八重山の芸能 | |
十一月二十五日土曜日に宮城学院大講堂にて琉球大学八重山研究会の皆様による「沖縄八重山の芸能」の公演が行われました。今回の公演は八重山研究会創立四〇周年と宮城学院創立一二〇周年を記念して行われ多数の方々の来場がありました。仙台という沖縄から遠く離れた場所でこのような芸能を見られるとあって、一時三〇分からの開場にもかかわらず早い時間から並び始め、いまかいまかと開場を待っている姿が見られました。それではここで公演内容をご紹介したいと思います。 [第一部] 一、斉唱 赤馬(あかんま)節 鷲(ばすぃ)ぬ鳥(とぅるぃ)節(ぶし) 波(は)照間(てぃるま)ぬ島(すぃま)節 八重山研究会の男性全員による斉唱。羽織袴で登場し、三(さん)線(しん)や太鼓、笛の音、歌声を響かせました。演奏の中、赤いきらびやかな衣装をまとった踊り手が登場し、ゆったりとした動作で踊られる赤馬節は八重山では祝宴の座開きとして歌われることが多い歌です。鷲ぬ鳥節もまた赤馬節とともに祝宴の座開きの謠として愛され親しまれている謠です。こちらは薄い青の衣装を身にまとい踊っていました。波照間ぬ島節は波照間島を代表する謠で、波照間島をたたえ、豊作を願う様子が歌われています。 二、舞踊 まるま盆山(ぼんさん)節 島の周りを群れ飛ぶ白鷺や海鵜の姿と、盆山を眺めながら船で行き来する人々の様子が歌われたもので、踊り手は白鷺や海鵜のような白い衣装を身にまとっていました。鳥のように手を羽ばたかせ、三線の音とともに私達を沖縄の海に誘いこみました。 三、独唱 崎山(さきやま)節 ながなん節 どぅなんすんかに 崎山村を創建するために三〇〇人あまりの人々が強制移住させられた際、老婆が即興で歌った歌とされています。三線と笛、歌だけで老婆の家族や故郷を思う気持ちが表現され、聞いているだけで心が締め付けられました。ながなん節も同様に三線と笛、歌で表現されたもので、こちらは役人に引き裂かれた恋人同士と次第に役人に引かれていく女性の心情を歌っていました。どぅなんすんかにでは歌い手が二人になり、合いの手が入り、先の二曲とは異なった雰囲気の歌であったように感じられました。 四、舞踊 高那(たかな)節 桃の節句に潮干狩りに出た娘たち。しかし、突然嵐が来てしまう。嵐がやんだあと無事に帰ってきた娘たちを喜んで即興で歌った歌であるとされています。 五、舞踊 祖(しぃ)平(びら)花(ぱな)節 昔、航海中に嵐に遭い支那の国に(現中国)船頭が漂流してしまう。支那の女性と恋仲になり、女性から波照間島の風水図をもらいそれをもとに祖平花道が造られその完成を喜び即興で歌われた歌であるとされています。こちらの衣装は紫色のゆったりとしたものでした。 六、民俗芸能 そうじかち 三線のリズミカルな音とともに踊り手が手桶や竹箒を持ち舞台上をすばやい動きで踊っていました。そうじかちの「かち」とは加勢の意味で掃除の手伝いをする人々の様子を舞踊化したものです。 七、民俗芸能 ダートゥーダー 小浜島の結(ゆい)願(がん)祭(さい)で大正の頃まで演じられていたものです。歌意や所作、またどのように伝わってきたかなど不明な点の多い踊りです。三人の女性の踊り手と四人の仮面をかぶった踊り手が列をなし、歌にあわせて登場します。途中で女性は舞台袖に消えてしまいますが仮面をかぶった踊り手たちはその後も踊り続けます。仮面で視野が狭められているのにもかかわらず、ぴたりと動きの合った踊りは私達をとても楽しませてくれました。 [第二部] 結(ゆい)〜稲と人々〜 八重山では稲作が盛んに行われてきました。食料として、また税として少しでも多くの米を収穫するためには共同作業が欠かせず、この共同作業が「結」と呼ばれています。第二部ではそんな「結」に注目し稲と人々の一年間が演じ、踊られました。 雨乞い(あーみんぐぃ) 雨(あま)チィジィ 雨乞い(あーみんぐぃ)チィジィ 休憩を挟みざわついていた客席が始まったとたんに、一気に雨乞いの世界に引き込まれました。