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 1 - 3 . 学生生徒園児への対応

 大 学 ・ 大 学 院

 ◆3月11日(金)

地震発生時、学位授与式(3月19日)で着用するが運貸出が行われていたため、卒業・終了学年を中心に学生がキャンパスにいたが、軽い怪我人が1名だった。教職員の引率の下で避難場所の中央広場に学生約300名、教職員100名が整然と避難。霙交じりの寒い天気、強い余震が頻繁に発生する中で、学科ごとに学生を集合させるとともに、建物内に残された学生がいないか教職員が手分けして確認を行った。余震が落ち着いたところで、教室に置いてきた荷物を取りに戻りたい学生をグループにして教員が引率し、短時間建物に入った。

16時ころ、建物の被害状況を確認し、安全性が高いと思われる大学体育館へ学生を移動させた。 一部の学生は中高の古川行き通学バスで帰宅をさせた。近隣のアパート居住で一旦帰宅したものの夜をすごせない状態で体育館に戻る学生もいれば、身内が迎えに来る学生、それに同乗して帰る学生などの出入りあり、最終的に250名程度の帰宅困難学生が、大学体育館に宿泊することになった。大学体育館では、自家発電による灯りと2台の大型ストーブで暖をとり、体操用マットの上に合宿所から運び入れた布団や毛布などを敷き寝具としたが、広い体育館はとても寒く、冷え切った身体を寄せ合いながら不安な一夜を過ごした。ライフラインが止まっていたため、宮城県沖地震のために備蓄していた食飲料水と宮城学院生協店舗から提供された食料品等で凌ぎ、トイレの水は、温水プールにあった水を使用しながら過ごした。


 ◆3月12日(土)

大学体育館での避難継続。(株)竹中工務店構造設計者による目視確認が行われた。


 ◆3月13日(日)

帰宅可能な学生を帰宅させ、残る学生(20数名)を学生センター合宿所に移した。教員、副手が泊りこみ、食事提供を行った。


 ◆3月14日(月)

学内避難学生23名、食事のみ立ち寄り4名、橄欖寮残寮25名。
10時から学長協議会を開催し、19日に学位記授与式を実施し、証書他を渡す方針を決定した。
また、学科長会議を開き、学科単位で教員の安否確認を行った。14時30分からは副手業務会議を行い、状況報告、副手の異動の報告をした。20時30分ころ、電気が復旧した。


 ◆3月15日(月)

学内避難学生23名、食事のみ立ち寄り4名、橄欖寮残寮25名。
10時から学長協議会を開催し、19日に学位記授与式を実施し、証書他を渡す方針を決定した。
また、学科長会議を開き、学科単位で教員の安否確認を行った。14時30分からは副手業務会議を行い、状況報告、副手の異動の報告をした。20時30分ころ、電気が復旧した。



 ◆3月16日(水)

教職員の休業日とされていたが、自主的に出勤した副手たちが学生の安否情報の整理作業に当たった。学長が橄欖寮に出向き、学生センター宿泊の学生を寮に移すことの説明を行った。寮内の部屋の整理、移動のための準備を開始した。(ダンボール箱の運び込み)。


 ◆3月17日(木)

安否情報の整理が進み、未確認分は学科により2%から20%になった。


 ◆3月18日(金)

学長協議会を10時から行い、新学期の開始日及びガイダンス期間のスケジュール等について決定した。会議には新学長も陪席した。
<決定事項>
・5月2日入寮式、5月6日9時から新入生オリエンテーション、7日在学生ガイダンス開始
・5月9日授業を開始し、前期13週+必要なら補講
・スケジュール外で組む必要のあるものとしては、健康診断、新入生歓迎会、オープンキャンパス
・死亡学生に対して大学としてどのように弔意を表すか検討する

出勤している大学教職員を招集し臨時の会議を10時40分から開始。本館を除く建物への立ち入りに関する注意喚起などが次のとおり行われた。
・短時間の立ち入りは認めるが、必ず2人以上で行動すること
・出入り時刻を記入し、ヘルメットを着用すること
・対策本部大学部門は第2会議室とする
・新学期スケジュールを学長が公表する

続いて、11時から学科長会議を行い、学科の連絡体制や連絡のない学生への対応(学科単位で教員が電話・メールで安否確認を実施)について情報を共有した。また、学生センター宿泊学生の移動に備え、教員の協力で橄欖寮の家財、荷物を移動し、3月31日までに副手及び教員がローテーションで当直することについても決定した。


 ◆3月19日(土)

