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沿革

1942(昭和17)年
1月30日
外国人理事4名辞任、西山貞、「財団法人宮城女学校」理事長に就任
2月16日 御真影奉安殿献堂(御真影拝戴式は4月24日)
2月 西山貞、「宮城女学校同窓会」第6代会長に就任
7月4日 理事会において「専攻部」に「国語科」設置の件可決
7月4日 一力次郎、「財団法人宮城女学校」理事長に就任
7月24日 御真影を奉安庫に奉安
8月8日 高等女学校の「英語」を随意科目とし週3時間以内とするとの文部省の通牒に従い全国中等学校長会議において「英語」を随意科目とする事を決定
10月27日 「専攻部」の「音楽科」後援の目的をもって「宮城音楽同好会」結成
11月16日 教職員、生徒に対して軍事教練開始
1943(昭和18)年
4月1日
「宮城女学校」を廃止し「宮城高等女学校」設置,「専攻部」を「専攻科」と改称
4月 「専攻部」に3年制「国語科」設置
6月 「専攻科」生、農村託児所に勤労奉仕
7月20日 代ケ崎の海洋道場で修練す
7月24日 ラジオ体操、救急訓練実施
8月24日 「理科実験室」増設
10月4日 「金属供出命令」により「第1校舎」、「第2校舎」のラジエター、「大講堂」のシャンデリア並びに階段の真鍮手摺りを取外し供出
10月5日 農繁期手伝いに出動
10月12日 三馬弘進ゴム会社に勤労奉仕
10月19日 市内清水小路5番地に「寄宿舎」設置
1944(昭和19)年
4月
「理科実験室」及び「調理実験室」改修工事完成
5月10日 「専攻科」4科併設正式認可。(「育児専攻科」・「国語専攻科」・「外国語専攻科」・ 「音楽専攻科」)により従来の「家政専攻科」は「育児専攻科」となり、「英文専攻科」は「外国語専攻科」となる
5月 「東北風第202号工場」(長町の「日本電気株式会社」の戦時 名)との間に「学校工場化契約」成立。「専攻科」生が勤労動員で同工場に赴き、電波探知機部品製造技術を習得することに努め、従来の「家政専攻科」教室を 作業工場とする「学校工場」での指導者となる「第2校舎」が「学校工場」に指定される
8月 「第2校舎」内の従来の「家政専攻科」教室を「学校工場」の 「第1工場」に転用し作業開始。尚、「元ミッション・ハウス」は10月に「第2工場」、「第2校舎」の「洗濯実習室」が12月に「第3工場」となる宮城高 等女学校「高等女学科」4年生・5年生は8月から10月まで、勤労奉国隊として仙台簡易保険局に出勤
9月 「専攻科」で繰上げ卒業式(「家政」第29回、「英文」第28回、「音楽」第27回)
11月3日 「高等女学科」4年生・5年生、横須賀海軍航空技術廠に出勤
12月 「学校工場第3工場」、作業開始
1945(昭和20)年
1月
「専攻科」校舎である「第2校舎」の東半分が仙台聯隊地区司令部庁舎として徴用される
3月 宮城高等女学校「高等女学科」4年生及び5年生が勤労動員先の横須賀海軍航空技術廠で卒業式(1943年度から高等女学校は全国的に4年制に統一されため宮城高等女学校「高等女学科」においても4年生も卒業)
4月23日 この日から「高等女学科」4年生は多賀城の海軍工廠に勤労動員、3年生以下は普通授業
5月30日 御真影を根白石小学校に奉遷。重要図書類を岩切に疎開
7月2日 「専攻科」では、昭和20年度入学生の繰下げ入学式挙行
7月10日 仙台空襲により「大講堂」「第2校舎」を残して校舎7棟を焼失。焼失の延床面積 1277坪。罹災教職員14名、罹災生徒約200名、逝去生徒3名
7月21日 「高等女学科」では、大講堂を教室とし、各学年毎に組を合併して授業開始。
当日、登校した生徒は在校生の半数以上の500有余名
8月4日 「宮城高等女学校」学徒隊を「宮城高等女学校」戦闘隊に切りかえる
8月15日 「終戦の詔勅」放送
