〜着物と成人式の歴史〜

宮城学院女子大学国際文化学科 4

88315

石川 七恵

 

目次

 

◆ はじめに

 

◆T.成人式の成立

 

◆U.成人式の現状

 

◆V.成立から現代までの成人式の変遷

(a) 成人式に対する国民意識の変化

(b) 主催側(形態・自治体)の変化

 

◆W.戦後日本経済と成人式

 

◆X.着物と成人式

  

◆Y.伝統創造

 

◆ 考察

 

◆ おわりに

 

◆ 参考文献

 

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はじめに

平成11年仙台市の成人式のマナーの悪さが問題となり、全国から注目を浴びた。平成13年香川・高松市では新成人らが飲酒の上、挨拶する増田昌三市長に向けて至近距離からクラッカーを鳴らし、紙屑を投げ付けた問題は、告訴にまで発展、逮捕者も出たという。平成13年は、成人式の呆れた若者たちの姿が随分報道された。全国各地で参加者の非常識な行動が目立ち、新聞・テレビでも大きく報道され、驚き呆れるばかりだった。このように今成人式は見直さなければならない時にきている。

また2年前の成人式、その日私は初めて振袖というものを着る機会を得た。それまでの私は、まったくと言っていい程着物というものとは縁遠く、「着物」についての関心も殆どと言っていい程持っていなかった。その日、振袖を着ることになったのも、自ら着たいという願望があった訳でもなく、親の勧めと、成人式=着物という勝手な固定観念から、一生に一度くらいならということから着てみただけだった。

着物とは「日本人の民族衣装」である。しかし、今の着物は、はたしてそうであると言えるだろうか。冠婚葬祭の場における女性の正装の一つであるとは言えるだろうが、日本民族の普段着ではもはやないのも事実だ。多くの女性にとって、着物とは一生のうちに何回着るかわからないもの、自分で着ることもできない厄介で不便な衣装になってしまっているのではなかろうかという疑問にぶつかった。

そこでわたしは、昨年このゼミの授業を通して、宮城県・京都で染織家・呉服屋・問屋などの着物に携わる仕事の幾人かの方々に、調査に伺う機会を得た。調査方法は、主に聞き取り調査であった。その調査で、私はある人物の言葉に非常な関心を抱く事となった。それは、『着物は現在、通過儀礼服になってしまっている。宮参り・七五三・成人式といった決まった晴れの日にしか着る機会がない。しかしこのことは、戦後衰退していった着物の売上を伸ばす為に業界が作ったものである』と…。果たしてそれは事実なのであろうか…。その言葉の持つ意味を探りたくなったのである。

着物とは日本が世界に誇れる貴重な『日本文化』であるが、それが、現在では存続の危機に瀕していると言っても過言ではない。また成人式は通過儀礼の一つであるが、近年では、その成人式も本来の意味を失い、それにかけて参加者のマナーの悪さなどから問題になっており、必要ないのではないかという声が出ている。そこで私は、成人式の歴史として成立から現代までの推移・変遷を辿り、成人式と着物の関わり、また成人式の持つ問題点などを探し出し、私なりに考察していこうと思う。

 

 

T.成人式の成立

第二次世界大戦後、「自由と平和を求めてやまない日本国民は、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために、ここに国民こぞって祝い、感謝し、又は記念する日を定め、これを『国民の祝日』と名づける。」という意義の元、昭和23年、国民の祝日に関する法律が公布・施行された。

 国民の祝日として、115日に成人の日が制定され、この日は「大人になったことを自覚し、自ら生き抜こうとする青年を祝い励ます」とされている。ただし現在では、平成12年法律改正に伴い、1月第2月曜日を成人の日と定めている。

 1月15日は日本の各市町村で自治体などが主催の下、成人の祝いの催しとして成人式が行われ、地域によってその形態は異なるが、さまざまな催しが行われていると思われる。

 

U.成人式の現状

では、成人式とはどのようなものなのであろうか。どれくらいの市町村で実施されどのような催しが行われているのだろう。

現代の成人式の一つの例として、以下は、文部科学省、生涯学習政策局社会教育課よる平成12年度成人式の全国の開催状況や、主な取り組みなどについての調査結果である。

 