学位記授与式は中止としていたが、来校した学生(午前2名、午後2名)については、学長室において学長から学位記を授与し、ガウンを着て記念撮影を行った。学長の卒業メッセージをHPに掲載した。学生センター宿泊学生の橄欖寮へ移動した。


 中 学 校 ・ 高 等 学 校


2011年3月11日(金)14時46分に三陸沖を震源とするマグニチュード9.0の地震が発生し、仙台では震度6を観測した。校内においては、毎年地震避難訓練を実施しており、当時はほぼ防災マニュアルどおりに避難誘導することができていた。緊急放送により生徒及び教職員に避難指示を行い、強い揺れが治まった後、頭上の安全等に注意を払いながら避難経路に従ってグラウンドに避難した。余震が継続的に起こる中、校内の生徒の安否確認を行い、全員の安全を確認した。その後、中学校高等学校の施設の中で最新であり、耐震性に問題ないと判断し、二次避難所としてランディス館に移動した。

防災ラジオで情報を得ながら、備蓄品の確認を行い、電源は自家発電機で確保することにより、照明・暖房・情報の確保や携帯電話の充電などをすることができた。日没前に食料と飲料水、懐中電灯、トイレ用水(ピアノ池の水)などを準備することができた。食料については災害備蓄用の他、校内にある宮城学院生協に在庫がある食品の提供をお願いし、中高食堂からも食材が提供された。

3月11日夜の食事は、備蓄食料のアルファ米と缶詰を提供した。必要となるお湯は調理室のカセットコンロを利用した、以降、3月17日に帰宅困難生徒が全員帰宅するまでの間、同様に食事を提供することができた。校内に避難した生徒の帰宅までの動向については下表のとおりである。


帰宅困難生徒の動向について
日時 中学生 高校生 教職員 合計
3月11日(金) 21:00 1年 15名 1年 46名 54名 188名
2年 14名 2年 35名
3年 22名 3年 2名
51名 83名
3月12日(土) 6:00 1年 13名 1年 43名 34名 155名
2年 14名 2年 30名
3年 20名 3年 1名
47名 74名
3月12日(土) 21:00 1年 0名 1年 7名 26名 41名
2年 1名 2年 5名
3年 2名 3年 0名
3名 12名
3月13日(日) 9:00 1年 0名 1年 5名 26名 38名
2年 1名 2年 5名
3年 1名 3年 0名
2名 10名
3月13日(日) 21:00 1年 0名 1年 1名 9名 16名
2年 0名 2年 5名
3年 1名 3年 0名
1名 6名
3月14日(月) 9:00 1年 0名 1年 1名 9名 15名
2年 0名 2年 5名
3年 0名 3年 0名
0名 6名
3月17日(木) 17:00 1年 0名 1年 0名 0名 0名
2年 0名 2年 0名
3年 0名 3年 0名
0名 0名

本校では、災害時における生徒の帰宅に関しては、保護者へ直接引き渡すこととなっており、全員の帰宅が完了したのは、3月17日であった。。また、3月13日の午後には帰宅困難な生徒が9名となったため、避難所を校舎に隣接する青桜シャロン寮に移した。保護者への本校からの情報発信については、毎年度初めに登録をお願いしている携帯電話等のメールアドレスへ行った。発信したメールについては下表のとおり。


保護者への情報発信
日時 内容 対象
3月11日(金) 15:51 校内生徒の無事、及び保護者による生徒引取りの要請 全学年
3月12日(土) 20:01 3月19日まで臨時休校、卒業式中止、学校再開についてはメディア・メールで連絡 全学年
3月14日(月) 12:40 安否所在確認 全学年
3月15日(火) 13:01 携帯ホームページ、今後の予定メール取得方法の案内 全学年
3月15日(火) 20:39 3月中の行事中止 全学年
3月18日(金) 12:48 中学校卒業式、終業式中止、新年度開始は4月下旬の予定 全学年
4月1日(金) 16:10 実力テスト日程について 中学生
4月6日(水) 11:04 旧中学3年生へのオリエンテーション後に卒業式予定 中学生
4月8日(金) 11:46 教科書購入変更について 高校生

 附 属 幼 稚 園

 ◆3月11日(金)

