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11月のロンドン日記

 今からちょうど400年前の1605年11月5日、ガイ・フォークスとその仲間達が国会議事堂を爆破しようと企んでいました。ガイはカトリック教徒で、戦争従軍の経験から火薬についての知識が豊富でした。エリザベス一世の死後王位に就いたジェームズ一世は、王権神授説を唱え、全国民に英国国教徒となることを強要し、カトリック教徒を弾圧したため、ついに過激派の彼らが国王抹殺の暴挙に及んだわけです。計画は前日に漏れて未遂に終わり、ガイとその仲間は全員処刑されました。


 ここまでは、西洋史のあちこちに見られそうな話。ところが、イギリス国民はそれを記念して、この時期に花火を上げるのです。11月5日だけでなく、一週前のハロウィーン前後から毎晩、各家庭の庭で、校庭で、公園で、打ち上げ花火が断続的に夜中まで続きます。条例で花火は23時30分までと決められているそうですが、寛容すぎでないか?この晩秋の寒空に毎晩ロンドン中で上がる花火は、冬の到来を告げる風物詩です。日がどんどん短くなり、陽光は弱く、とろんと長くなります。


 英国歌曲の分野には、この、冬の到来を予感する歌がたくさんあります。ベンジャミン・ブリテンの歌曲集『冬の言葉』の「11月の黄昏に」、あるいは『この島で』の「いまや木の葉は散り急ぎ」などは、木枯らしが薄暮の木々の間を吹きぬけ、刺すような空気感と寂寥感を肌で感じる曲です。


 歌と言えば(ちょっと強引?)、先日私の「SONGS」という室内楽作品がロンドン初演されました。ヴァイオリン・クラリネット・ピアノの三重奏で、「SONGS」は実は「SONGS WITHOUT WORDS(無言歌)」なのです。アメリカのヴェルデア・トリオの委嘱で昨年書き、すでに初演された作品ですが、私がロンドンにいると知って、急遽彼らのロンドン・ツアーのプログラムに含めてくれたのでした。こういう演奏家からのサポートを、欧米では多く経験します。同時代に生きる作曲家との関係を、過去の偉大なるバロックや古典やロマン派の巨匠達と同じように、(時にはもっと)大切にするのです。自分たちもまた歴史を創っている、という自負と覚悟と誇りを感じます。


 私の博士時代の研究テーマは『音楽と劇性』でしたが、そのテーマをその後も発展させ続けライフワークとしています。前述の「無言歌」も、その一環でした。今回のロンドン研修では、中でも特に『音楽と言葉』を中心に据えています。イギリスに来ているのは、英語のテキストの扱いとドラマタイズのさまざまな可能性を、作曲と演奏の両面から研究するためです。


 演奏も作曲も、その作業の大部分は、地味で地道な努力の積み重ねです。華やかに消費するだけでは必ず枯渇します。一瞬の輝きのために、多くのエネルギーと発想とボツになるアイデアと落胆と立ち直りが蓄積されて、ようやく、ほんのり線香花火程度にあたたまるのです。


 宣伝です。今年の10月にリリースされたCD『ベンジャミン・ブリテン歌曲集U』(テノール辻裕久・ハープ木村茉莉・ピアノなかにしあかねFMC-5045)が、「レコード芸術」誌上で特選盤に選ばれました。そのうち音楽科図書資料室にも寄贈しておきますので、機会があったらぜひ聴いてみてください。一歩ずつ、一歩ずつ積み重ねた地道な努力を、誰かに認めて頂けるのは本当に励みになるし、ありがたいことです。暗くて寒い夜空にたまに上がる花火みたいなものです。一瞬明るく照らして頂いて、心から感謝して、そしてまた、暗くて寒くて寄りかかるもののない道を、一歩ずつ試行錯誤しながら歩き始めるわけです。まだまだ先は果てしなく遠くて暗くて寒いけど、どうにかこうにか転んでもタダでは起きずに歩き続けています。皆さんもお風邪など召しませんように、お元気でお過ごしください。

2005年11月
なかにしあかね