月29日 大学・教職課程認定実地審査
8月25日 仙台市主催「第2回若い音楽家のためのチャイコフスキー国際コンクール」の公式練習場として施設を提供の協力(~9月10日)
11月28日 理事・評議員改選。松崎粲、理事長に再選就任
1996(平成8)年
3月21日
女子大学・同短期大学「第2講義館」増築棟献堂式
4月1日 松崎粲理事長、学院長代行に就任
5月19日 創立110周年記念ホームカミングデー
5月 女子大学「音楽科」第1回卒業生鈴木知、「宮城学院同窓会」第13代会長に就任
6月3日 「宮城学院キリスト教センター」は第1回「聖書に親しむ」(講師:濱野道雄南光台教会牧師)を開講
6月8日 創立110周年記念・大学院開学1周年記念公開講演会(講師:鈴木善三大学院教授、蒲生芳郎名誉教授)
6月13日 創立110周年記念大学・短大キリスト教教育特別集会
6月17日 宮城学院キリスト教センターは第1回「聖書のお話し」(講師:深田寛仙台北三番丁教会牧師)開講
7月1日 創立110周年記念刊行の『E・R・プールボー書簡集(英文資料)』刊行
7月16日 「理事会の運営に関する規程」制定
8月26日 「米ヶ袋大学寮」解体工事開始(~11月19日)
9月20日 創立110周年記念墓前礼拝(同窓会主催)
9月20日 創立110周年記念全学院教職員礼拝・創立110周年記念講演会(講師:明治学院大学名誉教授金井信一郎聖学院大学名誉学長)
10月5日 創立110周年記念礼拝(説教:宮城学院理事出村彰東北学院大学副学長)並びに記念式
10月6日 創立110周年記念文化講演会(講師:渡辺和子ノートルダム清心学園理事長)並びに記念演奏会
10月26日 キリスト教文化研究所・宮城学院創立110周年記念公開講演会(講師:外間守善沖縄学研究所長)
10月27日 創立110周年記念音楽科コンサート(宮城学院大学講堂)
12月13日 創立110周年記念宮城学院クリスマス礼拝(説教:竹前治仙台東一番丁教会牧師)
1997(平成9)年
2月10日
「学校法人宮城学院」元学院長早坂禮吾逝去
2月20日 大学院・人間文化学科設置にかかる文部省実地調査
3月 女子大学・短期大学は『宮城学院女子大学・短期大学白書』を刊行
4月1日 足立智昭、第12代幼稚園長に就任
11月1日 高等学校収容定員に係る変更認可申請(1998年4月1日~1999年3月31日、840名・入学定員280名)
11月1日 中学校収容定員に係る変更認可申請(1998年4月1日~1999年3月31日、570名・入学定員190名)
1998(平成10)年
3月16日
故菅谷よし子教授追悼式
4月1日 安部元雄、第9代学長に就任
6月30日 大学院「人文科学研究科人間文化学専攻」設置申請
7月14日 中学・高校新館(ランディス館)起工式
7月22日 ハイデルバーグ大学学長来学
2月5日 高等学校収容定員に係る変更認可申請(1999年4月1日~2000年3月31日、840名・入学定員280名)
2月5日 中学校収容定員に係る変更認可申請(1999年4月1日~2000年3月31日、570名・入学定員190名)
4月1日 深谷松男、第8代学院長に就任
古田倭文男、第13代幼稚園町に就任
5月14日 中学校・高等学校新館(ランディス館)定礎式・献堂式
5月25日 第2家政館新館工事・第2講義館増築工事起工式
9月25日 女子大学・短期大学設置50周年企画(沖縄「組踊り」公演)
10月9日 女子大学・短期大学設置50周年記念礼拝・記念式・講演会・演奏会・祝賀会
10月16日 女子大学・短期大学設置50周年企画(「講演会」)
10月17日 女子大学・短期大学設置50周年企画(エチオピア・クィーン・シバ民族舞踏団公演)
10月21日 女子大学・短期大学設置50周年企画(「歌舞伎鑑賞講座」)
10月22日 女子大学「食品栄養学科(入学定員100名)」「生活文化学科(入学定員60名)」「発達臨床学科(入学定員80名)」「国際文化学科(入学定員130名)」の設置認可