14時46分 地震が発生した。
スクールバス2便目(こあら号、かんがるー号)の出発直後に地震が起こった。
園内には、預かり保育利用園児4名が残っていた。揺れがおさまった後、園庭に職員6名で避難させた。園庭にはマット、シートなどを敷き保温に努めた。
外部との連絡を3名で行ったが、停電のため連絡は取れなかった。
「かんがるー号」は、8名の園児を乗せ桜ヶ丘3丁目を走行中であった。激しい揺れを感じた添乗の教諭は幼稚園に携帯電話で連絡を入れた。防火・避難管理者は、「揺れが落ち着いたら園に戻る」ように指示をした。バスは園に戻り、園児8名を園庭に避難させた。園に残った園児は12名となった。
教頭は本館に向かい、状況を学院長、事務局長、財務施設部長に報告させた。(園児は12名残っていること、建物の大きな被害はないこと、園長は学外におり不在であること)財務施設部長より、こあら号からの連絡を待つことと、戻っているバスは園舎前に待機することという指示を受けた。
余震がおさまっているときに、園舎前に駐車していたバスに園児を誘導し、バスの中で暖をとり、保護者の迎えを待った。「こあら号」は、5名の園児を乗せ加茂地区を走行中であった。添乗をしていた教諭からの連絡はなく、バス無線を使って連絡をとってもらったが応答はなかった。

15時40分。
教頭と教諭1命は、かんがるー号こー図のバス停で待っている保護者の有無を確認するため自家用車で、各バス停へ向かった。どのバス停にも保護者は待っていなかったことを確認した。職員は、バス車内で園児対応3名、台所・保育室の状況確認5名(1名は帰宅)に分かれて行動した。

16時10分。
全員を送り届けて戻った「こあら号」のバスも、そのまま園舎前で待機した。

17時。
教頭、教諭の1名が、かんがるー号のコース確認から戻った。
教頭は以下のことを事務局長に報告した。

1.園内の状況
保育室の壁に小さな亀裂が見られたこと。
プレールームの天井から建材のもの思われる粉が落ちてきたこと。
台所の吊り棚の扉が開き、メラミン製の皿が多数落下し破損したこと。
玄関の写真立てが落下し破損したこと。

2.園児の引き取り状況
17時の地点で9名が帰宅したこと。残っていた園児は3名になっていること。

17時05分
事務局長より、中高帰りのバス時刻になるため、スクールバス2台は、ロータリーに移動してもらうようにとの指示を受けた。
スクールバスから避難に使ったものを降ろし、園児3名も降車させた。この時点で園児2名の保護者が迎えにきたので引き渡した。その後、バスはロータリーへ移動した。

17時30分。
最後の園児1名を保護者に引き渡した。
教頭は、全員が帰宅したことを事務局長に報告し、その後の指示を仰いだ。施錠し帰宅してよいとの指示を受けた。

17時55分。
職員帰宅。翌日については園長の指示を待つようにし、自宅待機とした。

園児引き取り状況
園児は12名全員バスの中で待機していたので、バスから降車させ保護者に引き渡した。15時20分ころから保護者が来園し始め、17時までに9名が帰宅した。17時05分に2名、17時30分に1名の迎えがあり、全員保護者に引き渡すことができた。多くの母親は自家用車で迎えにきたが、中には台原から徒歩で迎えに来た母親もいた。

 ◆3月12日(土)

教頭は学院本部(大学部門)に出向き、休園についてのラジオ放送を行うため指示を受けた。学長と相談し、連絡網が使えるようになるまで、しばらく休園するという内容をラジオで放送することに決めた。(NHK、FM局に依頼するよう学長から指示を受けた)
教頭は、学院長、事務部長、学長補佐等に上記の旨を伝えた。中高に災害ダイヤルがあるとの指示をうけ、ランディス館に行き確認したが、使用できないことがわかり直接NHKへ行くことにした。その旨を学長補佐に伝えNHKにバスで出向いた。12時30分ころにNHKに到着し、ラジオ放送を依頼した(原稿を渡した)。依頼後まもなく放送された。FM局にも行ってみたが閉鎖中であった。

 ◆3月13日(日)

大学と、中高の臨時休校等の措置情報を東北放送に放送してもらったが、幼稚園についても放送してもらえるよう、法人総務人事グループ広報室に依頼した。電気が復旧したこともあり、再度NHK(二瓶氏)、仙台放送(報道の菅原氏)に徒歩で依頼に行き、15時頃に教頭が両局に依頼し、テレビのテロップで流してもらった。
職員の出勤については、園長、教頭で相談し、14日は専任のみ、9時出勤とし、自宅訪問、メール、電話などで連絡した。

 ◆3月14日(月)

