園長ブログ

森のものがたり~今日のこども園~

2024.01.04 できることから

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澄んだ青空に白い雲が浮かび、いつになく暖かいクリスマスと年末、そして穏やかな新しい年を迎えたと思っていたら、能登地方を震源とする地震が発生し、地震に伴う津波、火災により甚大な被害が起こりました。けたたましい緊急地震速報が鳴り響き、そして発災後、連日伝えられる被害状況を見聞きすると東日本大震災が発生した2011年3月11日、不安げに保護者のお迎えを待つ子どもたちの顔、全員を無事に保護者にお渡しできた時の安堵感、電車が止まってしまい、帰宅することができなくなったためごった返す避難所で眠ることもできず一夜を明かさなければならなかった時の寒さ、その間も何度も襲う余震の音、ラジオから繰り返し伝えられる被害の様子が鮮明に蘇ってみます。また、そんな状況下だったにも関わらず翌朝、朝刊が届けられたことに驚きと被害の大きさに言葉が出なかったこと、卒園式まで燃料を温存すべく寒い中、往復70㎞の道のりを自転車通勤したこと、その際、県外から緊急車両が支援に駆けつけてくれていたこと、その方々に向けて「ありがとう」と書いたダンボールが電柱に張られていて何故だか涙が溢れたことなどを思い出します。

その後、宮城県・福島県内のキリスト教保育連盟東北部会の乳幼児施設を訪問し、地震・津波・放射能被害の実態把握と支援を続け、それをまとめて数年間海外での学会発表をしてきましたが、その際に利用しなければならなかったのは言うまでもなく飛行機であり飛行場でした。機材(飛行機)の不具合で出発時間が数時間遅れ、羽田空港から目的地のチェコ(プラハ)へ行くはずがドイツ(フランクフルト)で一泊しなければならないなどのハプニングもありましたが、幸いなことに今もこうしてHPを書くことができています。一方、自分が利用した滑走路とは違うのかもしれませんが、2日、羽田空港で日本航空の旅客機と海上保安庁の航空機が衝突し5名もの尊い命を失う事故が起き、日本国中が正月気分、お屠蘇気分も一転・一掃されてしまいました。

東日本大震災を経験している者として、能登での地震は他人事ではなく、被災した方々の困難や悲しみが少しでも軽減するように祈り、自分ができることを考え、実行しなければならないと思っています。

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