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沿革

1871(明治4)年 押川、横浜の「修文館」に移る
J・H・バラ、横浜居留地167番の小会堂で押川方義、本多庸一、植村正久ら達青年を教える、所謂「バラ塾」
1872年3月9日(明治5)年1月1日 日本人による最初の祈祷会 がバラの指導のもとに始まる。祈祷会は連日続けられたが、1872年3月10日(明治5年2月2日)、日曜日の午後、押川方義ら「バラ塾」青年中9名、バ ラから受洗。
この日、既に他所で受洗していた2名を加えた11名により我国最初のプロテスタント教会である「横浜公会」(「日本基督公会」)創立。
バラ、 仮牧師となる
1873(明治6)年 吉田亀太郎、上京して築地新港町の化学研究所で石油精製方法研究に従事す
「合衆国改革派教会」外国伝道局、日本伝道方針決定
S・R・ブラウン、横浜山手211番に「ブラウン塾」開設。押川方義、植村正久、井深梶之助、藤生金六、山本秀煌、雨森信成など「ブラウン塾」生となる
4月15日 「エディンバラ医療伝道会」、日本伝道を決定し、日本派遣最初の宣教医師としてT ・A・パームを選任
1874(明治7)年
5月15日
T・A・パーム夫妻来日
1875(明治8)年
1月19日
パーム夫人メアリー、出産後三日目のこの日、に逝去。初産の女児も1月28日に逝去。
4月9日 新潟伝道を決意したパームは東京を発ち、4月15日に新潟到着、医療伝道開始パーム、横浜のブラウンに協力者派遣を要請。
ブラウンからこの要請を知らされたバラは祈祷会の席上で「ブラウン塾」生達に新潟伝道応援のための献身者を募る。
誰一人応ずる者無き中で「横浜公会」長老の押川方義これに応ず吉田亀太郎、石油精製事業のため新潟へ向かい、12月中旬、中條町到着
12月21日 「横浜公会」(現・「日本基督教会横浜海岸教会」)長老押川方義、横浜を出発、新潟のパームのもとへ向う
1876(明治9)年
1月3日
押川、新潟のパームのもとに到着
「合衆国改革派教会」(「ジャーマン・リフォームド」)、「米国改革派教会」(「ダッチ・リフォームド」)と提携して外国伝道を行うことを決定
1877(明治10)年
10月3日
「日本基督公会」、「日本長老公会」合同により「日本基督一致教会」組織
吉田亀太郎、パーム並びに押川による伝道説教で福音に接す
1878(明治11)年
9月30日
「合衆国改革派教会」、日本宣教事業に着手のためA・D・グリングを日本派遣
最初の宣教師として選任
11月5日 吉田、新潟でパームから受洗

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