私のお薦め図書(本車谷長吉『鹽壺の匙』)
宮城学院女子大学日本文学科 伊狩 弘

 今回お勧めしたいのは車谷長吉の『鹽壺の匙』である。作者は「くるまたにちょうきつ」と読む。
本名は車谷と書いて「しゃたに」と読み、名前は嘉彦である。
長吉は唐時代の詩人李長吉(李駕)を愛好したところから取ったという。現在六十六歳である。


 この作家は『赤目四十八滝心中未遂』で平成十年上半期の直木賞を受賞した。
赤目四十八滝という名所はこの小説を読んで初めて存在や場所を知ったのだが、三重県の奈良に近い辺り、名張の南にある。
位置は女人高野で知られる室生寺に近い。
『赤目四十八滝心中未遂』には、世捨て人のような主人公と在日の女の、捨て者どうしの結びつきを回想話のように描いたところに妙味があった。
人生の底を浚うといった趣である。
『鹽壺の匙』は平成四年十月に新潮社から単行本が出版され、平成七年に文庫本になった。
鹽は塩ではなく鹽であるのは作家の拘りであるが、鹽壺という難しい漢字に込められた雰囲気が「宏之叔父」の自殺という重い主題にマッチしているので塩壷などと書いては駄目だ。

 内容は『なんまんだあ絵』『白桃』『愚か者』『萬蔵の場合』『吃りの父が歌った軍歌』そして総題の『鹽壺の匙』の六篇が収録される。
「今年の夏は、私(わたくし)は七年ぶりに狂人の父に逢いに行った。その時、母から『去年の夏、宏ちゃんの三十三回忌をした。』と聞いた。
宏ちゃん、というのは私の母の次弟で、私には叔父にあたる人であるが、その人のことを、私は『宏之兄ちゃん。』と呼びながら育った。
それはまだ、人が死者を弔うのに野辺の三昧場で送るという敬虔さの中に生きていたころのことである。
宏之叔父は昭和三十二年五月二十二日の午前、古い納屋の梁(はり)に粗縄(あらなわ)を掛けて自殺した。享年二十一。
私が小学六年生の時のことだった。」と、この小説は始まる。


 所謂私小説で、自分の近親者や自分の悲惨や醜悪を隠すことなく書くという、自虐的露悪的日本の私小説の忠実な再現者である。しかし実は車谷の書くことは事実そのままではなく、小説の肝心な勘所をちゃんと押さえて書いているのである。
しかし車谷は後書きで「私小説を書くことは救済の装置であると同時に、一つの悪である。ことにも私小説を鬻(ひさ)ぐことは、いわば女が春を鬻ぐに似たことであって、私はこの二十年余の間、ここに録した小説を書きながら、心にあるむごさを感じつづけて来た。」とあるように車谷の小説は人間存在の根本悪を暴くといった趣がある。
『文士の魂』を見ると深沢七郎や嘉村礒多、上林暁などが並ぶ。人間の生の底を嘗めるような文学である。
 最近では西村賢太、また西村の敬愛する藤沢清造『根津権現裏』も文庫になった。



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