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沿革

1960(昭和35)年
1月11日
「高等学校新校舎」(第1期工事351坪)献堂式
4月1日 「女子大学」免許状授与の所要資格を得させるための正規の課程認定(保健・家庭)
4月1日 戦後14年間、基督教女子教育に専念した「弘前学院」学院長小田信士、第2代「宮城学院」学院長、併せて、第2代「宮城学院女子大学・女子短期大学」学長、第2代「宮城学院中学校・高等学校」校長に就任
4月1日 菅野章夫、事務局長に就任
6月8日 宮城学院の将来的発展を展望して総合的観点から諸計画を立 案検討するため、「企画委員会」を創設。委員は「学校法人宮城学院」理事長、学院長、常務理事2名、学内理事2名、事務長、大学教務部長、大学学生部長、 高校主事、中学主事、大学各科長5名、高校教務主任、中学校教務主任、庶務会計課長、大学後援会長、中学・高校父母教師会長の21名からなる。
「宮城学院施設拡充10ヵ年計画」は「企画委員会」において企画され実施されるに至る
6月17日 宮城学院長宅用地として市内堤通86番地に宅地取得
7月22日 「高等学校新校舎」(第2期工事459坪)鍬入式
8月29日 福島県穴原温泉吉川屋旅館を会場として「全学院専任教職員修養会」開催(~31日、講師は松木治三郎関西学院大学神学部教授)
1961(昭和36)年
1月20日
宮城郡七ヶ浜吉田浜の校有地729坪(土井晩翠並びに東北学院教授館岡剛より寄贈)を東北電力株式会社仙台火力発電所関係施設のため提供し、同社より代替地を受ける売買契約成立
5月23日 「高等学校新校舎」落成(鉄筋コンクリート4階建810坪)。当工事援助のため「宮城学院中学校・高等学校父母教師会」から校舎建築資金の寄附あり
6月14日 小田学院長、「世界教育者会議」(於ニューデリー)出席並びに欧米視察(~8月16日)8月10日 学生ホール調理室を栄養士集団実習室に改造及び大講堂フローリング工事
9月10日 K.I.ハンセン、L.A.リンゼイ両教授より「宮城学院同窓会」に寄贈の「軽井沢山荘」に隣接のシュレーヤー所有別荘(土地213坪、木造2階建45坪)の寄贈を受け、「軽井沢山荘別館」と称して「軽井沢山荘」と同様に同窓会の運営とする
9月26日 文部省、「中学校全国一斉学力テスト」実施
10月5日 「女子大学」に栄養士養成施設認定
10月6日 宮城学院創立75周年記念諸行事(~13日):(1)記念礼拝・10月7日午前10時、説教者・桑田秀延東京神学大学長、(2)記念講演会・10月7日午後2時、講師・茅誠司東京大学総長、(3)記念式典・10月9日午前10時、
1962(昭和37)年
3月3日
第7代校長 C.D.クリーテ、米国カリフォルニア州クレアモントにて逝去
8月23日 「企画委員会」企画の「宮城学院施設拡充10ヵ年計画」実施のため「宮城学院施設拡充協力定期預金制度」が「学校法人宮城学院理事会」において承認される
9月16日 「協力定期預金制度」発足
1963(昭和38)年
1月10日
「大学新館」工事鍬入式
2月15日 「女子短期大学保育科」に「保母養成施設」認可
4月5日 「宮城学院愛子グラウンド」用地として宮城郡宮城村上愛子松原に土地約46,000㎡(約1万4200坪)取得
6月28日 西山貞名誉学院長、小田信士学院長沖縄教育事情視察(~7月3日)
1964(昭和39)年
1月10日
「大学新館」(鉄筋コンクリート造地下1階地上5階延床面積5,110㎡〈延坪1,548坪〉)建築工事竣工、総工費 1億7,000万円
1月11日 「女子大学」に「日本文学科」増設申請認可
1月17日 「女子短期大学」に「教養科」増設申請認可
2月24日 「女子大学」(国語・書道)及び「女子短期大学」(国語)免許状授与のための課程認定
2月28日 宮城郡宮城町芋沢字向田に土地1,000坪取得
4月13日 「中学校・高等学校総合校舎」(鉄筋コンクリート造地下1階地上4階、屋上に天体観測ドーム設備、延1,275坪)建築工事鍬入式
7月11日 文部省委嘱「図書館司書・司書補講習会」を「大学新館」5階合同講義室で開催(~8月31日、1979年度まで毎年)
8月31日 市内郡山字新々田に土地417坪取得
10月17日 「宮城学院愛子グラウンド」造成工事着手
11月20日 「大学新館」・「中学校・高等学校総合校舎」献堂式。 
「第3校舎」・「第5校舎」・「中学校図画教室」は解体。「第6校舎」階下南東2教室を「仙台アメリカンスクール」に貸与し、2階は「大学」並びに「中 学・高校」の仮寮とし、他は「学友会」・「学生自治会」・「生徒会」・「同窓会」用の諸室として使用することとする
