宮城(志津川)の銀鮭プロジェクト始動

これまで、平本ゼミ、楽食プロジェクト、トライアングルなどに所属する学生と有志の学生で活動してきた銀鮭プロジェクトが、このたび「大塚商会ハートフル基金 復興応援プロジェクト」の一つとしてご支援いただくことになり、さらにパワーアップして活動することになりました。

 

「みやぎ銀鮭プロジェクト」について


このプロジェクトは食品栄養学科平本先生の力添えで発足し、銀鮭養殖に関わる漁業者を元気づけたい、宮城の若い世代に銀鮭を知らせたいとの思いでスタートしました。

宮城学院女子大学「みやぎ銀鮭プロジェクト」進捗状況のご報告

このプロジェクト最後の報告になります。1年間にわたり、ご支援いただきありがとうございました。
おかげさまで、仙台から銀ザケ養殖の南三陸に何度も通わせていただくことができました。

宮城県は銀ザケ養殖の発祥の地、日本の銀ザケ生産量の9割を占めている等、銀ザケは宮城県の特徴的な魚なのですが、そのことを知っている県民は少ない(みやぎ銀ざけ振興協議会の調査では、県民の認知度は3割)のが現状です。そこで、子どもたちに宮城の銀ザケ養殖について知ってもらおうと、「銀ザケ丸ごと探検ノート~宮城からの発信(以下、探検ノート」を制作させていただきました。これは全国的に進められている魚食育の教材「さかな丸ごと探検ノート」を基に、宮城版に展開したものです。B5版16頁の薄い冊子ですが、中身は学生たちの熱い思いと努力の結晶です。下記にいくつかの頁を紹介させていただきました。

表紙と裏表紙は、山と海で育てられる銀ザケ養殖をイメージして、東北工業大学クリエイティブデザイン学科の学生さんに描いていただきました。
「海や川からわたしたちの食卓までーサケと人間と環境の循環図」は、この探検ノートの基本的な考え方を示しました。銀ザケの卵が山で育てられ、湾のイケスで成魚になり、加工・流通され、私たちの食卓に届くまでの全体像を子どもたちにイメージしてほしいという願いです。
「銀ザケ(養殖)と白ザケ(天然)のちがい」では、育つ場所、エサ、出荷の旬から、その違いを鮮明にしました。また、「宮城県の銀ザケ養殖の歴史」は、12月に報告した聞き取り調査をもとに作成しましたが、生産量のデータを取り寄せるなど、正しい情報を発信する難しさを感じました。
「銀ザケが食卓に届くまで」は、2月に報告した南三陸町の加工工場の情報をまとめたものです。

一冊の教材を作成するには、正しい情報の確認や何度も修正するなど、大変なこともありましたが、完成版をみると充実感があります。次年度はこれを使った食育講座の開催を計画しています。
後日製本したものを送らせていただきますので、手に取って見ていただければ幸いです。


主婦層をターゲットにした銀鮭のレシピ開発

今年も間もなく銀鮭の季節(4月~7月)がやってくることから、再び、銀鮭料理のレシピの考案を行いました。前回の試作テーマは「既にあるものとは異なった銀鮭料理」でしたが、今回は「銀鮭が家庭の食卓に並ぶ機会を増やすこと」を目的に試作会を行いました。


まず、スーパーマーケットでの購買可能性を高めるために、調理を担当する主婦層の負担を減らすことを考えました。具体的には、日持ちがする「銀鮭のオイル煮」(写真1枚目)、1つのフライパンで付け合わせの野菜も調理できる「銀鮭のレモンペッパー焼き」(写真2枚目)や「銀鮭の味噌ハンバーグ」、ソース1つからグラタン・パスタソース・スープにも応用できる「銀鮭のホワイトソース」(写真3枚目)など、様々なアイディアの料理を考えました。どれもとても美味しくできました。


