私のお薦め図書(井上ひさし『父と暮せば』)
宮城学院女子大学日本文学科 深澤 昌夫
 井上ひさしという作家がいます。皆さんもよくご存知でしょう。
 山形生まれで仙台育ち(仙台一高出身)、『ひょっこりひょうたん島』の作者にして、仙台文学館の初代館長、日本を代表する劇作家・小説家です。

 井上さんの作品は私も好きで、初期作品の『ブンとフン』(1970)は中学生の頃くりかえしくりかえし読みました。
 また、日本SF大賞と読売文学賞を受賞した長編小説『吉里吉里人』(1981)は岩手県東部、釜石や遠野に隣接する大槌町に同じ地名があることから岩手賢人いや岩手県人である私は格別の興味を持って読みましたが、 いやあ、東北地方の奇妙な名前(「キリキリ」だもの)のムラが日本から独立して主権国家を宣言するという痛快にして壮大な(長大で読むのも大変だったけど)「作り話」でしたね。
 井上さんは面白おかしいユーモラスな作品も多いけれど、その根底にはいつも近代国家や戦争など「大きな権力」=「大きな暴力」に対する強烈な批判精神があるように思います。

 その井上さんの作品に『父と暮せば』という小さな作品があります。以前、宮澤りえの主演で映画化もされましたから、あるいは知っている人もいるかもしれません。
 この作品の初演は1994年9月、東京は新宿の紀伊国屋書店4階にある紀伊国屋ホールです。
 「初演」というからには芝居です。戯曲です。戯曲といっても読みにくいことは一つもありません。
 文庫本でもとりわけ短い=薄い作品で、あっという間に読めてしまいます。
 しかも、登場人物はたったの二人。学生時代に国文学を学び、今は図書館司書をしている23歳の若い女性とその父のお話です。
 ちなみに主人公は女学校時代“昔話研究会”というサークルに所属しており、敬愛する作家は宮沢賢治(この人も岩手ケンジん)。
 で、今は図書館のカウンターに座り、子どもたちを相手に読み聞かせなどもしているという設定。
 ―どうです? 皆さんと、どことなく通じるところがあるような気がしませんか?

 この登場人物も少ない小さな作品は、だからといって「小品」というわけではありません。本が薄いといったって、「薄っぺらな作品」ではありません。
それどころか、戦争という「大きな暴力」のなかでも一際「巨大な悪意」の標的となったヒロシマの惨劇を背景に、名もない一人の娘が恋をして、
しかし恋をして幸せになろうとしている自分を許すことができず、亡くなったはずの父の力を借りて「生きる」意味を再発見していく物語です。
 以前、表現の授業でこの作品を取り上げたことがあります。誰しも心ゆさぶられ、涙なくして読み通すことの困難な作品です。
 でも、あたたかい涙です。皆さんにもぜひ読んでほしいなあ。



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