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沿革

1886
(明治19)年
1月13日
ホーイ仙台着任
5月15日 押川方義とW.E.ホーイの協力により「仙台神学校」開校、初代校長押川方義、副校長W.E.ホーイ
7月2日 プールボー並びにオールト横浜到着、東京で諸準備ののち7月16日仙台着任
7月19日 宮城県議会副議長首藤陸三所有家屋(仙台区東四番丁35)を教員住宅兼校舎として「宮城女学校」開校の準備に着手
9月18日 「宮城女学校」(「予科」3年、「本科」4年)設置認可(以後この日を「創立記念日」とする)。押川方義、「校主」に就任。
初代校長E.R.プールボー、教員はプールボー、オールト、助教は稲垣ぎん、曲直瀬雪江
9月24日 仙台区東二番丁51番地田辺繁久別邸にて10名の生徒で授業開始
1887
(明治20)年
4月
「宮城女学校校舎」建設のための校地2千4百余坪を仙台区東三番丁162番地~169番地に取得
9月5日 第2年度開始
12月21日 「合衆国改革派教会」宣教師 D.B.シュネーダー夫妻来日
1888
(明治21)年
4月
W.E.ホーイ、D.B.シュネーダー、E.R.プールボーが宮城女学校校舎建設委員となる
5月 「宮城女学校校舎」(2階は寄宿舎)建築起工
9月 松平正直宮城県知事の推輓で、早坂哲郎、数学教員として就任
1889
(明治22)年
3月2日
押川方義、「ジャパン・ミッション」の推薦と「合衆国改革派教会」外国伝道局の招聘により欧米の教育事情その他視察に出発。首藤陸三、「校主」に就任
4月1日 「宮城女学校校舎」建築がほぼ完成した4月1日、田辺繁久別邸より移転し、4月15日より授業開始
7月5日 木造2階建の「宮城女学校校舎」(講堂・教室・寄宿舎)献堂式
1890
(明治23)年
3月24日
教科内容充実のため申請中の「宮城女学校規則変更認可願」認可
9月 「宮城女学校文学会」創設され、機関雑誌『宮城野』を発行
10月30日 「教育ニ関スル勅語」発布
1891
(明治24)年
「合衆国改革派教会」外国伝道局財務局長R.F.ケルカーの夫人の寄贈蔵書を受け、「メアリー・A・ケルカー記念蔵書」が図書室に備えられる
1892
(明治25)年
1月21日
所謂「ストライキ事件」により生徒5名退学
1893
(明治26)年
4月
「宮城女学校規則更生」認可され、学年始業を4月初め、学年終業を3月末と改める。(但しこの後7年間は9月始業、7月終業)
6月25日 第1回卒業礼拝(説教:ウイリアム・E・ホーイ
6月26日 7月をもって退任帰国のプールボー校長送別会
6月29日 第1回卒業式(卒業生4名)。「宮城女学校同窓会」発足
8月26日 「在日宣教師社団」(「ジャパン・ミッション」)に「実行委員会」(宮城女学校管理運営機関)創設
9月 J.P.モール、第2代校長に就任
10月18日 橋本経光(押川方義の長兄・東北学院邦語神学部在学)、「校主」に就任

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