平成12年度『成人式』実施状況調査結果


平成12年度『成人式』実施状況調査結果

この調査は平成13年1月に、都道府県教育委員会を通じて平成12年度の全国の市町村における成人式の実施状況を調査したものである。

   成人式の開催状況について

 

         

対象となる新成人のいる市町村数

3,249

成人式を開催した市町村数

3,247

成人式を開催しなかった村数
(
新成人数がそれぞれ4名、1名と少数であったため。)

 

 

      

         

         

1月8日(成人の日)

1,402

43%

1月のその他の日

1,224

38%

8月

559

17%

それ以外の月

62

%

3,247

100%

   成人式の主催者について

      

         

         

備考(行政以外の例)

(1)市町村教育委員会単独

1,015

31%

 

(2)首長部局単独開催

496

15%

 

(3) (1)(2)の共催

1,205

37%

 

(4)行政と行政以外の共催

467

15%

新成人による実行委員会、青年団、婦人会、町会連合会、青少年健全育成委員会、公民館連合会、自治会連合会

(5)その他(行政以外)

64

%

新成人による実行委員会、青年団、小学校区自治振興会

3,247

100%

 

   成人式の主な行事内容について

         

         

         

   

3,081

95%

記念撮影

2,074

64%

アトラクション

1,344

41%

恩師を囲む会

474

15%

記念講演会

385

12%

記念植樹

173

5%

HP 平成12年度成人式実施状況

http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/13/04/010420.htmより

 

以上の結果からも分かるように、対象となる新成人のいる市町村では、ほぼすべての自治体で成人式が開催されていることが分かる。その行事内容については式典が多くみられるが、他にも地域により様々な内容がみられるようだ。また、開催日として法律で定められている成人の日に成人式を行う他、夏に開催する地域もあり、多種多様な形態がみられる。このことは後に詳しく述べることにする。

成人の日とは他の国民の休日に定められているものとは根本的に違いがあるように思う。例えば、成人の日以外で国民の休日として定められている5月5日の子どもの日を例に挙げてみると、この日を夏に祝う人はいないだろう。成人の日とは各自治体の都合により開催日が違うというように、他の国民の休日として定められている祝日とは違い、特殊性がみられるものと考える。

ではその成人の日に開催される成人式とは成立から現代までどのような変遷を辿ってきたのであろうか。

 

 

V.成立から現代までの成人式変遷

上の調査結果は、平成12年度のものである。よってここ最近の形態・実施状況であり、成人式成立当初のものではない。その為、成立から年を重ねる事に、成人式の実態も少しずつ変化しているのではないかと思われる。今問題になっている新成人のマナーの悪さなども成立当初からみられるものであったのだろうか。そこで私は、成人式について成立の昭和24年から現代までの変遷を、どのような催しが行われ、最近の成人式とはどのような違いがあるのかについて、主に『河北新報』の115日前後の記事と論説を中心に追ってみた。この調査は『河北新報』による為、主に仙台市成人式を中心にしたものであることを、まず断わっておく。そして成立から現在までの変遷を追っていくうちに、成人式のもつ問題点がいくつか浮かび上がってきた。それは、成人式に対する国民意識の変化、自治体など主催者側の変化などであった。以下、いくつかのテーマに絞り考察していこうと思う。

 

(a)成人式に対する国民意識の変化

 昭和24年1月16日の『読売新聞』記事によると、「国民の為の祝日であるべきはずなのに、初の成人の日は参加者のみならず社会全体があまりに無関心。この日の意識や内容などを知らない人々は二日続きの休日をただ行楽面に足をむけるだけ」とある。この記事からも分かるよう、設立当初は成人の日に対しての意識も、そして各自治体主催で行われている成人式の催しに対しての国民の意識も、殆どと言っていいほど無いものだったと思われる。また同じ日の記事に、主催者側である総理庁からの意見として「もともと成人の日は国民の祝日であり、この日を記念する行事も国民の間から盛り上がってきたものを政府が援助するのが本当なのに、この点政府を頼りすぎていると思う」という記事が掲載されており、国が国民の為に祝日に関する法律として作ったものの、当の国民の意識は、まったくもって薄いのが伺われるであろう。政府と国民の間に大きなズレが生じているのではないかと思わずにいられない結果である。

