「千年に一度」の大災害とか、「想定外の津波」とか、大げさで、しかもどこか「やむをえなかった」という響きのあるこの表現はもうやめよう。 私たち、幸いにも行動できる者たちは、ただ起こった出来事を直視し、被災し、痛みを負ったものたちに手をさしのべ、おそらくは長く続くと思われる再建の道を、共に歩むこ とをしなくてはならない。

激震に遭遇して以後の、宮城学院の経験を振り返るべきときが来ている。ここに当時のメモや写真、記憶による証言、などを集め、宮城学院の東日本大震災の記憶としてメディ アに残す運びとなった。 宮城学院の状況を初めてお知りになる方も、ページにアクセスするのもおつらい関係者もおありかと思う。けれど、忘れてはならない私たちの記憶のよすがとして、本コンテン ツに目を通していただければ幸いである。

宮城学院の建物そのものは地震によく耐えた。固い地盤であったことに加え、2年前に完成していた耐震工事の成果であった。それでも生じた建物や通路の破損は迅速に修復され、 やや被害の大きかった2台のパイプオルガンも秋に修復が完成し、元通りの音色を響かせてくれた。授業は各学校4月末から5月始めに再開し、学業の遅れは最小限ですんだ。この 間、地震直後から、学内にいた学生生徒の安全確保から彼女らの安否確認、建物の被害状況、被災学生への支援など、緊急でしかも山積みする仕事を不眠不休で遂行した教職員の 働きには、特筆するべきものがある。学外の被災地域や被災者のためにも、宮城学院は物資補給やボランティア派遣、被災者を慰める諸行事の会場提供、などの働きをすることも できた。感謝すべきことである。

にもかかわらず、私たちは2人の大学生を失い、大学に入学予定であった1人も亡くなった。 家族を、また家屋を失った学生生徒も多数に上った。教職員にも少なからぬ被害者が出た。この方々への支援に宮城学院は全力を尽くし、それはまだ終わってないことを承知して いる。経済的支援のみならず、心のケアにも配慮しなくてはならない。

神のなさることはときに人知を越えて残酷ですらあるかもしれない。しかし「神を畏れ、隣人を愛する」とのスクールモットーを持つ宮城学院は、置かれた状況に、ただ神の助け を信じて取り組むことを第一と考えた。復興に向けての日々に、神の言葉が与えられた。震災前に定められた2011年度の聖書の言葉は「神よ、守ってください。あなたを避けどこ ろとするわたしを」(詩編16:1)であった。そして復興に努力する私たちには、「神は耐えられないような試練に遭わせることはなさらない」(Iコリント10:13)との言葉がはげまし であった。今、安らかさを取り戻しつつある私たちには「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイ11:28)との言葉が与えられ ている。

神に守られている幸いに力を得て、宮城学院は自分自身だけでなく、東日本の復興のためにもたゆまず努力し、貢献したいと思う。