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1月のロンドン日記

 年末に、旧師であり、十数年来の親しい友人であるキース・ポッター夫妻の田舎の別荘で、ピーター・ホープという作曲家ご夫妻と親しく話す機会を得ました。70代後半のピーターの名前を知る人は少ないかも知れませんが、彼の書いた音楽は、多くの方が耳にしているはずです。彼は、ジョン・ウィリアムスをはじめとするハリウッド映画音楽の大御所達の、オーケストレーションを長年担当していたのです。現在のように、音楽も美術セットも特殊効果も、ほとんどすべてコンピュータースタジオで製作できてしまう状況とは違い、映画を成り立たせる素材のひとつひとつに、大勢の生身の人間が関わっていた時代のことです。ジョン・ウィリアムスがアイデアをスケッチし、「この部分は金管で、この部分は弦を効かせて」などと細かく指示を出すのに従って、実際のオーケストラ・スコアを書くのが、ピーターの仕事でした。「作曲家」のスケッチに基づいて「編曲家」がオーケストラ・スコアを書き、そのスコアから「コピイスト」がパート譜を作り、オーケストラがそれを演奏して録音するまで、その全過程が24時間のうちに行なわれる、というようことも珍しくなかったそうで、「1ページ書いてこれで20ポンド(約4千円、:現在の価値に換算すると1万円強くらい?)、2ページ、40ポンド、5ページだ、これで100ポンド、と数えながら、ただひたすら書いていった」と、ご本人が語る通りの、緊迫した修羅場であったことが容易に想像できます。現在彼は、悠々自適のカントリーライフを楽しみながら、心行くまでオリジナル作品を書き、地元のオーケストラで上演したり、長年の付き合いの演奏家達とコンサートを催したり、リラックスし、かつ充実したコンポージング・ライフを送っておられます。


 この日のティー・パーティーのメンバーは、ピーターと、詩人である奥様パムのご夫妻、全国紙の演奏会評ライターでありロンドン大学ゴールドスミスカレッジ音楽部長であるキースと、俳優マネジメント事務所を率い演劇スクールも運営する奥様ケイのご夫妻、そしてテノール歌手&大学教官と作曲家&ピアニスト&大学教員の私達夫妻、という、世代の違う3組の夫婦でした。年齢的には親子以上離れていますが、全員が何らかの芸術分野の専門家であるメンバーで、話題は多岐に渡りました。芸術に関わって生きる道の多彩さ、それぞれの道で居場所をみつけ、努力し、バランスを取り、年齢と共に、自分自身の変化と共に、あるいは社会的・外部的状況の変化によって、変遷することの面白さを目の当たりにした思いでした。

 1月17日。ヨーク大学の大学院セミナーの講師にお招き頂いて、講演してきました。(おお。「日記」らしくなってきた。)ヨークはイングランド北部の古都、1世紀からの歴史を持つ、城壁に囲まれた美しい街です。ヨーク大学は、城壁の外側に広大なキャンパスを持ち、大学院の作曲科院生だけでも20数名在籍している大規模校で、キャンパス内に美しい湖があり、教育、研究、環境のどれもがよく整った、とても活気のある大学です。

 
 講演依頼は私自身の作品について語ることでしたが、日本とイギリス双方の状況を知る立場として、日本の若い作曲家の状況なども話して欲しい、とのことでしたので、私がどのようにして日本とイギリスの双方の文化を吸収し、自分自身の中に道を切り開いてきたか、その変遷を話すと共に、いくつかのマイルストーン的な作品を取り上げました。また、あらかじめ、私の信頼する若い作曲家の知人に協力をお願いして意見を聞き、彼の作品も紹介しました。
 
 
 無名の新進かベテランの大物かに関わらず、自分の音楽について語ることは、この国では作曲家の基礎技能のひとつとみなされます。これは、自分を客観視する上でも非常に有効な手段です。おそらく、作曲家に限らず、自分自身について的確に言語化し理解を得られるということは、社会人としての当然の基礎技能なのですね。今回、現在の作品について話すだけでなく、過去の資料を引っ張り出して、自分の足跡を辿る必要に迫られたのは、非常に新鮮で興味深い経験でした。学生さん達からは驚くほど熱心な質問やコメントがあり、国や背景は違っても、音楽の道を志す学生が、苦労したり不安になったり、自分自身を変えていく努力をしたりするのは、みな同じだということを、改めて実感しました。
 

 人生は次々と変化するからこそ面白いし、それが自分なりに「成長」と感じられればさらに素晴らしい。折りしもこの日、1月17日は、11年前に私の故郷が阪神大震災で壊滅的打撃を受けた日でした。ささやかながらもさまざまな時代と変遷を経て、とにかく無事に今こうして生きていることを感謝したいと思います。2006年が皆さんにとって、良い年でありますように!

2006年1月
なかにしあかね