神に雨を願う「雨乞い」の儀式は司と呼ばれる神女が水元に向かい「水がなくては困ります」と旱魃で苦しむ人々の切実なまでの心を神に訴えている歌です。雨乞いチィジィは大きな葉を持ち、水瓶の周辺に水をまきます。実際にもこのように水が得られることを望み村人全員で歌われる歌です。 田植え 宇根(うに)ぬ屋(や)ユンタ こいなユンタ 「ユンタ」とは八重山地方で労働のときに歌われる歌謡のことです。男女の掛け合いで歌われ短い物語 のなっていることが多く、宇根ぬ屋ユンタも夫婦の離婚からもとの鞘に収まるまでが男女の掛け合いで歌われていました。 ンニシリ節 バガフニディラバ ンニシリ節 田植え後の草取りなどの作業や、収穫した際の稲の精米をしているところを表現した踊りです。ンニシリ節は実際に本物の稲を使用したりし、またテンポも非常によい歌で会場からは自然と手拍子が起きていました。 村の宴 米ぬユングトゥ 与那国ぬ子猫 川良山 山入らば チュイチイ 山崎ぬアブジャーマ 桃里 巻踊り イーヤル 六調節 くばぬ葉ユンタ 弥勒(みるく)節・やらよう節 無事に収穫が終わり豊年を迎えることの出来た村人たちが皆で集まり労をねぎらうものです。また、来年への豊穣も願って踊られます。八重研究会の皆さん全員が舞台の奥に一列になって座り、息をつく間も与えないほど次から次へと踊り演じていました。周りで座っている人たちもそれぞれ酒を酌み交わしたり話をしたりして、とても楽しそうでした。最後の弥勒節では客席も一緒になり、みようみまねではありますが一緒になって踊り、皆とても楽しそうに踊っていました。この瞬間確かに仙台にも沖縄の風が吹きました。公演終了後、懇親会もひらかれよい交流が出来たことだと思われます。 八重山の芸能を生で観ることができ、興奮冷めやらぬ姿で講堂を後にした方が多かったようです。ご協力くださった先生方、八重山研究会の皆さん、本当にありがとうございました。 (山) | |
オススメの本 | |
『太陽の子』 作/灰谷 健次郎 定価/六八〇円 出版社/角川書店(文庫本) 私たちは戦争の悲惨さも、その頃の沖縄の様子も知らない。しかし、それは私たちが知っておかなければならないことでもある。 この物語の主人公ふうちゃんは、明るく元気な女の子。ふうちゃんは神戸生まれだけれど、お父さんとお母さんは沖縄出身で、今は神戸で琉球料理の店「てだのふあ・おきなわ亭」を営んでいる。お店には、沖縄を知るたくさんの常連たちが集い、ふうちゃんは彼らに見守られて育った。 しかし、ふうちゃんが六年生になった頃、お父さんが心の病気で苦しむようになる。以前とはすっかり様子が変わってしまったお父さん。お父さんの病気の原因は一体何なのだろう。 あるとき、ふうちゃんはこの原因が「沖縄と戦争」にあるのではないかと気づき始める。 作品の中にはたくさんの沖縄が現れている。自然の美しさ、郷土料理、沖縄の言葉、そこに住む人々の暖かい心、そして、戦争が沖縄に残した傷跡。 私たちの知らない沖縄がここにはあるように思われる。 (菜) 『なんくるない』 作/よしもとばなな 定価/一三〇〇円(税別) 出版社/新潮社 どうにかなるさ、大丈夫。 温かみに満ちた沖縄独特の言葉を表題に、それぞれ四つの物語が収録されている。全編通じて舞台となるのは沖縄。様々な事情や縁を背後に、かの地へと下り立つ主人公達と、それを迎える人々との交流が描かれている。 本書の中の沖縄は、ゆったりとしながらも善い力に溢れた場所である。その情景美もさることながら、島に息づくものの存在が主人公達の癒しや救いとなっていく。懐深い愛情と、憂鬱などささいな事と吹き飛ばしてしまうような陽気さがあり、地に足をついて堂々と構えていれば何とかなるんだ、という気にさせてくれる。物語のあちこちに散りばめられたメッセージは、間違いなく私達に向けられたものなのだ。 なすすべなく時間に流されて生きる人々に、それらはのんびりと語りかけるように、遠い空の向こう側からパワーを与えてくれる。そんなものが本当に待っていてくれるのかも知れない、そう信じてみたくなる作品である。(島) |