今回は、メインの購買層となる主婦層をターゲットに考えましたが、今後はそれを発展させて若い世代をターゲットにして検討したいと思っています。そして、「食卓に銀鮭が並ぶ機会を増やすためにはどうしたらよいか」ということ、さらには「銀鮭生産量日本一が宮城県であることを広めるための方策」について考えていきたいと思います。より一層手頃で、簡単に、美味しくできる、銀鮭料理の開発を進めていきます。


銀鮭の加工工程について話を伺ってきました

1月31日(土)に南三陸町の「丸正行場商店」に、銀鮭の加工工程についての話を伺いに行ってきました。

私たちが現在制作している「銀ザケ丸ごと探検ノート-宮城からの発信―」では、“生産から食卓まで”をキーワードに、養殖場から、加工工場、スーパーマーケット、家庭への流れを子どもたちにわかりやすく伝いたいと考えていることから、私たちは銀鮭加工について、より専門的、具体的な情報を得るために、丸正行場商店の高橋社長から話を伺うことにしました。丸正行場商店は、私たちがいつも訪問している南三陸町戸倉地区で養殖した銀鮭の加工を行っている工場です。


丸正行場商店は、工場が湾岸沿いにあったため、東日本大震災によって大きな被害を受けましたが、その年の8月には工場を再開しました。そのため、現在被災地の沿岸部を中心に大きな問題となっている、「顧客離れ」を防ぐことができたとのことです。
しかし、実際に工場の前に立って周辺を見渡すと、建物があまりなく、今なお復興途中であると感じました。


丸正行場商店で取り扱っている銀鮭は、『伊達のぎん』や『銀のすけ』というブランドで販売されています。加工には3種類あり、1つ目はフィレ加工、2つ目は冷凍加工、3つ目はお刺身加工です。また、1つ目のフィレ加工はさらに、うろこ取りフィレと定塩フィレの2通りに分かれる等、たくさんの写真を見ながら説明していただき、銀鮭の加工が最新の機械設備で行われていることに、ただただ驚きました。


今回、実際に話を聞くことができたことで、銀鮭加工についての知識をより深めることができました。食育ノートのための写真もたくさんいただきました。今後、それらを活かして、食育ノートを充実させていきたいと思います。


帰路、南三陸町にある仮設商店街「南三陸さんさん商店街」で、「キラキラいくら丼(写真)」を食べました。イクラがたっぷりのっていておいしかったです!

銀鮭養殖の歴史を聞きに、南三陸町に行ってきました!


私たち銀鮭プロジェクトでは、小学生を対象とした食育教材「銀鮭丸ごと探検ノート」を制作しています。
そこで、去る12月26日(金)に、銀鮭養殖の歴史のページを担当している3年生の髙橋・吉田と4年生の西條が、日本で初めて銀鮭養殖を行った故遠藤昭吾さん(昭和10年生)をよく知る、80歳の阿部清幸さんに話を伺いに行ってきました。
阿部さんからは、「遠藤さんが銀鮭養殖を始めた理由」「なぜ銀鮭だったのか」「銀鮭養殖が盛んになるまで」「銀鮭養殖の難しさ」「銀鮭養殖の生産量の推移」など、様々な話をお聞きしました。 銀鮭養殖は、名産品の「志津川ダコ」が不漁になったことがきっかけで、代わりの事業として、今でいう町おこしとして行ったのが始まりとのことです。

養殖に銀鮭が選ばれた理由は、遠藤さんがニチロの船員として白鮭(私たちが食べる一般的な鮭)を捕っていたことから、川にいる期間が白鮭より長い銀鮭をなんとか養殖できないかと考えたからです。 しかし,最初は、銀鮭の稚魚は遠い山梨県から運ばなければならならず、また、深さ1mの水槽で稚魚を飼うには絶えず酸素を送らなければならないため,泊まり込みで作業を行うなど、大変なご苦労があったそうです。 それでも、養殖技術が発展するにつれて次第に仲間も増え、現在の日本の銀鮭養殖が志津川から全国へと広がっていきました。さらにその後、酸素の量やエサの改良などを行い、現在の銀鮭養殖に繋がっています。