9月11日 宮城高等女学校「高等女学科」第2学期始業式。翌12日より授業開始、但し、米軍の仙台進駐により、15日から2週間休校
9月12日 宮城高等女学校「専攻科」授業開始
10月1日 宮城高等女学校「高等女学科」授業再開。10月8日から低学年は午前、上級学年は午後に授業という「二部授業」実施
10月11日 仙台市・連坊小路国民学校の4教室を借り受けることができ、「高等女学科」4年生が授業を受ける。「第2校舎」を徴用使用の仙台聯隊地区指令部が引揚げ、「第2校舎」の明け渡しを受けた11月15日より「二部授業」を中止
10月15日 この日より毎週月曜日に始業前に「礼拝」を実施。11月30日からは毎朝、「礼拝」を実施が可能となり礼拝復活
12月15日 午前11時より大講堂で全学院合同の、戦後最初のクリスマス礼拝
12月27日 根白石小学校より御真影を奉迎、翌28日に音楽講堂で御真影奉還式を行い、宮城県教学課に奉還
1946(昭和21)年
1月21日
「高等女学科」・「専攻科」共に始業式を挙行し、翌22日から授業開始。
この週から月曜日を休業とする「5日制」を実施
2月5日 「戦災復興資金」募集開始
3月31日 「第3校舎」復旧工事完成し、連坊小路国民学校の教室を借りずに授業可能となる
5月7日 「国文科」に中等教員無試験検定許可
校地826坪を市内東三番丁14番地~16番地に取得
5月25日 「第4仮校舎」復旧工事完成
6月5日 「第5仮校舎」復旧工事完成
6月29日 「専門学校令」による「宮城学院女子専門学校」設置許可(「育児科」、「国語科」、「外国(英)語科」、「音楽科」)
7月10日 「宮城高等女学校」は「宮城学院高等女学校」と改称認可
9月18日 宮城学院創立60周年記念式典
11月 宮城女学校「高等女学科」第14回卒業生伊藤まき、「宮城学院同窓会」第7代会長に就任
11月1日 西山貞、「財団法人宮城学院」理事長に就任
11月14日 「宮城県立第一高女」前校長諸石靖、「宮城学院高等女学校」主事に就任
1947(昭和22)年
3月10日
「財団法人宮城学院理事会」は「建物戦災復旧貸付金」の借入れを決定し、本格的に校舎復旧に着手
3月22日 「宮城学院女子専門学校」第1回卒業式(「育児科」49名、「国語科」22名、「外国語科」 8名、「音楽科」11名)
3月31日 「教育基本法」・「学校教育法」公布
4月1日 新学制により「宮城学院中学校」設置
8月4日 「宮城学院女子専門学校」主催の音楽科認定講習会開催
9月23日 「寄附行為」の改正により「理事は原則として福音的基督教信者とし理事会に於て之を選任す。但し1名は宮城学院女子専門学校長を以て之に充つ」と
なり、再来日のC.D.クリーテ、A.アンケニー、K.I.ハンセンを理事に加える(翌年L.A.リンゼイも)
9月 「宮城学院父母教師会」結成、初代会長に大石栄一を選出
1948(昭和23)年
2月20日
矢野貫城、「財団法人宮城学院」理事長に就任
3月23日 「宮城学院中学校」第1回卒業式。但し、卒業生は4月9日に新学制によって設置された「宮城学院高等学校」に進学
5月18日 「財団法人宮城学院理事会」は専任教職員および基督教教役者子女の授業料(中学のみ)免除を決定
5月23日 戦時中は活動を休止していた「基督教女子青年会」、即ち、YWCA復活
8月31日 「第1校舎」修復工事完成
1949(昭和24)年
2月21日
「宮城学院女子大学」設置認可(「学芸学部」として「英文学科」4年制、「音楽科」4年制)
4月 1946年1月以来実施の「月曜日休業の5日制」を「土曜日休業」という本来の「5日制」に復帰。尚、「中学校」も「高等学校」も「女子大学」にあわせて、本年度から「2学期制」を実施
6月15日 「宮城学院女子専門学校学則」一部変更認可(修業年限を2ヵ年として、「本科」として「育児科」・「国語科」・「外国語科」・「音楽科」の4科とし、別に修業年限1ヵ年の「別科」を置く)
