葉78号


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文学旅行
in遠野・平泉
 七月一・二日、今回の日本文学会主催の文学旅行は、岩手県の遠野・平泉方面への旅でした。清々しく晴れた空の下、参加者学生二九名と伊狩先生を乗せたバスは宮城学院を後にしました。
東北自動車道に一時間半ほど乗り、最初の目的地である平泉に到着しました。平泉といえば、奥州藤原氏が栄華を治めた場所として有名です。その中でも藤原三代の遺骨が納められているのが、中尊寺の金色堂です。九〇〇年経った今でもその輝きは色褪せることなく、現代へとその偉大さを伝えています。
そんな偉大さに触れつつバスに乗り込み、えさし藤原の郷へと向かいました。えさし藤原の郷は、十二世紀、平安時代の奥州を約一〇〇年に渡って支配した藤原氏の栄華を伝える歴史テーマパークとして創建されました。
えさし藤原の郷の建物は、いずれも厳密な時代考証に基づいて造られた物が多く、平安時代の町並みを堪能することができ、まるでタイムスリップしたかのような気持ちになりました。また、ここでは実に様々なドラマや映画のロケ地としても使用されていて、数多くの人達が足を運んでいる所でもあります。
この後、お世話になるホテル・志戸平(しどだいら)へと向かう途中、和泉式部の墓に立ち寄りました。全国各地に存在しているお墓の中でも最北端に位置していることで有名なこのお墓は、民家の隣にひっそりとたたずんでいました。なぜここにあるのかについては、はっきりとしたことは分かっていませんが、和泉式部は日高見国(ひだかみこく)、今の岩手県の南部に生まれたとも言われています。ここで、集合写真を撮り、今は亡き和泉式部への思いを胸に抱きながら、ホテルへと向かいました。ホテルに到着するとまず、私たちを迎えてくれたのは、とても広いエントランスホールでした。また、受付のある階が実は二階だということにも驚きました。夕食では岩手名物の料理に舌鼓を打ち、その後、お楽しみのビンゴ大会へと突入しました。ビンゴ大会で大盛り上がりの後、興奮覚めやらぬ中、カラオケ大会へと移っていき、皆の歌声が岩手の山々に響き渡りました。ホテルの露天風呂につかって日頃の疲れを癒したり、友人同士での話に花が咲いたりと楽しい晩を過ごせたのではないでしょうか。
翌日は、遠野方面です。一日目とは打って変わって、朝から雨となってしまいました。傘を差しながらの見学の最初は、南部曲がり家・千葉家です。
  南部曲がり家・千葉家とは、住居と厩(うまや)が一体となっていて上から見ると鍵のような形をしていることが特徴で、この千葉家は二〇〇年ほど前に建てられ、「日本十大民家」の一つに数えられている所です。遠野に息づく昔ながらの生活が見られました。
さて、次に向かったのはカッパ淵・伝承園です。ここには『遠野物語』で有名な柳田國男の記念館や昔カッパがいたという伝説の場所がありました。皆カッパに会えるのではないかと軽い足取りで、その場所へ向かっていました。
その後、カッパ淵・伝承園を後に最後の見学場所、遠野市博物館・遠野城下町資料館・昔話村へと向かいました。ここは遠野に伝えられてきた民話や昔話などの民間伝承を紹介するテーマパークです。五つのスペースから出来ていて、その中には、実際の語り部による昔話も行われており、温かみのある口調で語られる昔話に熱心に耳を傾けている姿が見られました。
一泊二日の楽しい旅は、あっという間に過ぎていきました。限られた時間ながらも、多くの場所を見学し大変有意義な旅行になったと思います。日本の故郷に触れたような気がします。
今回参加されなかった皆さんも次回は是非参加してくださいね。 (侯)
日本文化・表現演習TA
朗読会
七月二九日、礼拝堂にて日本文化・表現演習TAの前期末発表会が行われました。内容は演習の代表者八名による朗読会です。
作品は井上ひさしの『父と暮せば』を読みました。原爆で愛する者たちを失った美(み)津江(つえ)は、一人だけ生き残った負い目を抱えています。恋からも身を引こうとする美津江を見て父、竹造(たけぞう)は「恋の応援団長」となり励まします。しかし、竹造はもはやこの世の人ではありません。父の思いから娘を救う、魂の再生の物語です。
前期の授業では、文章を読み、そこで感じたものを声に出して読むということを学びました。北原白秋の「五十音」や歌舞伎の「外郎売(ういろううり)」の口上の台詞を使い発声や滑舌の練習を積み、『父と暮せば』の基本的な背景を学んだ後に本格的に読む練習を行いました。作品の素晴らしさをいかに聞き手に伝えるか、論文を書く作業とは違った難しさがそこにはありました。自分では上手く表現できているつもりでも相手にはその通り伝わっているとは限りません。授業以外の時間にも練習と試行錯誤を重ねました。
十分な練習時間を掛けられないままではありましたが本番を迎えました。当日は大学のオープンキャンパスだったこともあり、たくさんの方に聞いてもらえることができました。聞いてくださった方に少しでも原爆について伝わるようにと、発表者全員が練習の成果を発揮できたと思います。礼拝堂という神聖な場所の雰囲気もあり、発表するほうも、聞くほうも一層気持ちが高まったと思います。
発表を聞いた学生からは「人の声に心を動かす力を感じた」「伝えようという気持ちが伝わってきた」などの感想が寄せられました。「早口で聞き取りにくいところがあった」という意見もあり、今後の課題だと思います。
「わしの分まで生きてちょんだいよォー」礼拝堂に響いた原爆の惨事を物語る言葉一つ一つは、微力ながら聞いた人々の心を動かしました。「伝える」と「伝わる」を実感できた今回の発表会はとても貴重な体験となりました。声に出して読む、という作品への迫り方は今後の授業でさらに磨きをかけていきたいと思います。
発表会を聞きに来てくださった皆様、ありがとうございました。 (岩)

