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3月のロンドン日記

 春ですね!アーモンドチェリーが濃いピンクの花をつけ、公園には黄色いダフォディルという水仙が群生し始めました。仙台でも、少しは空気が温んできたでしょうか?「ロンドン日記」最終回となる今回は、この春卒業される皆さんに捧げたいと思います。


 これから皆さんは、大学を卒業し、それぞれに独りで、自分の足で歩き始められます。どこを向いて歩いていきますか?めざすものは何ですか?自分の道を創っていくよりどころを、大学生活で得られましたか?きっと、今、皆さんの中には、希望、期待、充実感、不安、迷い、焦り、その他もろもろのいろんな気持ちがぐるぐるしていることでしょう。

 ぜひ、今の、なんとなくそわそわした、パステルの色彩が混じり合ったような気持ちを、覚えておいてください。世の中には何かひとつのゴールがあって、みんながそのひとつのゴールを目指していて、そこに到達すれば勝ち、しなければ負け、というようなものではないですよね。お手軽な正解ルートなんて存在しません。どこを向いてどう歩いていくかは、ひとりひとりが、自分自身と向き合って考えるしかありません。行き詰ることもあるだろうし、驚くほど調子よく進むときもあるでしょう。どんな時でも、道の途中で、ふと、今の気持ちを思い出して微笑むことが出来れば、あなたはきっと、再び新鮮な空気を吸い込むことができます。自分の中の澱んだ空気にいつも新たな風を吹き込むこと、物事をさまざまな角度から見る、新たな目、新たな視線を持つこと、そのための「窓」を、自分自身の中にたくさん開いておくこと、それがきっと、あなたの道を豊かに彩り、次なる一歩への自信を与えてくれます。


 私はジョン・ケージの『4分33秒』の楽譜を持っています。表紙と説明書き、ほんの3,4枚の紙から成る「楽譜」が約1000円・・・・しかしここには、当時のケージの思考の結晶が詰まっています。この楽譜はいつも私を、「楽譜って何だろう?」「演奏って何だろう?」「創るってどういうことだろう?」という根源的な問いに引き戻してくれます。その時々の私の目によって、全く違う問いが生まれてきます。

 私はまた、かつて師と交わした言葉を思い出しながら、自分に問いかけます。「自分は今見ているものの本質をきちんと見ているだろうか?」「自分は明確だろうか?」「自分は十分に考え抜いているだろうか?」これらの問いは常に私を戒め、もっとも大切なものは何かを思い出させてくれます。

 心に残る映画、時々どうしても見に行きたくなる絵、初めて聴いた時の感動が即座に甦る音楽、忘れられない風景、繰り返し読みたくなる本・・・これらは、私の心に「揺さぶられた記憶」を取り戻してくれます。心が揺さぶられると、停滞して澱んで凝り固まってしまう状態から、すっと脱け出ることができます。


 最近山登りを始めた友人から聞いた、他人の失敗のために両手の指を失いながらも黙々と山に登り続ける山男の話。子供のための物語を次々と書いては出版社に送り続け、却下され続けているという友人。毎朝2時間、比叡山までの通勤の車の中で声明の発声練習をする神戸のお坊さん。現代音楽の最前線で活躍するチェロ奏者であり王立音楽院の先生でもある超多忙な日々の中で、歌曲しか作曲しなかったデュパルクについての詳細な研究を続ける知人。友人や家族、恩師や教え子、仕事仲間、さまざまな機会に偶然知り合った人々・・・それぞれの環境で真摯に道を模索している人の言葉を、心の「芯」で受け止め、感じると、私自身に新たな目が開かれ、違うものが見えてくるように感じられます。

 いっぱしに自分の力で生きているような気になっていても、人間は、太陽のように自ら放つ光だけであたりを照らし続けることはできず、月のように他者に照らされ、照り返すことによって、ようやく道がおぼろげに見えてきます。自力では照らせない光を与えられ、清新な空気を呼吸する努力を重ねて、私はようやく、自分の道を歩いているのだと思います。


 宮城学院の学生さんは、とても照らされ上手です。素直な、真っ白な心で相手と向き合い、吸収し、ぐんぐんと伸びていかれる様子を見るのは、いつも心楽しく、背筋の伸びる思いです。どうぞこれからも、太陽のようにあたりを照らし、月のように照らされて、輝いて下さい。美しく輝くために、たくさんの「窓」を大きく開いて、常に新鮮な空気を吸い込むことを忘れないでいて下さい。そして、道の途中で、いつでも、今の期待と不安に満ち満ちた気持ちを思い出し、優雅に微笑んで、常に新鮮な一歩を踏み出して下さい。
 ご卒業おめでとうございます。
 どうぞよい人生を!

2006年3月
なかにしあかね