二〇〇九年一二月三日。日本文学会が主催する遠藤好英先生の講演会が講義館C二〇一で行われました。
「ことばは生きている―現代のことばを湖る―」という題目で講演をしていただきました。
遠藤先生は昭和七年に仙台市でお生まれになりました。東北大学大学院博士課程を修了され、本学に着任されてからは図書館長・学科長・評議員などを歴任されました。
平成一二年三月をもって定年により本学をご退職され、現在は本学名誉教授でいらっしゃいます。国語学、特に国語史の分野において多くの研究業績を残されています。
単著として『平安時代の記録語の文体史的研究』、その他に、共編著として『日本語学研究事典』、『漢字百科大事典』などがその例です。
素晴らしい業績をお持ちの遠藤先生の講演は、非常に興味深く、思わず聴き入ってしまうものでした。
先生は講演の冒頭部分のお話で「ことばは個性的で命あるもの」とおっしやっていました。
「同じものを指していても、それを表すことばが違う」ということを、世代間の違いと方言の視点から説かれました。
世代間の違いの例として、先生の世代では「グーチョキパー」を「いし、けん、ぎ」、「カレーライス」を「ライスカレー」などと言っていたそうです。
方言の例としては、「五日御飯」を関西方面では「かやく御飯」と言うことや、京都の駅では、「指を挟まないよう気を付けて下さい」の呼びかけが「指詰め注意」と表記されていた
ことなどを挙げられていました。ことばの個性は地域や各世代の人々が形成していくものだと気づかされました。
先生は「ことばの命」について人の生死と同じだとおっしやいました。
ことばには常に動きがあり、新しく生まれては消えて行くことを繰り返しています。
新しいことばの例として「婚活」、「モンスター親」、「介護」などが挙げられ、使われなくなったことばの例として「復員兵」 「寝押し」、「前掛け」などが挙げられました。
これらの新しいことばを見ると、生活の仕方、男女の関係、先生と父母との間柄について、以前にはない関係に由来しています。
「介護」ということばから高齢者の立場などが新たに問題になっていることなどが分かります。
一方、使われなくなったことばについては、人々の生活の仕方や社会状況を反映していて、生活品については、今では必要なくなって見られなくなったものが多いことに気がつきます。
ことばは、社会やそこに生活する人々の暮らしや生き方を映し出すものです。ことばを考えることは、そのことばを話す人々の暮らしや生活を考えることになると、おっしゃっていました。
先生は今年の流行語について「ぼやき」、「政権交代」などを挙げ、新しいことばが作られたということはないとおっしゃっていました。
これらの流行語が現代の生活のすべてを表しているかといえばそうではなく、この先ずっと残るとは限らないそうです。
現代のことばを湖る上で大事なことは、ことばの形、意味の結びつきを確認することだと先生は話されました。
いくつかの例を挙げて説明されましたが、ここでは味覚を表す「さわり語」と「あきらめる」について紹介します。
さわり語として一番新しいものとして「歯触り」が挙げられます。「歯触り」は味覚を示すものの一つです。
しかし、手触りなどの他のさわり語は感覚器官を示す語を上に載せているのに対して、感覚器官ではない歯が上に来ています。
このことから特殊なものだと言えます。味覚を表す「歯触り」、「口触り」、「舌触り」成立の背景には、日常で味覚をより詳しく表現しようという動きがあるそうです。
「歯触り」は味に敏感な判断が生んだ、食に対して贅沢な現代を示している語といえます。
「あきらめる」ということばは、奈良時代では気が晴れるという意味で使われていました。ところが時代の変遷につれて、告自する、明らかにする、悟る、断念する、というように意味が変化しました。
現代の形は幕末から明治時代に成立したものです。このように、 一つのことばの歴史の中で時代の特徴を見ることができます。
遠藤先生の講演から、現代のことばの使い方などを通して考えてみることの面白さや、 一つのことばの歴史や奥深さを教わりました。
最後に、貴重な講演をしてくださいました遠藤先生に深く感謝申しあげます。 (悠)