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沿革

1914(大正3)年
10月20日
1907(明治40)年に設置された「宮城女学校運営委員会」を拡充強化した「理事会」(The Board of Managers)組織発足、「寄附行為」(The Constitution)制定
1915(大正4)年
4月
「家政専攻科」第1回卒業式(卒業生3名)
5月 「教職員心得11ヶ条」成文化し、校長・幹事・教師・舎監・司書の職務を定める
私立宮城女学校生徒心得」作成。授業料は1ヵ月、「本科(「高等女学科」)」1円50銭、「家政専攻科」・「英文専攻科」2円、「聖書専攻科」1円
1916(大正5)年 「家政専攻科」2年に短縮
4 月 3年制「音楽専攻科」設置(但し、1914年より「専攻科」としての内容の授業開始)
4月 2年制「聖書専攻科」設置(但し、1897年竣工の「バイブルハウス」で1900年から1年制「聖書専攻科」として開設されていたものを「在日宣教師社団」から
学校経営に移管設置)
1917(大正6)年
3月
「音楽科専攻」第1回卒業式(卒業生2名)
11月19日 「第2校舎」定礎式執行
1918(大正7)年
1月26日
「聖書専攻科」増設の件認可
3月 「英文専攻科」第1回卒業式(卒業生2名)
3月 宮城女学校「高等女学科」第15回、「音楽専攻科」第1回卒業生佐藤まさ、「宮城女学校同窓会」第3代会長に就任
5月28日 「第2校舎」(総煉瓦造3階建スレート葺延面積644坪)献堂式
10月15日 従来の『萩の下露』などの定期刊行物を合冊刊行することとして『校報』(The School News)創刊号刊行(年2回発行)
この頃の授業料1カ月、「高等女学科」2円、「専攻科」2円50銭
1919(大正8)年
1月28日
「専攻科」に「予科選科」を設置の件認可
3月 宮城女学校「高等女学科」第20回、「聖書専攻科」第3回卒業生小野寺みきよ「宮城女学校同窓会」第4代会長に就任
1920(大正9)年
3月
「英文専攻科」に「英語会」設置
1921(大正10)年
6月30日
「宮城女学校文学会」が年刊機関雑誌『橄欖』創刊
「宮城女学校文学会」を「宮城女学校校友会」と改称
1922(大正11)年
2月
「宮城女学校基督教女子青年会」、「尚絅女学校青年会」と協力して欧州学生救済義捐金募集のため音楽会開催
1923(大正12)年
1月
「大講堂建設資金」募集始まる
1925(大正14)年
4月
「学則改正」により「専攻科」をすべて3年制とする。なお「英文専攻科」・「聖書専攻科」には1年の「予科」を置く
「家政科予科」の廃止
1926(大正15・昭和元)年
3月23日
「バイブルハウス」を取り壊した跡地に建築の総煉瓦造3階建(1階に教室・事務室、2階に図書室、3階に社交室、地階は雨天体操場)の
「増築第2校舎」(「ヴォーンホルト記念校舎」)献堂式
10月20日 宮城女学校創立40周年記念式・記念音楽会・記念祝賀会
10月 宮城女学校「高等女学科」第8回卒業生原田ことぢ「宮城女学校同窓会」第5代会長に就任
1928(昭和3)年
1月10日
宮城女学校創立者・「元校主」押川方義逝去
3月8日 「英文専攻科」に中等教員無試験検定取扱許可
11月 御大典(天皇即位)記念噴水池(所謂「六角池」)建設
1930(昭和5)年
2月
K.I.ハンセン、シカゴ音楽大学より「音楽博士」の学位を受く
2月21日 文部省による音楽科学術試験実施
5月をもって退任帰米の A.K.ファウスト校長の離任式。1911年に来日以来、山形・秋田両県で19年間、
伝道に従事していた「合衆国改革派教会」宣教師 C・D・クリーテ、第7代校長に就任。
5月30日 A.K.ファウスト前校長夫妻送別会
11月11日 A.K.ファウスト校長在任17年間の功績・徳望を記念して建造される「ファウスト記念館」定礎式
1931(昭和6)年 「音楽専攻科」に「師範科」及び「研究科」を設置
校服制定
12月26日 「ファウスト記念館」(別名「同窓会館」、建坪67坪、1階裁縫室、2階作法室)献堂式
1932(昭和7)年
6月11日
鈴木クワルテット、ハンセン作曲「日光」を演奏
12月12日 K.I.ハンセン、L.A.リンゼイ、原田ことぢ勤続25年祝賀式
