西原先生 講演会 学習者の日本語−語用論的転移が生まれるわけ− | |
二〇一〇年七月一七日、日本文学会と宮城学院女子大学院の共催で、西原鈴子先生の講演会「学習者の日本語―語用論的転移が生まれるわけ―」が行われました。 西原鈴子先生は、東京女子大学現代文化学部教授、日本語教育学会の会長をお務めになり、現在は文化審議会の会長でいらっしゃいます。 日本語教育とは、母語を日本語として扱わない人々、主に外国の人々に対して日本語を教えることです。 冒頭に先生は、日本語と諸外国の日本語学習者の日本語の誤用や、意味の取り違いなどで生じる混乱などを紹介してくださいました。日本人とのコミュニケーションは文法や、単語を学んだだけでは成り立ちません。
私達のほとんどは、今日まで日本で生まれ育ってきました。日本の固有の文化や日本語に囲まれた環境は、私たち日本人にとって当たり前と言えます。日本語がスラスラと話せるのも、規範意識(いわゆる常識)が身についたのも学校で学んだからではなく、日本の生活の中で自然と身に付いたからなのです。
例えば、「今週の土曜日ひま?」という言葉のウラの意味には、土曜日に発話者が「相手に頼みごとをしたい」という前段階の言葉、サインがあります。発話者は相手が土曜日にひまかどうかだけではなく、相手に頼みたいことがあるということを知らせたいのです。
普通の何気ない会話に思われるかもしれませんが、日本語学習者にとっては、難しい会話です。学習者の中には「今週の土曜日ひま?」と聞かれても、「何故そのようなことを聞くのだろう」という疑問を持ったり、「忙しいです。」「ひまです。」のような単調な答え方しかできない人もいるでしょう。
この会話は表面上は「忙しいです。」「ひまです。」という答えによって、会話が成り立ったように思えます。しかし、実際の生活の中では、そこで会話は終了し、コミュニケーションをとり続けることは難しくなるでしょう。日本人(ネイティブスピーカー)と学習者にはこのような違いが生じているのです。そのような言語行為について研究するのが「語用論」です。
「語用論」は、言語形式とその使い手、あるいはその言語を使う社会の関係を研究する領域を指します。意味が通じ合うには、言語と実社会の事物との二つを取り扱う「意味論」に対し、「語用論」は言語、使用する人、意図する意味の三つの点から言葉の意味を考えます。
日本語教育における「語用論」の課題は次の四つだと言われています。@話し手(書き手)は何を意味しているのか。Aある状況の中では、どのような意味が生れるのか。B話し手が言った以上の意味がどのようにして伝わるのか。C話し手と聞き手との社会的距離がどのように表現に反映されるのか。
言葉が使われる状況(文脈)によっては、表面だけの意味だけではなく、ウラの意味をくみ取ることが、スムーズでかつ日本人にとっての自然な会話と言えるのでしょう。日本語は特にこの言葉のウラの意味を多く使い、表面の言葉よりも、ウラの意味が重視される場合が多くみられます。
これは日本人同士でも難しく、相手との関係によってはウラの意味が理解できないこともあります。その結果、お互いに黙り込んでしまったなどという経験はないでしょうか。日本人でも扱うのが難しい日本語を学ぶ学習者にはたくさんの苦労があるようです。
日本で日本語を学ぶ、ある女子留学生の体験が紹介されました。日本人の学生が友人の送別会を開くので、一緒に参加しないかと彼女を誘いました。その最後に「でも、論文の準備で忙しいのよね。」と付け足しました。この最後の言葉に彼女は「自分が外国人だから来てほしくないのだ。」とショックを受けたそうです。しかし、この 言葉にもウラの意味がありました。勧誘の場面でこの「忙しいのよね。」という否定的な条件を言って、相手が断りやすい雰囲気を演出する日本人の独特な表現でした。自分は留学生に気を使ったつもりでも、かえって相手を傷つけてしまったという例です。何が相手を尊重する表現となるかは、言語社会によって違うのです。
西原先生は「日本人と学習者の文化や考え方の問題は言語に密接している」とおっしゃいました。
場面に応じた対応の違いや、認識の違い、またジェスチャーやイントネーション、声の大きさも相手に与える印象がかわってきます。言語的伝達手と共に、非言語的手段もコミュニケーションにとって重要なのです。
このように日本語学習者の苦労は様々あり、それらを解決するためにはお互いに理解し合うことが必要であることがわかります。学習者は日本文化と自国の文化の違いに戸惑い、不安になる人も多いのです。
自国の文化を保とうとする自分と、日本文化を理解しようとする自分との間で葛藤も起こります。そのような戸惑いを解決するためには、周囲の支援が必要です。
日本人でも新しい環境で生活を始めるときは、期待と不安を持ちます。学習者も私たちと同じで、大切なのはこの期待を持ち続けることです。この期待が学習者にとって最善の状態へ導くであるとも西原先生はおっしゃっていました。
また、西原先生は最後に、日本語教員のあり方を話されました。「学習者に自国の文化を否定させないように、日本と学習者の国の違いを気付かせてください。自分が納得して習得できる日本語力を育てることが大切です」と。
相手の文化的背景を知ることが、相互の意思疎通において重要なことであり、そのためにはお互いが学び合う努力が必要不可欠です。
今回の講演で学習者に身近な存在と成り得る日本語教員には、大きな役割があることがわかりました。日本語教員を目指す学生にとって大変有意義なものとなったと思います。
最後に、貴重な講演をしてくださった西原鈴子先生に深く感謝申しあげます。(佳) |