今日まで続く銀鮭養殖の基盤を作った遠藤さんの話や、銀鮭養殖を成功させるまでのプロセスを知ったことで、今までにも増して子どもたちに銀鮭の魅力を伝えたいという気持ちが強くなりました。

阿部さんは遠藤さんの人柄を「人のために何かを行える男らしい人だった。」と話されていました。銀鮭養殖を辞めた後も、銀鮭養殖に携わり支援を続けていたそうです。
遠藤さんは銀鮭養殖の先駆者として皆さんに尊敬されている方だという印象を受けました。

今回のように、当時をよく知る方から直接話を聞くことで、インターネットや本などでは得られない、銀鮭養殖の苦労や遠藤さんの人柄についてよく知ることができました。
また、今まで調べてきた、エサの変化や銀鮭養殖の生産量の推移についても、その背景や内容について深く学ぶことができました。

今後はそれらをまとめて、子どもたちがわかりやすく興味を持ってもらえるような内容に仕上げていきたいと思います!



銀鮭ガールズプロジェクトTシャツを作りました!


私たちは、銀鮭ガールズプロジェクトの仲間意識を高めるために、また、他大学の学生との区別を分かりやすくするために、これまでTシャツを作る準備をしてきましたが、いただいた補助金を活用し、今回やっと完成にこぎつけました!

デザインは、食品栄養学科の卒業生で現在臨時副手を務めている高橋比呂映さんの協力を得て、女子大生らしい可愛いらしさと、銀鮭の勢いが感じられるものにしました。

また、Tシャツの色は、銀鮭の身のオレンジ色をイメージしました。
思っていたよりオレンジ色が濃く銀鮭の鮮やかなピンク色とは少し違うかもしれませんが,はっきりとした色なので活動する際に目立って良いと思っています。
今後の活動では、このTシャツを着てこれまで以上に銀鮭の魅力をアピールしていきたいと思います。

また、銀鮭の食育教材作りも少しずつですが進んでいます。
教材作りのために、いろいろ銀鮭のことを調べていくと、今まで知らなかったこと(例えば、卵から孵化する前に「発眼」と言って卵に目ができて動く等)に出会います。
子どもたちが銀鮭の世界を興味深く“探検する” 教材作りのためには、まずは私たちが探検的な視点を持たなくてはと思っているところです。


子供向けの教材「銀鮭丸ごと探検ノート」づくりに取り組んでいます!


銀鮭プロジェクトでは「銀鮭丸ごと探検ノート」を作成することになりました。この探検ノートは、一般財団法人東京水産振興会が発行している「さかな丸ごと探検ノート」を基に、銀鮭バージョンを制作するものです。

現在は、プロジェクトメンバー10名で、銀鮭の何を伝えたいのか、どのような構成にしたら良いか等の話し合いをしています。内容の構成は大きく分けて「生態」「生産」「流通」「食事づくり」の4つです。例えば、養殖場から食卓に届くまでの過程や銀鮭養殖の歴史(生産・流通)、天然と養殖の違い(生態)、世界の鮭料理(食事作り)などをまとめます。

これまでに第1稿、第2稿をつくったのですが、なかなか満足できるようなものができません。現在はみんなで第3稿に取り掛かっていますが、子どもたちにもわかりやすい内容や構成にすることに苦戦しています。今後、さらに各ページを仕上げていき、完成は年明けの予定です。これを読んだ子どもたちが、銀鮭について「もっと知りたい!」と思うようなノート作りをめざしていきたいと思います。

宮城の銀鮭のおいしさを伝えたい! -銀鮭料理のレシピ開発―


私たち銀鮭プロジェクトでは、銀鮭料理のレシピ開発をおこなっています。「宮城のおいしい銀鮭をいろいろな世代の方に食べてほしい!」と、既にあるものとは少し異なる銀鮭料理を考え、試作会を行いました。

銀鮭は洋風の料理に使用しても美味しく、アレンジしやすいのが特徴です。クリームコロッケ、サーモン南蛮などたくさんの料理が並びました。

また、写真のようなレシピカードを作成し、5月に勾当台公園で行われた銀鮭祭りや大学のオープンキャンパス等で配布しました。その後も、いろいろな銀鮭料理にチャレンジして、レシピを増やしています。