園舎内外の確認をしたが特に変化はなかった。
今後の日程について園長、教頭、専任職員で検討し、以下の案をまとめた。
今後の日程案
1.修了式…23日頃に行うこと
2.終業式…中止とし、24日に持ち物の受け渡しを行うこと
3.新入園児オリエンテーションは中止とすること。予定は18日に保護者に連絡すること。
※当面職員は9時から12時までの勤務とし、残務整理を行うことに決めた。

 ◆3月15日(火)

電気が利用可能になったので保護者へメール配信し安否所在を確認した。
園舎内外の確認を再度行い、被害状況を文書にして大学事務部長補佐に提出。本部より林基哉教授、財務、施設グループ坂本部長補佐が被害状況の確認に来園した。
第1回全学院緊急対策本部会議が開催され、園長、教頭、防火・防災管理者が出席した。
会議終了後、園長、教頭、防災・防災管理者が今後の日程について検討した。

今後の日程案
16、17日は学院休業 22日~26日園児立ち入り禁止
29日修了式(5歳時のみ)10時~
30日終業式 (3、4歳児)10時~、無理のない限りの登園とする。
※打ち合わせでは、22日の全学院緊急対策本部会議が終了後、確定したら保護者にメール配信すること、放射能問題が深刻化した場合は再度検討すること、の2点を決めた。

宮城県私学文書課より被害状況の確認があり、園の電話が使用できないため教頭の携帯電話で対応した。

 ◆3月18日(金)

上下水道が使用可能となった。職員会議にて、園長が15日の全学院緊急対策本部会議の報告ならびに今後の日程を伝達し、園長は3月22日から9時~12時の全員勤務を命じた。
2011年度の入園式、始業式の日程を検討した。
第1案 4月28日(木)始業式 5月6日(金)入園式
第2案 4月25日(月)始業式 4月27日(水)入園式
教頭は、安否所在確認メールの返信チェックし、全員の無事を確認した。
新入園児へオリエンテーション中止のはがきを作成、発送(在園児弟妹を除く)した。
事務局長、総務部長代理が来園。状況説明報告を園長、防火、防災管理者が聞いた。

 ◆3月19日(土)

3月18日付で幼稚園のホームページが更新されたため、園長と教頭で、修了式、終業式の日程と23日の新入園児オリエンテーションの中止も含めてホームページを更新した。
修了式、終業式は予定である旨を明記した。

 ◆3月22日(火)

電話が使用可能となった。
今後の日程の確認を行った。

今後の日程
23日職員会 10時~
29日修了式 10時登園 10時30分開始 11時30分終了
30日終業式 10時登園 10時30分開始 11時30分終了予定 終了次第解散
※登園は無理なく、スクールバスは運行しない、持参する物をメール配信した。欠席の場合の持ち物の受け渡しについても確認した。

第2回全学院緊急対策本部会議が開催され、園長、教頭、防火・防火管理者が出席し、上記の日程が了承された。第2回全学院緊急対策本部の報告を圏内で行い、今後の日程について全職員で確認した。

 ◆3月23日(水)

職員会議にて、今後の日程について再度内容の確認を行った。
※宮城県私立幼稚園連合会に被害状況調べをFAXした。

 ◆3月24日(木)

(株)ヴォーリズ建築事務所、(株)竹中工務店、財務施設グループ坂本部長補佐が来園。被害状況、構造点検を行った。
※キリスト教保育連盟に被害状況調べをFAXした。

 ◆3月25日(金)

第3回全学院緊急対策本部会議が開催され、園長、教頭、防火・部お菜管理者が出席した。

 ◆3月28日(月)

修業準備を行った。

 ◆3月29日(火)

修了式 2名欠席(避難のため)第1プレールーム及びテラスで行った。

 ◆3月30日(水)

終業式 15名欠席(避難のため)第1プレールーム及びテラスで行った。

本園から保護者への情報発信については、年度初めに登録をお願いしている携帯電話のメールアドレスへ停電の解除を待って行った。そのほか、ホームページや公共の放送などを利用した。(全園児保護者への情報発信)
3月12日(土) 連絡網の使用が可能になるまで臨時休園のお知らせ→NHKラジオ
3月13日(日) 臨時休園のお知らせ→NHKラジオ・仙台放送
3月15日(火) 安否所在確認→メール配信
3月18日(金) 新入園時へオリエンテーション中止のお知らせ→葉書発送
3月19日(土) 今後の日程について(修了式・終業式・新入園児オリエンテーション)→ウェブ更新
3月20日(日) 今後の日程について(修了式・終業式)→河北新聞(学院として)
3月22日(火) 今後の日程について(修了式・終業式)→メール配信
4月02日(月) 新年度(入園式・始業式)→文書発送