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「天にみ栄え地に平和」は、宮城学院校歌(土井晩翠作詞)の冒頭句です。これは、天の大軍の賛美「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」と共鳴し、建学の精神「神を畏れ敬い、人類の福祉と世界の平和に貢献する女性」に通底し、宮城学院の教育を示しています。
キャンパスの建物群は、たんに雨風をしのいだり、ものを作ったり売買したりするために奉仕するものでなく、必要性や有効性とは異なるもっと高貴なもの、すなわち、建学の目的を遂行するために捧げられたものです。桜ヶ丘キャンパスは、約20万平米の丘陵地に礼拝堂を中心として15棟の施設が、文化と歴史のしるしである「帽子の像」「ピアノ池」「建学の泉」とともに配置されています。統一された外壁のレンガ色は、宮城学院のスクールカラーや合衆国ドイツ改革派教会のカラーの臙脂色を想起させます。キャンパスに保持されている鳥や植物は、園児や生徒や学生の学びを四季折々豊かにしてくれる自然の恵みです。校章の「聖書と鳩と宮城野萩」は桜ヶ丘キャンパスをも表象していると言えます。
1886年、開国や高札撤廃など近代化の道をあゆみ始めた日本に向けて合衆国ドイツ改革派教会は、宣教師エリザベス・R・プールボー(32歳)とメアリー・B・オールト(23歳)を派遣しました。二人は、前年に派遣されていた宣教師W・E・ホーイ(28歳)や横浜公会草創期の基督者押川方義(36歳)とともに仙台の中心地に女学校を創設したのです。宮城学院創立の背後には、人生をかけて献身した二人の女性宣教師の働きと彼らを支えた合衆国ドイツ改革派教会の祈りと援助があったのです。この年は、仙台神学校(男子校)や宮城英学校(男子校)の開設など宮城県教育史においても画期的な年になりました。宮城女学校の創設により女性に洋学の学びと社会での活躍の道が開けたのです。
明治維新以降の歴史を経て、今日、宮城学院は桜ヶ丘に学窓を構えています。自然の中で育つ「森のこども園」のお友だち、「英語教育」「音楽教育」「国際理解教育」の三本柱を掲げる中学高等学校に学ぶ生徒たち、現代ビジネス学部・教育学部・生活科学部・学芸学部の分野で知識と技能を修め次に備える学生たち。宮城学院は、一通過点ではなく、生涯に持続可能な価値を見出す学舎です。共に励みたいと願っております。