現在、大学の平本研究室の前にも、特に人気の高いから揚げ、つみれ、お茶漬け、じゃがバタ焼きのレシピを設置し、女子大生にも銀鮭料理の普及を行っています。たくさんの人に、作っていただけたら嬉しいです。

今後も銀鮭の美味しい食べ方を研究し、普及活動を行っていきたいと思います。

オープンキャンパスで銀鮭を使ったお弁当を提供しました

食品栄養学科4年 菅原優花

大学では、8月3日(日)に夏のオープンキャンパスが開催されました。
私たちは、本学に来てくださった女子高校生や保護者の方々(約1400名)に、宮城の銀鮭を使った「銀鮭ちらし」弁当を提供しました。
このお弁当は、銀鮭プロジェクトのメンバーが、宮城県産の新鮮な銀鮭と旬の夏野菜を食べていただきたいという思いで企画したものです。

メニューは「銀鮭のそぼろといり卵をちらした寿司」「トマトのチーズ焼き」「オクラのおひたし」です。
6月頃から、実際に弁当を製造していただく業者の方々へのメニュー提案、試作検討などの打ち合わせを数回行いやっと完成にこぎつけました。
宮城県産の銀鮭は外国産の鮭に比べて高価なので、予算内に収めるのに苦労しました。

また、一緒に配ったリーフレットでは、私たちが「若い世代(高校生)に、宮城の銀鮭の魅力や美味しさを伝えたい!」という強い思いと、銀鮭プロジェクトの活動についてもPRしました。
参加者のアンケートには「おいしかった。宮城の銀鮭養殖のことを始めて知った。私も大学に入ったら、こんな活動をしてみたい。」など、たくさんの方に喜んでいただくことができ、銀鮭の美味しさも伝えることができて良かったです。

南三陸町戸倉で食育イベントを開催しました


7月25日(金)に、南三陸町戸倉にて県漁協志津川支所と連携し、銀鮭をテーマとした食育イベントを行いました。
当日は、仙台市立桜ヶ丘小・中の児童生徒18名(5月に県漁協志津川支所の方々と一緒に銀鮭料理づくりを体験しました)と地元の戸倉小の児童15名が参加しました。

今回のプログラムは大きく分けて2つ。
銀鮭の養殖生簀の見学と銀鮭料理づくりです。
生簀(いけす)見学では漁船に乗せていただき、どのようなところで銀鮭が養殖されているのか見学させていただきました。
えさのやり方や水揚げの仕方、絞め方など、仙台の子どもだけでなく地元の子どもたちも初めて目にすることもあり、とても貴重な体験になったようです。

船を降りてからは場所を移動し銀鮭料理づくりに挑戦しました。
5つのグループに分かれて、「から揚げ」「銀鮭そぼろちらしずし」「銀鮭のジャガバタ焼き」「蒸し鮭野菜」「銀鮭のつみれ汁」を作りました。
仙台の子どもたちは2回目ということもあり慣れた手つきで、戸倉の子どもたちは仙台の子に教わりながら、一緒に楽しそうに調理していました。
出来た料理は大きなお皿に盛り付け、県漁協組合の方も一緒にみんなでおいしくいただきました。

今回のプログラムを通して、子どもたちからは「これからもっと鮭を食べようと思った」「僕だけじゃなくて家の人にも食べてもらいたい」などという感想があり、銀鮭のおいしさを再発見したようです。
水揚げは間もなく終わりですが、今後はレシピ開発やイベント等に参加し、一人でも多くの方においしさ、魅力を伝えていきたいと思います。

小・中学生を対象とした「さかな丸ごと食育」を実施しました


5月17日(土)に、大学の近くにある桜ヶ丘地域の小・中学生20名を対象に、銀鮭を用いた食育活動として「さかな丸ごと探検隊」を実施しました。本活動は、子どもたちが生産者の方々と直接関わることで「魚の生産から食卓にのぼるまでの流れ」を学ぶことを目的として行いました。

