大学祭展示 『文学散歩』〜映画化された日本文学〜 | |
十月二十・二一の二日間、二〇〇七年度の大学祭が開かれました。やや天候の心配はありましたが、多くの方々にご来場いただきました。毎年行われている大学祭前日の仮装パレードには、日本文学会の一年生も参加しました。テーマは七福神。大黒天(だいこくてん)、恵比寿(えびす)、毘沙門天(びしゃもんてん)、弁財天(べんざいてん)、福禄(ふくろく)寿(じゅ)、布袋(ほてい)、寿老人(じゅろうじん)、そして狐に扮装し、仙台の街を練り歩きました。その姿は、とても好評を得ました。今回、日本文学会では「文学散歩〜映画化した日本文学〜」と題し、展示発表や、発表の内容をまとめたしおりの配布をしました。また、例年通り、お休み処としてお茶とお菓子の無料サービスも行いました。 今回の展示発表は「映画化した日本文学」ということで、伊坂幸太郎、夢枕獏、三島由紀夫、藤沢周平の四人を取り上げました。作者紹介・作品のあらすじ・基本的な知識・原作と映画の比較などを展示しました。映画ということもあり、身近なテーマに感じられた人も多かったのではないかと思います。特に伊坂幸太郎の『アヒルと鴨のコインロッカー』は仙台で撮影され、咋年公開された作品ということで、タイムリーなものだったのではないでしょうか。今回の展示発表をきっかけに、原作を読みたくなった、映画を見たくなったという方も少なくないでしょう。では、展示内容と作者を少し紹介します。 「HOW TO 伊坂〜これであなたも伊坂通〜」(伊坂幸太郎) 『アヒルと鴨のコインロッカー』と『陽気なギャングが世界を回す』についての展示でした。伊坂幸太郎は大学卒業後エンジニアとして働いていましたが、傍らで文学賞に応募し、二〇〇〇年に『オーデュボンの祈り』でデビューしました。今では、作家に専念、ミステリー作家として認知され、エンターテイメント性豊かな作品を発表し、仙台市に在住しています。 「夢枕獏と陰陽師」(夢枕獏) 陰陽師の本、映画『陰陽師』『陰陽師U』についての展示でした。夢枕獏は小説家としての一面が強いのですが、エッセイスト、写真家としてなど、幅広く活躍しています。『陰陽師』の他にも、『大帝の剣』など完結してないシリーズものがあります。 「三島由紀夫 はじめの一歩」(三島由紀夫) 『春の雪』についての展示でした。三島由紀夫は大学卒業後に大蔵省銀行局国民貯蓄課というところに勤めていましたが、退職し、作家として独立した人です。『仮面の告白』『金閣寺』など有名な作品を書いています。また、戯曲も書いていました。一九七〇年に陸上自衛隊東部方面総監部に乱入し、森田必勝と共に割腹自決をしたことでも知られています。 「優しい男と優しい女〜藤沢周平の世界〜」(藤沢周平) 『たそがれ清兵衛』『蝉しぐれ』『武士の一分』の展示をしました。 藤沢周平は中学教師をしていましたが、業界紙の編集に転職。その傍らで執筆活動を行っていました。その後、一九七三年に『暗殺の年輪』で直木賞を受賞。武家や庶民の哀歓を描いた時代小説を多く執筆し、人気作家の仲間入りを果たしました。 この他にも、日本文学会の日頃の活動や、日本文学会主催の講演会、文学旅行についての展示も行いました。今年も無事に大学祭を終えることができたのは多くの皆様のおかげです。また、アンケートにご協力くださった皆様、ありがとうございました。よいと感じてくださった方が多かったのですが、改善すべき点があることも事実です。それは今後の大学祭に生かしていきたいと思います。 今回も前年度の大学祭でも好評だったクイズを実施しました。最後になりましたが、ここでそのクイズをご紹介します。 1、伊坂幸太郎のデビュー作は何でしょうか? A、『陽気なギャングが地球を回す』 B、『無気力ピエロ』 C、『オーデュボンの祈り』 2、陰陽寮は今でいうと何でしょう? A、環境庁 B、科学技術庁 C、文部科学省 3、『春の雪』で原作にはなく、映画だけで本多がしているスポーツは何でしょう? A、剣道 B、水泳 C、ラクロス 4、『たそがれ清兵衛』の主演男優は誰でしょう? A、木村拓哉 B、真田広之 C、及川光博 (咲) クイズの解答…C/B/A/B | |
萩風抄 | |
大学の講義を受け終えて家路を歩いていると、気づけば日は落ち、夕日を拝める時間もほんの一時となった。足元には一面に落葉が広がり、ふと視線を移せば、寒々としたむき出しの木の幹が目に入る。冷たい秋風は容赦なく肌を突き刺し、まさに晩秋を目や肌でひしひしと感じる今日この頃である。 この晩秋というのは、なんともいえない物悲しさを覚えるもので、この時期私の頭の中には必ず「愁」という一字が浮かんでくる。古人はどうして「秋」に侘びし憂える「心」を覚えたのだろうか。私はここに、秋という季節に古(いにしえ)から共通している一つの象徴的な観念が見出せるように思う。 では、この哀感は一体どこからわき上がってくるのだろうか。 『千載和歌集』に「ちりつもる木の葉も風にさそはれて庭にも秋のくれにけるかな」という歌がある。作者は庭に散り積もっていた落葉さえ秋風にさらわれ、いよいよ秋の暮れを感じたと同時に、訪ねてくる客足もなくなってしまうことを思って詠んだのだろうか。 秋風がさらったのは落ち葉ばかりではない。ただでさえ物悲しさを覚える時期に、季節の形見とも言える唯一の落葉までなくなっては、人が離れてしまうと、哀感を重ねて嘆く気持ちも生まれるだろう。 それに比べ、私など何を憂えているのか。思い付く事といえば、忙しない日常に追われたまま師走に入ることへの恐怖心といったところだろうか。しかしどうにも拭えぬこの侘しさには、どうやら他に答えがあるらしい。さあ、この機会に晩秋をじっくり見つめ、答え探しといこう。(橘) |