園長ブログ

森のものがたり~今日のこども園~

2024.01.17 幸せ運べるように

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昨日積もった雪が残りジャンプ台が作られた南園庭で5歳児ひかり組の子どもたちが順番を待ちながら歓声を上げながらソリ滑りに興ずる姿はこども園が子どもたちにとって楽園であることを再認識させてくれます。一方、園舎に積もった雪が融け、つららに形を変えて軒下にぶら下がっていることに気づきました。地球温暖化の影響もあり、この数年雪が少なく、今年も今のところ予報通り暖冬で暫くぶりに見るつららを“きれいだなあ”と思いながら眺めていたところ、そんな僕に気づいた子どもたちがソリを引きずりながらやってきて「園長先生何見てるの?」と声をかけてきました。そこでつららを指差し「えっ、あそこに出来てるつららを見てたんだよ」と返事をすると「あっ、ほんとうだ!」「欲しいなあ」と言いながらまたソリ滑りに戻っていきましたが、歓声を上げてソリ滑りをしている子どもたちの視線はつららを眺めていた僕とは違い、屋根(軒)ではなく滑り降りる先や地面であり、つららに気づくことはなかったということでしょう。

さて、今日は1月生まれのお友だちの誕生日を祝う誕生会が行いました。カレンダーでは1月が一番最初の月ですが、この日をずっと楽しみにし待ち続け、ようやく自分の誕生日を祝ってもらうことができてみんな嬉しそうな表情を見せてくれました。誕生会にお見えいただいた方々には、今日もお子さんの名前の由来を聞かせていただきましたが、そこには「なるほど」「素敵」「そうなんだ」と思わせていただくことができました。また、誕生会の日に提供されるデザート、今日は5歳児が育てたった30粒だけ収穫できた貴重な大豆が入れられましたが、さすがにみんなに味わってもらうことは難しいとのことで育てたひかり組に提供されました。幸いなことに何と僕もご相伴に味かることができましたが、貴重な大豆ということもあり、特別な味がしたような気がします。

話は一転しますが、6434人がお亡くなりになった阪神淡路大震災から29年を迎えました。大きな被害があった神戸などで発災時刻に合わせ多くの方々が黙祷し祈りを献げる姿が伝えられましたが、そんな方々に合わせ黙祷させてもらいました。職員の多くが生まれる前の出来事であり記憶などあるはずもありませんが、神戸では阪神・淡路大震災発災後、約2週間後に、当時中央区吾妻小学校に勤めていた臼井先生が作詞・作曲し、東日本大震災の時にも歌詞を替えて歌われた「幸せ運べるように」が歌われただけでなく、大きな揺れで倒壊した建物の下敷きになったまま助けられることなく火の海に苦しみながた亡くなった方々のことなども伝えられたはずです。

そのような悲しい光景は広島に世界で初めて原子爆弾が投下された時にもありました。何度も読み返している、故井上ひさし氏の戯曲「父と暮らせば」のあるシーンです。あの日、あの朝、広島の上空五百八〇メートルのところで原始爆弾ちゅうもんが爆発しよったのは知っちょろうが。爆発から一秒あとの火の玉の温度は摂氏一万二千度じゃ。やい、一万二千度ちゅうのがどげえ温度か分かっとんのか。あの太陽の表面温度が6千度じゃけえ、あのとき、ヒロシマの上空五百八〇メートルのところに、太陽が、ペカーッ、ペカーッ、二つういとったわけじゃ。と書かれています。また、原爆の爆風によって倒れた家の下敷きになり押し迫る火災によって亡くなってしまう父の姿、その父を助けることができず生き残ってしまったことを嘆きながら生きる娘の葛藤が広島弁で描かれています。そんな広島では平和教育として幼い頃から原爆の恐ろしさや当時のことが語り継がれています。間もなく東日本大震災から13年を迎えますがあの日のことも時間と共に震災の記憶が薄れ風化していく懸念が高まります。こども園や宮城学院では能登半島地震の被災地・被災者の方々のために募金を募っていますが、今朝4歳児そら組のK君がこのお正月にもらったお年玉から募金をしたいと募金を入れてくれました。そんな気持ち、思いはすでに被災者や被災地に届いていることでしょう。K君ありがとう。

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