当日は、志津川の漁業協同組合の方々にお越しいただき、「銀鮭の養殖について」と「出荷してからスーパーマーケットに届くまで」のお話をうかがいました。その後、志津川からわざわざ持ってきていただいた銀鮭を丸々1本卸すところを見せていただき、これには子どもたちも興味津々の様子で、歓声をあげて食い入るように見ていました。

その後、いくつかのグループに分かれて、さばいた鮭の切り身を使って「から揚げ」「鮭そぼろちらしずし」「鮭のジャガバタ焼き」「焼鮭だし茶づけ」「蒸し鮭野菜」「あら汁」を作り、ビュッフェ形式でみんなで食べました。自分たちで作ったからでしょうか、子どもたちからは「おいしい!」という声があちらこちらで飛び交い、料理はあっという間になくなってしまいました。

今回の活動を通して、子どもたちからは、「鮭を丸ごと1匹使って、こんなにたくさんのおいしい料理が作れるなんてすごいと思った」「初めて頭を食べたけど、意外においしかった」などの意見が寄せられ、子どもたちにとって多くの発見があったようで良かったです。

今後は「みやぎ銀鮭ガールズプロジェクト」として、またそれぞれの活動を通して、さらに宮城の銀鮭を若い世代に多く知ってもらえるよう取り組んでいきたいと思います。

銀鮭プロジェクト 「みやぎ銀ざけまつり」に参加しました

食品栄養学科4年 西條明日香

5月3日(日)、仙台市の勾当台公園にて開催された「みやぎ銀ざけまつり」に参加してきました。このイベントは、宮城県産銀ざけの魅力を一人でも多くの人に広めようという普及活動の一環として催されたもので、展示、試食、販売などのブースの他、銀ざけステージイベントなどが行われました。

その中で、私たちは水産庁お魚伝道師であるウエカツ水産の上田勝彦さんとお料理愛好家のわかちゃん(江川和花さん)が考えた銀ざけ料理の調理補助をさせていただきました。当日は、「銀ざけのカルパッチョ」や「じゃがバタ焼き」などの料理が振る舞われ、多くの方に銀ざけの美味しさを知ってもらう機会となりました。

トークショーではウエカツさんが銀ざけをさばいたり、わかちゃんが調理の実演をするなど見ていても楽しいイベントでした。
今後は、今回のイベントを通して発見した銀ざけの新しい食べ方や魅力を若い世代の方たちに知ってもらえるよう、さらに普及活動を進めていきたいと思います。


みやぎ銀鮭ガールズプロジェクト活動報告

食品栄養学科3年 菅原優花

3月1日(土)に銀鮭の養殖見学として、宮城県漁業協同組合志津川支所戸倉地区場へ行ってきました。湾内には24個の生簀網があり、1つの網の中に3万匹もの銀鮭が養殖されています。予想以上に狭い空間で育てられていることがわかりました。漁船に初めて乗る者も多く、貴重な経験をさせていただきました。

養殖場の見学後、漁業組合で銀鮭や牡蠣、帆立、ワカメなど、湾内で取れた食材を使った料理をいただきました。どれも美味しかったですが、特に銀鮭の刺身は普段食べているものよりも柔らかく、くさみもなかったことから1番人気でした。鮭を使った料理というと、刺身や塩焼きが主流ですが、から揚げもとても美味しく、様々な料理にアレンジが出来ると感じました。  


食事の後には、銀鮭が市場に出るまでの行程を教えていただきました。震災の影響や風評被害は未だ続いていますが、漁場の方たちは復興に向けて走り続けていることがわかりました。私たちも復興に少しでも貢献できるよう、銀鮭の新しい・美味しい食べ方や人々への伝え方などについて考えていきたいと思います。また、今後は、みんなで「みやぎ銀鮭プロジェクト」として、またそれぞれの活動を通して、宮城の銀鮭を若い世代に多く知ってもらえるよう、取り組んでいきたいと思います。

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