1965(昭和40)年
3月13日
「宮城学院仮寮」(旧「第6校舎」2階)改造工事開始
4月19日 宮城郡泉町(当時)市名坂字天神沢に土地約65,000㎡(約2万坪)取得
5月8日 「宮城学院女子大学学則一部変更」申請認可(図書館学)により、「英文学科」及び「日本文学科」の教職に関する専門科目に「図書館学」を加え、
「司書」資格を得させること可となる
5月10日 新「米ケ袋寮」(所謂「米ヶ袋大学寮」)建築工事(鉄筋コンクリート造、地下1階地上5階、延656坪)鍬入式
6月3日 東三番丁校地内のグラウンド造成工事(テニスコート3面、バレーコート2面、バスケットコート1面)
8月24日 「中学校・高等学校総合校舎」屋上に「音楽教室」を増築並びに従来の「音楽室」を「図書室」並びに「普通教室」に改造の工事開始
8月30日 「栄養士養成施設」教育課程承認
1966(昭和41)年
3月22日
「宮城学院愛子グラウンド」附属建物「愛子スクール・ハウス1号館」建築工事開始
4月1日 「宮城学院女子大学」に「キリスト教文化研究所」設置
5月7日 「宮城学院名誉学院長」西山貞、東京(武蔵野日赤病院)において逝去、同14日、宮城学院「大講堂」において宮城学院葬
7月 「愛子スクール・ハウス1号館」落成
9月2日 「宮城学院女子大学」に「生活科学研究所」設置
10月12日 宮城学院創立80周年記念礼拝(説教:武藤富男明治学院長)
10月14日 宮城学院創立80周年記念式典並びに「米ヶ袋大学寮」献堂式
10月31日 『宮城学院80年小誌』発行
1967(昭和42)年
1月28日
「第1校舎」である「旧 大学図書館」並びに「第4校舎」を解体し「新大学図書館兼校舎」(鉄筋コンクリート造地下1階地上5階、地下に学生食堂、1階に大学図書館、2階から4階 を大学講義室、4階の1部及び5階に研究室の延面積4,128㎡)建設工事鍬入式。尚、翌1968(昭和43)年2月に「新大学図書館兼校舎」(「第1校 舎」)建築工事落成(総工費1億2,500万円)に伴い、宮城学院内各校舎名称を全面的に変更し、「本館」、「体育館」、「大講堂」以外の校舎を「第1校 舎」が「1号館」、「第2校舎」が「2号館」、「大学新館」が「3号館」、「第7校舎」が「4号館」、「中学校・高等学校総合校舎」が「5号館」(柳町 側)及び「6号館」(東三番丁側)、「第6校舎」が「7号館」のごとく「1号館」より「7号館」までの呼称とする。
2月3日 「図書館司書課程」を「女子大学」の「日本文学科」・「英文学科」に設置認可
4月18日 「女子大学・女子短期大学」において「新入生オリエンテーションキャンプ」開始
5月23日 小田信士学院長、渡欧米(~8月3日)
9月16日 「学校法人宮城学院理事会」は大学本来の使命を達成するために大学の制度上の問題を審議し、大学の組織と機構の改革をはかることを目的とする「宮城学院・大学制度審議会」設置を承認
12月20日 「女子大学」に「家政学科管理栄養士専攻課程」認可
1968(昭和43)年
1月4日
「宮城学院名誉教授」 K.I.ハンセン、米国カンザス州ローガン近郊の「ノートン病院」で逝去、1月26日、宮城学院並びに宮城学院同窓会の共催で「1号館」4階大講義室で追悼式挙行
2月 「在日宣教師社団」から寄贈の2階建旧「宣教師館」を「宮城学院愛子グランド」内に改装移築工事完成し、「愛子スクール・ハウス2号館」と称して使用開始
3月1日 「8号館」(「中高寮」及び「保育科」並びに「幼稚園」を含む総合校舎)建築工事の鍬入式
3月15日 「宮城学院女子大学教育問題協議会」設立
10月 「宮城学院中学校」において「推薦入試制度」開始
11月15日 「1号館」・「愛子体育館」・「8号館」合同献堂式挙行(「1号館」において)
1969(昭和44)年
2月
「宮城学院高等学校」から「宮城学院女子大学・短期大学」への「無試験入学」志願者の推薦資格決定((1)年4回の定期考査成績平均80点以上で且つ年5回の実力考査成 績平均40点以上、(2)推薦に足る人物、(3)専願である)
4月 「学校法人宮城学院寄附行為」一部変更申請、「制度改革」行われる
4月1日 阪田勝三、公選制最初の「宮城学院女子大学・女子短期大学」学長に就任。
就任式は5月28日に挙行
4月1日 「宮城学院中学校」主事渡邉弘道、事務局長に就任
9月3日 「学校法人宮城学院寄附行為」一部変更認可
9月18日 新「寄附行為」に基づいて選任された最初の理事、監事、評議員就任