10月24日 ハンセン先生・リンゼイ先生関係資料の調査および第一次資料蒐集(~31日、カンザス大学)
11月3日 女子大学・短期大学設置50周年企画(保育者と親子のための「子どものあそびとうたコンサート」)
11月13日 女子大学・短期大学設置50周年企画(「特別講演会」)
11月13日 女子大学・短期大学設置50周年企画(「公開レクチャー」)
11月16日 女子大学・短期大学設置50周年企画(「公開学術講演会」)
11月25日 ハンセン先生・リンゼイ先生関係資料の調査および第一次資料蒐集帰国報告会
12月4日 女子大学・短期大学設置50周年企画(「公開シンポジウム」)
2000(平成12)年 家政学科と家政科、保育科、国際文化科を改組し、大学学芸学部に食品栄養学科、生活文化学科、発達臨床学科、国際文化学科を開設し、学芸学部が8学科となる
鈴谷輝秋、第16代校長に就任
キリスト教教育特別集会。講師宮田光雄氏
講演「仙台から来た千人の女学生」石井喬氏
大・短50周年記念講演会。講師津島佑子氏
3月 『宮城学院礼拝ガイドブック』刊
4月 女子大学に新4学科開設(国際文化学科、発達臨床学科、食品栄養学科、生活文化学科
9月23日 大・短50周年記念「音楽科オペラ公演」
11月25日 故山内忠先生追悼式
3月3日 さよなら保育科、家政科の半世紀を振り返る会
2001(平成13)年
3月19日
短期大学最後の卒業証書授与式挙行(短期大学保育科、家政科、国際文化科廃止)
2001(平成13)年
4月1日
大沼隆、初代宗教総主事に就任
広利吉治、第14代幼稚園長に就任
齋藤惠子、第14代同窓会長に就任
11月18日 本学最後の教育宣教師マーガレット・A・ガーナー先生告別式
7月12日 カンザス大学(合衆国)よりハンセン先生・リンゼイ先生関係資料到着(マイクロフィルム60巻、写真1450枚)
10月26日 ガーナー先生記念碑除幕式
2003(平成15)年
4月1日
足立智昭、第15代幼稚園長に就任
12月17日 第1回ハートフル童話賞授賞式
1月12日 韓国国立忠南大学校と交流協定締結
3月25日~30日 英国シティ・カレッジ・マンチェスターと派遣協定締結
2005(平成17)年
4月1日
吉崎泰博、第10代学長に就任
畑山みさ子、第16代幼稚園長に就任
4月1日 大学院に生活文化デザイン専攻を開設
10月20日 創立120周年記念「子どもの育ちを語る夕べ:国連子どもの権利委員さんをお招きして
10月21日 幼稚園創立50周年記念式(礼拝堂)記念式典・祝賀会(於・国際ホテル)
10月22日 幼稚園創立50周年記念ミュージカル 「幸福の王子」公演 於:大学講堂
2006(平成18)年
4月1日
伊藤香美子、第17代校長に就任
4月3日 礼拝堂増築工事起工式
5月10日 120周年記念「菓子創作・ハートフル童話集・MGソング」発表会
5月28日 同窓会 創立120周年記念ホームカミングデー
6月16日 同窓会 120周年記念コンサート 於:電力ホール
6月24日 120周年記念「映画ベアテの贈りもの上映会」
9月6日 中国遼寧師範大学と学術交流の合意書締結
10月28日 創立120周年記念式典・記念講演会 於:大学講堂・記念祝賀会 於:国際ホテル
11月18日 創立120周年記念演奏会「天地創造」より 於:宮城県民会館
11月25日 120周年記念「沖縄八重山の芸能」公演
12月 カナダの州立ウィニペグ大学と提携協定締結
2007(平成19)年
4月1日
心理行動科学科、児童教育学科設置
4月18日 酒井薫、中高宗教主事就任式 
10月18日 プールボー書簡集(日本語)刊行
11月2日~7日 「宮城学院の120年」展 於:仙台メディアテーク
11月28日 出村彰、第8代理事長に就任
2008(平成20)年
4月1日
大学院に健康栄養学研究科 新設
5月25日 岩井陽子、第15代同窓会長に就任
2009(平成21)年
4月1日
松本宣郎、第9代学院長に就任
4月1日 石井道夫、第18代校長に就任