みやがクイズ
  今年で宮城学院も一二〇周年を迎えました。皆さんがどのくらい宮城学院のことを知っているのかクイズを出したいと思います。それではスタートです。
問一、宮城学院の前身である宮城女学校が創立されたのは何年?
 イ、一九七七年
 ロ、一九八六年
 ハ、一八八六年
問二、宮城女学校初代校長は誰?
 イ、ヘレン・ケラー
  ロ、マリア・K・ルイス
 ハ、エリザベス・R・プールポー
問三、宮城学院は○○主義のキリスト教の精神に基づいて学校教育を行なっているか?
 イ、福音
 ロ、副音
 ハ、複音
問四、宮城学院のスクール・モットーはなに?
 イ、神を畏れ、隣人を愛する
 ロ、神を敬い、隣人を求める
 ハ、神を纏い、隣人を助ける
問五、宮城学院女子大学は英文学科ともう一つ何科から始まった?
 イ、生活文化学科
 ロ、音楽科
 ハ、食品栄養学科
問六、宮城学院が東二番丁から桜ヶ丘に移転したのは何年?
 イ、一九八〇年
 ロ、一九七五年
 ハ、一九六九年
問七、宮城学院の二〇〇六年現在の同窓生は約何名か?
 イ、八六,〇〇〇名
 ロ、三九,〇〇〇名
 ハ、七四,〇〇〇名
問八、現在の宮城学院女子大学の学科数はいくつ?
 イ、八
 ロ、七
 ハ、九
問九、日本文学科が設置されたのは何年?
 イ、一九八六年
 ロ、一九五三年
 ハ、一九六四年
問十、大学院に日本語・日本文学専攻がスタートしたのは何年?
 イ、一九九六年
 ロ、一九九五年
 ハ、一九九一年

 何問わかりましたか。答えは六面の編集後記で発表します。 (山)


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