9月 佐藤利吉、「学校法人宮城学院」理事長に就任
矢野貫城「学校法人宮城学院」前理事長、村上兵助前常任理事、平山信子前理事の3名、「宮城学院名誉理事」に就任
「財団法人宮城高等女学校」元理事長一力次郎、「宮城学院名誉評議員」に就任この年より「事務職員研修会」開始
1970(昭和45)年
4月1日
「日本基督教団仙台外記丁教会」牧師大沼隆、公選制最初の「宮城学院中学校・高等学校」校長に就任
5月25日 東京、市ヶ谷の「私学会館」において「基督教学校教育同盟」第58回総会開催(~26日)。この総会において同盟の「社団法人」化が議決され、
以降、「キリスト教学校教育同盟」と改称
6月30日 6月29日、阪田勝三学長の辞任により、石井昌光、「学長事務取扱」に就任
7月7日 「財団法人宮城高等女学校」元理事長・「宮城学院名誉評議員」・「宮城学院大援学後会」初代会長一力次郎逝去
10月9日 大講堂内に建造設置されたパイプオルガン(西ドイツ、ハノーヴァーのエミール・ハンマー社建造)奉献式
10月16日 「宮城学院中学校・高等学校入試委員会」と「宮城学院 女子大学入試管理委員会」との合同会が開催され、「宮城学院女子大学・女子短期大学」への
「無試験入学」志願者推薦に関して審議の結果「(1)高校側は志 願希望者全員を推薦する。(2)大学側は推薦書調査の後、主体的に選考する。但し、その際各科定員の20%以内の線は守る。(3)推薦制は存続する。」等 決定
1971(昭和46)年
2月11日
「宮城学院名誉教授」 L.A.リンゼイ、米国カンサス州アーカンソーシティにおいて逝去。
4月23日、宮城学院並びに宮城学院同窓会の共催で大講堂において追悼式挙行
4月1日 石井昌光、「宮城学院女子大学・女子短期大学」学長に就任。就任式は4月28日に挙行
5月 宮城女学校「高等女学科」第31回、「英文専攻科」第9回卒業生滝口篤子、「宮城学院同窓会」第10代会長に就任
10月8日 「宮城学院総合計画委員会」発足
10月18日 宮城学院創立85周年記念礼拝及び記念式典(記念説教:宮本武之助東京女子大学長)
10月19日 宮城学院創立85周年記念講演会(講師:森有正パリ大学教授、茅誠司元東京大学総長)
10月20日 『宮城学院報』創刊
1972(昭和47)年
4月1日
石井昌光学長、「学院長職務代行」を兼務(~8月17日)
4月10日 『宮城学院広報』創刊
8月18日 渡邉弘道事務局長、「学院長事務取扱」を兼務(~1973年3月31日)
1973(昭和48)年
4月1日
「東北学院大学」法学部教授佐藤昌彦、第3代「宮城学院長」に就任。5月16日に就任式挙行
4月1日 大沼隆、「宮城学院中学校・高等学校」校長に再選就任
8月13日 「宮城学院総合計画委員会」並びに「建設委員会」発足(10月1日、「建設委員会本部長」に松崎粲就任)
1974(昭和49)年
1月26日
「学校法人宮城学院理事会」は仙台市北西部の丸田沢地区(所謂桜ヶ丘地区)への総合移転を決定
4月1日 石井昌光、「宮城学院女子大学・女子短期大学」学長に再選就任
4月1日 「仙台高等学校」前校長高梨光、事務局長に就任
4月18日 石井昌光学長、「理事長職務代行」を兼務(~9月3日)
9月3日 石井昌光学長、「学院長職務代行」を兼務(~1975年3月31日)
1975(昭和50)年
4月1日
「恵泉女学園」元学園長・「キリスト教学校教育同盟」総主事清水二郎、第4代「宮城学院長」に就任。5月19日に就任式挙行
11月4日 「学校法人宮城学院」元理事長、「宮城学院名誉理事」矢野貫城逝去
1976(昭和51)年
4月1日
阿部富士雄、「宮城学院中学校・高等学校」校長に就任
10月18日 宮城学院創立90周年記念式典
1977(昭和52)年
4月1日
松崎粲、「宮城学院女子大学・女子短期大学」学長に就任
8月1日 「東京女子大学」前事務長小林義一、事務局長兼法人室長(嘱託)に就任
9月18日 『宮城学院最近10年小史』発行
11月21日 「宮城学院名誉理事」平山信子逝去
1978(昭和53)年
6月12日
午後5時15分、宮城県沖地震発生、宮城学院の被害総額2,000万円を超える
7月31日 「総合移転建設工事」本契約調印式
8月11日 「総合移転建設工事」仕事始め式
9月22日 岩井淳一理事、「学院長事務取扱」を兼務(~1979年3月31日)
10月16日 桜ヶ丘校地への総合移転建設工事起工式

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