白木悦子、第17代幼稚園長に就任
4月1日 生活文化学科名称変更「生活文化デザイン学科」に
8月29日 大学設置60周年記念コンサート 於:八戸市
9月27日 故佐藤利吉元理事長記念礼拝
11月23日 宮城学院女子大学音楽科付属音楽教室 創設50周年記念アンサンブルステージ 於:東京エレクトロンホール
3月1日 仙台駅前に宮城学院女子大学看板設置
2010(平成22)年
4月24日
故W.S.カンディフ元宣教師 宮城学院名誉理事・名誉教授記念礼拝
8月中 パイプオルガン耐震補強作業
9月19日 元大学・短期大学学長 坂田勝三逝去
3月11日 東日本大震災
3月21日 宮城学院礼拝 大震災記念礼拝
2011(平成23)年
4月1日
海野道郎、第11代学長に就任
  三浦友悦、第18代幼稚園長に就任
4月27日 宮城学院礼拝 – 東日本大震災の被災者を覚えて
9月18日 2010年度大学卒業生および修了生のつどい
2012(平成24)年1月1日 第6代学院長(1987-1991)山室章先生ご逝去
4月1日 松本宣郎、第19代校長に就任
5月27日 清水惠子、第16代同窓会長に就任
6月7日 元理事長(1992-2008)、元学院長(1996-99) 松崎粲先生ご逝去
8月31日 学校法人宮城学院 東日本大震災の記録発行
10月6日 元理事長、元学長 故松崎粲記念会
2013(平成25)年1月1日 小林信夫、第10代理事長に就任
3月15日 大学新大学寮(さくら寮)献堂式
4月1日 「さくら寮」完成
海野 道郎学院長代行就任
松本利勝、第20代校長就任
2014(平成26)年4月1日 嶋田順好、第10代学院長に就任
4月1日 平川新、第12代学長に就任
2015(平成27)年4月1日 嶋田順好、第21代校長に就任
4月1日 平川新、第19代幼稚園長に就任
2016(平成28)年4月1日 大学 4学部9学科へ
女子大学4学部(女子大学4学部(現代ビジネス学部、教育学部、生活科学部、学芸学部)、9学科(現代ビジネス学科、教育学科、食品栄養学科、生活文化デザイン学科、日本文学科、英文学科、人間文化学科、心理行動科学科、音楽科)、授業時間が1コマ90分授業へ
幼稚園 幼稚園型認定こども園宮城学院女子大学附属幼稚園へ
4月1日 沢田石 道子、第20代幼稚園長に就任
5月17日 長井祥子、第17代同窓会長に就任
5月18日 創立130周年記念音楽会開催
5月21日 創立130周年記念 中高生による人文字「MG」の撮影
9月13日 初代校長エリザベスR.プールボー記念碑除幕式
9月17日 創立130周年記念礼拝
10月8日 創立130周年記念式典、記念祝賀会開催。
10月31日 宮城学院女子大学附属幼稚園廃園
11月1日 宮城学院女子大学附属認定こども園「森のこども園」開園
11月25日-11月30日 創立130周年記念「詩画と音楽でつづる星野富弘の世界―響きあう心―」詩画展開催
コンサート開催(11月26日)
11月28日 宮城光信、第11代理事長に就任

隣人を自分のように愛しめよ

~2017(平成29)年 ~

2017(平成29)年4月1日 鎗田謙一、第22代校長に就任
2017(平成29)年9月 宮城学院女子大学聖歌隊発足
2018(平成30)年5月17日 同窓会設立125周年
7月18日 ランカスター神学校キャロル・E・リッチ校長来校
2019(平成31)年 大学開学70周年  記念事業一覧
2019(平成31)年4月1日 杉本きみ子、校長代行に就任
2019(平成31)年4月 大学学芸学部児童教育学科廃止
2019(令和元)年11月28日 海野道郎、第12代理事長に就任
2020(令和2)年4月1日 末光眞希、第13代学長に就任
2020(令和2)年4月 大学学芸学部発達臨床学科廃止
2021(令和3)年4月1日 平林 健、第23代校長に就任
2021(令和3)年4月 大学学芸学部食品栄養学科廃止
大学学芸学部生活文化デザイン学科廃止
2022(令和4)年4 佐々木哲夫、第11代学院長に就任