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 > 第1章 - 2. 大地震発生直後の宮城学院の状況と対応

 1 - 2 . 大地震発生直後の宮城学院の状況と対応

 (1) 避難場所の設営・運営

震災当日の3月11日、大学は春季休業期間中であったが、卒業予定者に対して翌週の学位記授与式で使用するガウンの貸出を行っている最中であった。中学校高等学校は、高校3年生はすでに卒業式を終えていたので登校しておらず、他学年については通常授業中であった。幼稚園は、帰宅途中であり13名の園児が2台のバスに乗っていた。

14時46分、地鳴りが聞こえたかと思うと、続いて大きなタテ揺れが2~3回あり、その後の横揺れもあわせると6分程度激しい揺れが続き、地震発生中に停電となる中、何かにつかまっていなければ立っていられないほどであった。
揺れがおさまったあと、大学は指定避難所の中央広場に、中学校高等学校は指定費年場所の運動場にそれぞれ避難し、小一時間ほどその場から動くことができなかった。雪が降り出したことから、二次避難場所として大学は大学体育館に、中学校高等学校はランディス館にそれぞれ学生生徒を移動させた。幼稚園の通園バスは、1台が8名の園児を乗せて園に戻り、1台は園児を保護者に引き渡して園に戻った。

その後、日没(17時39分)が迫る中、備蓄品の毛布・懐中電灯・食料を倉庫から運び出し、避難学生生徒へ配分した。大学体育館ではこの間、徒歩やバスで帰る学生、迎えに来る保護者など、体育館内は出入りが激しく一時は騒然とした状況となった。

移動型発電機を使用してジェットヒーターやスポット照明を起動したものの数は足りず、ライフラインがすべて止まった状況下で、毛布は3~5人当たり1枚しか行き渡らず、あるだけのマット類を敷いた上で避難した者たちは余震におびえる夜を過ごすこととなった。

この日、ライフライン、電気、ガス、水道、電話全てが停止した状況で、避難宿泊をした者は、大学生246名、中高生134名のほか、帰宅困難のため又は当直として残ることとなった教職員を合わせて、桜ヶ丘キャンパスには約400名が残っていた。


 (2) 被災状況の確認等

- ア . 応急対応 -
大学体育館の安全点検を実施し、柱・梁などの構造体に損傷はなく、帰宅困難学生の避難場所として使用可能と判断した。なお、天井材の金属性ネット2枚がフレームから外れていたが、金属製ネットはワイヤーにより支持されており、落下の危険性はないと思われた。しかし、念のためネット直下の範囲を使用しないこととした。防寒資材・非常食の搬入、トイレ用の用水をプールから運びトイレに用意して、使用を開始した。

体育館にディーゼル発電機(30kV)2台を設置し、水銀灯2本の照明と灯油式パネルヒーター2台の電源とした。残りの電力でお湯を沸かし、非常食(α米食など)用として使用した。 中高ランディス館の安全点検を実施。帰宅困難生徒の避難場所として使用した。ガゾリン発電機を仮設照明に使用。

- イ . 緊急被災状況調査 -
応急危険度判定員・一級建築士による緊急被災状況調査を行い、建物の耐震安全性を判定し建物内に入ることが可能か判断した。その情報をもとに立ち入り出来ない建物・復旧工事で立ち入れない建物をキャンパスマップ(別図)に色分けして学内に表示した。

本学員は、2009年度までに耐震診断及び耐震改修工事が完了していたこともあり、一部に構造復旧を伴う補修を要する箇所はあるものの、構造体が倒壊や崩壊に至る危険性のある被災箇所は認められなかった。

 (3)ライフラインの状況

3月11日発生の地震により、宮城学院のある桜ヶ丘地区ではライフラインすべてが停止した。 各事業者による懸命の復旧活動の結果、東北電力(株)による電気の復旧は3月14日夜、仙台市水道局水道の復旧は3月15日、NTT東日本による電話の復旧はNTT中山局の復旧に時間を要したことから3月22日、仙台市ガス局によるガスの復旧は4月15日となった。