7月23日 「大学寄宿舎」(「第1寄宿舎」)用地として、市内土樋195、196番地の土地564坪取得
9月15日 「第6校舎」(木造2階建、延729坪)新築工事完成
10月27日 「宮城学院女子大学」開設並びに「宮城学院高等学校」新校舎落成記念祝典
1950(昭和25)年
3月14日
「宮城学院女子短期大学」設置認可(「家政科」・「国文科」)
5月25日 「大学寄宿舎」(所謂「土樋寮」)である「第1寄宿舎」新築工事完成
6月末 「和歌山大学」教授山崎謹一郎、「大学主事」として就任
8月 市内清水小路に「学院長宅」用地156坪取得
9月30日 「中学校」校舎として「第5校舎」新築工事完成(木造2階建、384坪)
「中学校」・「高等学校」で制服を制定
1951(昭和26)年
2月28日
「大学家政館」としての「第4校舎」新築工事完成(木造2階建、140坪)
3月9日 「学校法人宮城学院」設立認可。矢野貫城、理事長に就任
3月31日 「宮城学院女子専門学校」廃止
10月23日 宮城学院創立65周年記念式典
「宮城学院文化学会」組織
12月25日 宮城学院女子大学『研究論文集』創刊
1952(昭和27)年
2月29日
「宮城学院女子大学教職課程」設置認可
4月13日 東北学院との合同理事会開催(以後度々)
5月13日 元「第3校舎」跡地に「大学本館」(鉄筋コンクリート3階建一部地階総延坪670坪)新築工事鍬入式
1921(大正10)年に「宮城女学校文学会」雑誌として創刊号が刊行された『橄欖』は1941年7月頃から廃刊になっていたが、
「宮城学院高等学校自治会」機関誌として再刊
1953(昭和28)年
4月1日
「日本基督教団」総務部の末包一夫、事務長に就任
4月 佐々木統一郎「宮城学院父母教師会」第4代会長の提言奔走と多田三郎校医、東北大学医学部中村隆教授及び長池医院・長池博子医院長の協力に
より「宮城学院ヘルスセンター」開設
今年度より「宮城学院高等学校」より推薦の成績優秀者を面接選考の上、「無試験入学」を許可する制度がとられ、20名(「音楽科」3名、「家政科」12名、「国文科」5名)が「推薦入学」となった
「大学」では、大学在学生の28%を占める汽車通学生を含めた全学生が毎朝の礼拝に出席できるようにするため、従来の「礼拝時間」午前8時5分~8時20分を今年度より午前10時5分~10時25分に変更
5月1日 「大学本館」新築工事完成
6月 宮城女学校「高等女学科」第24回、「音楽専攻科」第3回卒業生片桐こう、「宮城学院同窓会」第8代会長に就任
7月 宮城女学校「聖書専攻科」第7回卒業生丸山敏子、「宮城学院同窓会」第9代会長に就任
9月13日 第6代校長 A.K.ファウスト、米国ペンシルヴァニア州アレンタウンで逝去
10月19日 東北学院、尚絅女学院との合同学院長会議開催
12月21日 「基督教学校教育同盟」第41回総会、本学院で開催(~22日)
1月1日 「私立学校教職員共済組合」に加入
「第1寄宿舎(所謂「土樋寮」)」新築第2期工事完成
3月1日 「宮城学院中学校自治会」雑誌『鴿(はと)』創刊
3月31日 北海道・奥羽・東北地方に緊急必要な「幼稚園教員養成機 関」設置構想計画の下で1954(昭和29)年4月1日より1955(昭和30)年3月31日まで
「宮城学院女子大学附設幼稚園教員養成所」(1年)設置 を1955(昭和30)年度に「宮城学院女子短期大学保育科」設置認可の前提として認可
4月1日 宮城学院女子大学「英文学科」・「音楽科」並びに宮城学院女子短期大学「家政科」・「国文科」に「教員養成課程」認定。又、宮城学院女子短期大学「家政科」に「栄養士養施設」指定認定
4月 「家政科」に「栄養士養成課程」が設置され、取得単位数増加に伴う授業時間数確保のため、今学年度より「6日制実施」今学年度より新運営組織として
