2023.05.23 学びの始まり
照れ隠しなのでしょう、車から降りると、いつもお母さんに抱っこしてもらいながら保育室に向かう5歳児ひかり組のK君。今日もいつもと変わることなくお母さんに抱っこをせがんで保育室へ向かおうとしているのですが、表情がいつもと違い、何とも嬉しそうで「こっちを見て」と言わんばかりなのです。それが何故かはK君が黒い画用紙で作った眼帯を右目に着けていることと、お母さんが持っている大きな三日月の前立てが付いた黒い兜を持っていることがピンと来ました。そうです、K君はどこからどう見ても伊達政宗公になって登園してきたというわけです。いうまでもなく土・日に開催された「仙台・青葉まつり」に出かけ刺激・影響を受けてお母さんと一緒に手作りしたとのことですが、クラスの友だち、担任の先生はじめ、みんなに声をかけてもらい嬉しかったのでしょう。朝、お母さんに抱っこされていた人物とは思えないくらい積極的に話しかけてくれて、写真撮影にも喜んで応じてくれました。以前にも書いたかもしれませんが、「学ぶ」の語源は「まねぶ」「まねる」(模倣する)と解釈されることが一般的です。要するに、物事を「まなぶ」ためには、まずは模倣が出発点になるということでしょう。ということは、まさにK君は素晴らしいことを学んでいるということに他なりません。もちろん、これから戦国武将になること、ましてや伊達政宗公になることは無理ですが、様々なことに興味関心を持ちたくさんのことを学んで欲しいと思います。また、毎日のように「ゴミ収集車」の到着を待ち、投げ入れられたゴミが圧縮され飲み込まれていく様子を見ているS君に付き合ってくださっているお父さんに今日はMちゃんとお父さんが加わり、何とも微笑ましい学びの光景が見られました。