1933(昭和8)年
6月30日
「音楽専攻科」3年生、山形市及び鶴岡市に音楽演奏旅行
12月 校門改築成る
1934(昭和9)年
2月17日
宮城女学校創立50周年記念事業として基本金10万円募集の計画を起こす
12月10日 鈴木虎之進勤続25年祝賀式
1935(昭和10)年
2月20日
1934年4月12日逝去のメアリー・E・シュネーダー記念寄贈図書献納式(専攻科図書室)
6月10日 C.D.クリーテ校長、アーサイナス大学より「神学博士」の称号受く
7月22日 宮城女学校校友会・宮城女学校同窓会主催、仙台市教育会・河北新報社後援の第1回夏季婦人講座開催
1936(昭和11)年
3月3日
文部省告示により「宮城女学校高等女学部卒業者ニ對シ高等女学校高等科(修業年限2ヶ年)ノ
入学ニ関シ修業年限5箇年又ハ3箇年ノ高等女学校ヲ卒業シタル者ト同等以上ノ学力アルモノト指定」された。
この頃、「高等女学科」は「高等女学部」と、「専攻科」は「専攻部」と称することとなり、「専攻部」は「聖書科」3ヶ年、「聖書科予科」1ヶ年、「家政 科」3ヶ年、「英文科」3ヶ年、「英文科予科」1ヶ年、「音楽科研究科」1ヶ年以上、「音楽科本科」3ヶ年、「音楽科師範科」3ヶ年、「音楽科予科」2ヶ 年の組織であった
7月 土井林吉(晩翠)より息女故土井照子の記念として宮城郡七ヶ浜吉田浜町字沢尻の畑地をキャンプ敷地として寄贈
11月1日 宮城女学校創立50周年記念感謝礼拝・職員永眠者追悼会
11月2日 宮城女学校創立50周年記念式典(10月16日~11月8日の間に記念諸行事)
12月23日 『宮城女学校50周年史』発刊
1937(昭和12)年
3月6日
金子かね、勤続25年表彰式
12月12日 「宮城女学校家庭会」設立
12月30日 「大講堂」(鉄筋コンクリート3階建煉瓦タイル貼483坪)新築落成
1938(昭和13)年
1月30日
「大講堂」献堂式
4月1日 「国家総動員法」公布
5月5日 勤労奉仕開始
5月20日 徐州陥落に際し全校生徒旗行列参加
11月20日 弓道部創設
1939(昭和14)年
3月6日
一見清、勤続25年祝賀式
4月8日 「宗教団体法」公布
本年度より2学級(100名)募集
8月30日 「財団法人宮城女学校」寄附行為申請
8月31日 「財団法人宮城女学校」設立認可申請
12月26日 第5代校長S・L・ワイドナー逝去
1940(昭和15)年
5月15日
『欖橄』タブロイド版となる
6月23日 仙台市内の基督教主義学校代表者が宮城県庁に呼び出され、
(1)朝礼に国歌を歌い宮城遥拝をすること、
(2)聖書の授業を必須から外すこと、
(3)御真影を受けることを提言・要請された
9月12日 C.D.クリーテ校長辞職、一見清校長事務取扱となる
11月10日 「紀元2600年記念式」
11月26日 「教育勅語」発布50周年にあたり、K.I.ハンセン、L.A.リンゼイ、一見清、原田ことぢ、金子かね、大越直、文部大臣より表彰せらる
1941(昭和16)年
2月8日
「宮城女学校家庭会」総会にて本校維持費として一口(金30円以上)寄附の件を決議
2月14日 「財団法人宮城女学校」設立許可、理事長・一見清
2月21日 校地校舎を「合衆国改革派教会在日宣教師社団」より「宮城女学校」へ寄附される「寄宿舎」を4教室に改築して「第3校舎」と
改称「ミッションハウス」を「家政専攻部」校舎として使用、校長住宅も教室として使用
2月27日 一見清、「財団法人宮城女学校」理事長に就任
本年度より4クラス(200名)募集
6月3日 「宮城女学校校友会」は解散し、「宮城女学校報国団」成立
6月4日 宮城女学校「高等女学科」第5学年生、宮城(皇居)外苑整備勤労奉仕のため上京
6月9日 第7代校長 C.D.クリーテ夫妻、帰米の途につく
6月24日 「日本基督教団」成立
10月31日 「和歌山高等商業」教授西山貞、第8代校長に就任
11月20日 館岡剛より宮城郡七ヶ浜吉田浜の保安林寄贈
12月8日 日本、米英両国に宣戦布告、太平洋戦争に突入
12月9日 アメリカ人教員全員辞任
12月26日 「専攻部」において繰上げ卒業始まる
宮城女学校同窓会、「母校維持会」結成

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