File No19  鎌田 みどり さん

  年齢  20代
  在学中の専攻 文化系  


(アフリカの夕日。家の近くで撮影)


住川先生の西洋音楽史が非常に難しかったのが苦い思い出です。また遠藤先生のソルフェージュのゲームのような授業が楽しかったです。
毎日午後4時に食堂にカレーライスを食べに行っていました。食堂のおばちゃんは今でも私の顔を覚えていてくれました。
いつも外国のことばかり考えて過ごしていた気がします。もちろん音楽のことも考えていましたけど・・・・


卒業後、2002年4月から利府町の中学校の講師になり、1年間音楽を教えました。生徒との関わりは年齢が近いこともあり楽しかったのですが、音楽室から見える田んぼを毎日眺めながら、「あ〜どこか遠くに行きたい」と思っていました。次の年(2003年)に「音楽を通して途上国で活動できたら・・・」と思い、青年海外協力隊を受験しました。途上国でのボランティア活動に関してはMG中高時代のキリスト教教育週間で学ぶ機会があり、ずっと心に残っていたことでした。2004年1月から訓練を開始し、4月に南部アフリカのジンバブエ共和国に小学校の音楽教師として2年間派遣されました。

ジンバブエはインフレ率世界一。大統領が20年以上も居座っている独裁国家です。活動は午前中は小学校での音楽の授業、午後は街の子ども達にピアノやバイオリンを個人で教えていました。それから他の隊員と一緒にバンドを結成し、日本祭りを開催したりしてお金を集め、学校に制服やノートを寄付したりしました。

2006年4月に帰国したのですが、本当にあっという間の2年間でした。しかし学ぶことが多かった2年でもあります。日本とは全く違う文化の中で生きていくためには、自分を変化させないといけませんでした。初めはそれがうまく行かず1年目は人と本音で話すことができませんでした。しかしそれではいけない、と2年目は本を読んだり、一からジンバブエの歴史、人々、背景などを勉強し直しました。ジンバブエのことをきちんと知っていくと、人とのコミュニケーションが本音でできるようになり、一緒に笑えるようになりました。

また、日本人との関係からも多くを学びました。ジンバブエには約30人の協力隊員がいましたが、皆生活環境は厳しいです。そんな時、例えば病気になったときや、悩んでいるとき、家族から日本食が送られてきたときなど、何かにつけてお互い助け合って生きていました。日本で生活していてこの種の優しさに対して、こんなに喜びを感じたことはありませんでした。今では「おせっかいくらいがいい」と思っています。

今年4月に帰国し、7月からはJICA(国際協力機構)の国際協力推進員新潟県デスクとして新潟市で働いています。自分がジンバブエで経験してきたことをフルに生かせる仕事ですので、窓の外の田んぼを眺めることはないです(笑)。将来的には音楽も混ぜ合わせて自分にできる途上国との関わりを模索していきたいと思っています。



(4年生の音楽授業風景。みんな真剣に歌ってます。
このときはカエルの歌を日本語で歌いました。



在学生のみなさんへ・・・

思い返すと大学時代が自分のやりたいことを、後先考えずに実行できた、また実行できる自由がある時期なのではないかと思います。私はずっと海外に興味があったので、学生時代は留学生との交流、長期休暇の期間は語学短期留学や旅行をしていました。時間や自由があるときですので、少しでも興味を持っていることがあったら、どんどん進んで行っていいと思います。

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お知らせ・・・

JICA(国際協力機構)は日本の政府開発援助(ODA)の技術支援部門を行っている組織です。
青年海外協力隊を始め、ボランティアを開発途上国に派遣し、地域に入り、お金やモノではない、技術の協力を行います。
音楽系の隊員も歴代非常に多いです。主に、小学校や中学校・大学に入り音楽の授業を受け持ったり、同僚の教師等に楽器の演奏や音楽理論の技術を移転し、将来的に現地の人々だけで音楽教育をしていけるように活動します。




(6年生。みんな写真が大好き。)


またJICAは国内では国際理解教育の普及や開発途上国の人を研修員として受け入れ、日本で研修を行っています。
そのほか、協力隊OBが行う「出前講座」等があります。みなさんの学校や職場で協力隊活動の経験談を聞きたい!という方がいらっしゃったら、ご連絡ください。
私自身は新潟ですが、JICA東北支部がタワービル内に入っています。展示室などもあります。JICAが行っている事業にご興味ありましたら、東北支部までご連絡いただくか、ホームページにアクセスしてみてください。