File No.11  貴山(旧姓 金田)圭子さん

  年齢  40代
  在学中の専攻  ピアノ


(だるチャンと豆本)

入学してすぐの6月12日に宮城県沖地震を体験しました。ちょうど二番丁校舎の音楽棟のプラクティスルームでピアノを練習しており、建物のレンガがすべてはがれ落ちました。あの光景は今でも忘れられません。

当時の二番丁校舎は本当に素敵な学園でした。地震の2年後、3年の夏休み明けには桜ヶ丘キャンパスへ移転、4年の大学祭ではクラス有志で「バイエル」という音楽バラエティー喫茶を開き、最高に盛り上がりました。私は水戸黄門を演じたんです(恥)。カンディフ先生を愛する私たちクラスメートはひとりひとり素晴らしい才能の持ち主でした。


卒業後は実家のある福島へ戻り、ピアノを教えていましたが、同時にバロック音楽を愛好する仲間たちと組んで「アンサンブル・ド・デュマンシュ」として福島にデビューしました。リコーダー、ガンバ、チェンバロのアンサンブルで、私はチェンバロを担当しました。学生時代苦手だった通奏低音がなんとここですばらしく生かされました!

結婚後は千葉から調布へと移りましたが、子育て期間中もピアノ教師を続けていました。調布へ来てから、娘のピアノの先生ご夫婦がピアノ指導法のサークルを作っており、そこに参加して勉強していく中で、いかに自分が「今まで自分の教わったやり方しか知らなかったのか」ということに気づきました。そこで、仲間たちと新しく指導法を開発し、実践していくようになりました。自分自身も成長も実感しますし、また、「その子」に貢献している喜びを感じながら日々指導にあたっています。


在学生のみなさんへ・・・

私は「宮城学院の音楽科」を卒業したことを心から誇りに思っています。東京に暮らしていますと、周囲には音大卒の方がけっこういるんです。前述したピアノ指導法のサークルももちろん音大卒の方々が中心です。私はその中でも全く引け目を感じることなく、堂々と「宮城学院の卒業です」と伝えます。私が過ごしたあの4年間は現在の私を形作るかけがえのない日々だったからでしょう。


現在は、自宅で子供や大人の方にピアノを教えています。2年前にボディパーカションを始めたのですが、そこから思わぬ発展をとげて、『だるチャンプロデュース』という企画を立ち上げました。私が住んでいる調布市深大寺は、蕎麦やだるまで有名です。生徒たちや仲間たちと一緒にキャラクターの「だるチャン」とそのファミリーを生み出しました。「だるチャン」を使い、みんなでアイディアを出し合いながら、枠にとらわれない自由な自己表現を大人と子供とで形にしていこう、と考えて始めました。「だるチャンTシャツ」「ホームページ」「だるチャン新聞」「だるチャンストーンペイント」の制作、その他パン屋さんに「だるチャンパン」を提案したり、豆本を作ったり・・・など。また、秋まつりには「だるチャンロックソーラン」を地元の青年会と共に踊ろう、と企てています。


(4月に行ったイベント「だるチャンストーンペイント」の様子)

ちょっと、いやかなり刺激的な毎日です。まだ、よちよち歩きのホームページですが、ぜひのぞいてみてください。
(『だるチャンプロデュース』のキーワードで検索し、アクセスしてみてください。)

東京にお越しの際には是非深大寺に足を伸ばしてみてください。そして、「だるチャン」を見つけてください!!


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