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2月のロンドン日記

 ここしばらく陽を浴びていない。日没までの時間は少しずつ長くなってはいるが、天気予報は毎日、「今日も一日中とてもグレーな曇り空でとてもとても寒いでしょう。明日も同じようなもの、明後日も同じようなもの。週末も同じようなもの・・・」いったい冬はどこまで続くのだろうか?


 今書いている作品はなかなか納得いかず、あっちに手を入れこっちを直し、予定は遅れるばかり。弾き込んですっかり手の内に入ったと錯覚していた音楽が、ある日突然全く別の顔を見せて新たな問題を次々と投げかけてくる。研修期間はあとわずかだというのに!いったい私に何ができると言うのだろう?昨夜はコンサートの帰りに地下鉄が故障し、寒いホームで長時間凍えながら待たされすっかり風邪をひいてしまった。夜中の3時頃に怪しげな広告のファックスが入って寝入りばなを起こされた。今日は電気会社のカスタマーサービスと朝から不愉快なやり取りがあった。気の重いメールを書かなければならず、形式ばった英語と格闘したらひどく疲れた。調べ物をしていたら、過去に確信を持って自作のプログラムノートにも書いたある事実が、間違いだったことに気づいた。お気に入りの革コートのボタンを失くしてしまった・・・・
 やれやれ・・・・この上に、命綱の暖房のボイラーが壊れたり(10月に1度あった)、駐車時間オーバーの罰金を取られたり(12月に一度あった・・・たった2分オーバーで!)が重なったら、もうお手上げってとこだろう。フラットの庭にやってくる鳥たちが羨ましくなるのはこういう時だ。いいねえ。君達は。悩みなくて。

 
 でも、違う違う。そうじゃない。「I woke up this morning and I was still alive !! Glory Hallelujah !! (朝起きたらまだ生きていた!ハレルヤ!・・・私の好きな映画のセリフです)」私は鳥たちのように、日々自然の脅威や飢餓の危険にさらされてはいないし、とりあえず生きて、動いて、考えることが出来る!自分の音楽は、これまでも、これからも、一生勉強し続けるしかないものだし、とりあえず今日自分にできることを積み重ねるしかない。新たな問題の発見は、次なるステップへの扉であり、必要なのは踏み出す勇気だけだ。こちらの思っている常識や考えの通用しない相手と関わらなければならないことも、生きて社会生活を送っている証だし、自分の間違いに気づくことはむしろ感謝すべきことだ!失敗からは学び、壊れたものは直し、支払うべきものは払うしかない。これらを人生の最良の瞬間と感じることは難しいかも知れないが、生きてるってことは常に最高に素晴らしいことだ!
 

 
 素敵な女性に会った。79歳。おばあちゃま、と心からの親しみを込めて呼びたくなる、ふくよかで、暖かくて、おしゃべり好きな、楽しい人だ。田舎の瀟洒なコテージで孫の来訪を楽しみに待っている、という図がぴったりはまりそうな、絵に描いたようなイギリスのご婦人。ところがこの方、ただのおばあちゃまではなかった。第一、出会ったところが英国現代音楽推進協会の作曲家セミナー。作曲家達が自分の作品を持ち込んで試演してもらったり、より効果的な記譜法について演奏家とディスカッションしたりする場だ。そこで、昼食のテーブルがたまたま一緒になったのが、この女性だった。
 彼女は長年地元で音楽の先生をしていた。退職して得た年金を、これからの自分のためにどうやって使おうかと考えたとき、「作曲をやってみたい」と思った。シェフィールド大学の作曲科に入り、「もうこの年で急ぐこともないから」ゆったりと学位を進んで今博士課程に在学中の大学院生!「大学のオーケストラに自分の曲を演奏してもらえるし、学生の身分は本当にメリットが多くて、今が人生のパラダイス!」なのだそうだ。パートタイムの学生なので授業料は安いし修了年限も余裕があるし、できるだけ長く引き伸ばして、学生でいられるだけいるつもりだと言う。すごい・・・「今さら立派なプロフィールもいらないし、やりたいことをやってるだけ。楽しくてしょうがない」悠々とわが道をいく彼女は、さぞ自由に、奔放に、何ものにも囚われず、自分の音を書いているのだろうなあ・・・その境地を想像するだけで、私のちっぽけなプライドと自己防御システムは、綿飴みたいにふにゃふにゃになってちぎれて飛んでいってしまう。
 
 
 そうだった。私の基準は2人の師匠だけだ。サー・ハリーに見せられる作品か?亡くなったジェフリー・パーソンズに聴かせられる演奏か?最高にフレキシブルで厳しい基準が、自分の中には確立されている。それ以外のなにものにも、私は囚われるべきではない。常にそこへ向かって努力するだけだ。自分の外側の、外界との接点の部分でものを感じるんじゃない。自分の内面、内なる意志で感じ、考え、物事に対するんだ!
わかっていたはずのことを、しかし、ともすればさまざまな薄汚れたフィルターで曇らせてしまいがちなことを、彼女は薔薇色の「パラダイス」を背負ってさらりと見せてくれた。たった一日だけの、宝物のような出会いだった。


 冬枯れの木の枝に、新芽をみつけた。まだ茶色くて、いかにも固そうだが、つやつや光っている。こんなに寒くてどんよりと暗い日が続いていても、どうやら本当にもうすぐ春が来るらしい。

 
2006年2月
なかにしあかね