「部長会議」(中学・高校各教務部長及び大学教務・学生両部長)を設置
市内霊屋15の宅地45坪及び住宅を取得、「宮城学院中学校・高等学校霊屋寮」を創設
9月21日 「大学寄宿舎(所謂「米ヶ袋寮」)」用地として市内米ケ袋広丁23番地の宅地401坪・居宅32坪を取得
11月1日 「体育館」新築工事鍬入式
1955(昭和30)年
2月20日
「大学図書館」、「第2校舎地下室食堂」改造工事契約
3月24日 「第1寄宿舎」増改築工事開始
3月31日 「宮城学院女子大学附設幼稚園教員養成所」廃止
4月1日 「宮城学院女子短期大学学科増設」(「保育科」)認可
4月26日 「第2校舎」地下の「雨天体操場」を改装しての「学生食堂」(喫茶)営業許可
5月13日 「保育科」教室及び「附属幼稚園」増築工事のため市内東二番丁141の宅地741坪を取得
5月31日 父母教師会・同窓会・教職員の協力による1650万円で完成の「体育館」(鉄筋コンクリート建、延273坪)献堂
5月 「第1校舎」内の「大学図書館閲覧室」(元・「小講堂」跡)の改築改装工事完成(2階に 「合同講義室 C」、1階に「図書閲覧室」)〈因に、「合同講義室 A」は
「大学本館」2階に、 「合同講義室 B」は「大学本館」3階に所在〉
6月7日 「基督教学校教育同盟」東北・北海道地区協議会、本学院で開催(~8日)
9月26日 「保育科」教室及び「附属幼稚園」増改築工事開始
10月10日 宮城学院創立70周年記念式典
12月20日 保育科教員養成課程認定
1956(昭和31)年
2月
「保育科」教室及び「附属幼稚園」増改築工事(延238坪)完成
3月2日 「宮城学院女子短期大学附属幼稚園」設置認可。4月より開園
8月7日 『宮城学院70年史』発行
8月10日 西山貞学院長、渡欧米(~12月6日)
8月21日 女子短期大学免許状(保健)授与のための所要資格を得させるための正規課程認定(家政科)
10月13日 「日本女子大学連盟」秋季例会、本学院で開催
1957(昭和32)年
4月1日
島末三、事務長に就任
4月16日 女子大学免許状授与の所要資格を得させるための聴講生課程認定(音楽・英語)
5月2日 全国教会学校大会、本学院で開催(~3日)
5月13日 木造2階建208坪の「米ケ袋寄宿舎(所謂「第2寄宿舎」)」起工式
7月16日 仙台復興土地区画整理による東二番丁道路拡張(削減校地面積344坪)に基づく「第2校舎」一部解体工事並びに「第2校舎新館」(鉄筋コンクリート4建地階付延530坪)新築工事(「家政科実験室」並びに「音楽科」関係室収容)着工。(1958年3月31日完成)
7月29日 「中学校図画教室」新築工事着工。9月完成(木造平屋37坪)
1958(昭和33)年
4月
今年度より従来の「宮城学院父母教師会」を「宮城学院中学校高等学校父母教師会」と「宮城学院大学後援会」とに組織がえして、
「宮城学院大学後援会」初代会長に一力次郎「財団法人宮城高等女学校」前理事長就任
6月3日 「第2校舎新館」献堂式
1959(昭和34)年
1月20日
女子大学学科増設認可(家政学科)
3月 「宮城学院教職員協議会」結成
3月31日 西山貞学院長辞任。1941(昭和16)年11月、「宮 城女学校長」に就任以来「校長」・「学院長」、又、「理事」・「理事長」として戦時中並びに終戦後の最も困難な時代に「宮城女学校」の基礎を確固たらしめ 且つ「宮城学院」を発展させた功績を讃え「名誉学院長」に推される
4月28日 「高等学校新校舎」第1期工事鍬入式
9月25日 「高等学校新校舎」第1期工事定礎式
10月29日 「財団法人宮城女学校」元理事長一見清逝去
11月30日 「高等学校校舎」(鉄筋コンクリート造4階建351坪)第1期工事落成

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