第3回目昭和26年の時点でも、この日がどういう意義をもつかについては、他の祝日に比べて一番知られていないと報じられている。国民の無関心さを嘆く記事は昭和29年まで続き、戦後の祝祭日はどうもピンとこないという苦情は最もであるが、制定後日が浅ければ「尾ひれ」がつかないのは当然という意見もあった。

メディア側の意見として『河北新報』社説によると、国民的に成人としての自覚が盛り上がっていない理由の一つは、今日の社会が青年男女の問題を真剣に考えていないことがまず指摘されるとある。そのころ20歳を迎えた男女は、満州事変の起こった前後に生を受けた。初等中等教育の大部分を世界戦争の嵐の中に送ったのであった。ということは生い立ちの大切な時期を軍国の調べを伴奏に、言論圧迫の下に送り、殺伐たる戦場の物語や、特攻隊精神を何らかの形で注ぎ込まれてきたのであった。しかもその間、学校からも社会からも適切な指導の手を差し伸べられなかった。一部の心得違いの為に、道徳の敗退も少年犯罪の増加もすべてその責任にされてきたことは、むしろ気の毒であったと言わねばならない。

しかし、昭和32年には中央で「成人の日」の意義が盛んに論議されている一方、各市町村ではこの行事が年毎に盛んになっていると報じられ、この頃から次第に国民の関心も高まりつつあるものに変わっていった。

成人式は、昭和33年には年を追って盛んになり、出席率もよくなって、始まった当時のような不自然な感じはなくなった。しかし、成人の日が国民に認識されるようになる一方、このところすっかり形式的になって心から成人を祝う純粋な気持ちが薄れたのではないかという声が挙げられ、新たな問題が生じたのである。

日本では、法律上二十歳を迎えると男女とも選挙権が与えられるようになる。この為、成人式という選挙権を新たに持つことになる若者が一堂に集まるこの日は、政治家や候補者にとっては格好の場であることに違いない。その為、票を稼ごうと、各地で成人式場と演説会場がかちあったり、候補者と新成人の群れがはち合わせするなどの風景も見られたようだ。この年の『河北新報』記事を読むと、「議員」や「長」のつく人々の平凡な祝辞挨拶の羅列が明るい気分をとかくぎくしゃくした形にゆがめてしまい、いつの間にか祝辞が「演説」にあいさつが「顔見せ」に変わって、青年たちを悩ませる風景が「成人式」はつまらないという意識を育てていると思われるとある。昭和42年1月16日『河北新報』には「黒い選挙運動」というタイトルの下、成人式で埼玉県市教委職員によって祝電披露。これに対して違反だと会場騒然とあり、選挙活動が成人式に影響を及ぼしていることが分かる。このことだけが原因のひとつではないだろうが、この様なことから、新成人の式典への興味を欠き、式には参加するものの式の本来の意味を見失い、昭和40年頃からは会場には入らず記念品だけもらって帰るチャッカリ組みも見受けられるようになったり、式典はそっちのけで会場の外で記念撮影に夢中になるなどの新成人の姿が多くなった。そしてそれは成人を祝う会ではなく、古い友人に久しぶりに会う為の、まるで同窓会の状況を作ってしまった結果となった。そして年を重ねる毎に成人式への参加態度が悪化し、現代の問題になっているマナーの悪さが多く見受けられるようになったのではないだろうか。

昭和48116日の『河北新報』記事には、男女との意識の差もあるようで、女性は着物姿でめかしにめかしこんで参加しているのに対し、男性は「成人式たってねえー、東京から帰った友人に会えるので出てきただけ。酒、たばこ解禁?いまさら。さっさと帰ってマージャンでもするだけさ」とシラけムードいっぱいとある。

私自身そうであったのと同様、式に参加する目的とは本来の意味とはかけ離れ、成人としての自覚を持ちその祝いを受ける目的で参加する者は殆どいなくなっていた。現代の問題になっている程マナーは悪くは無いが、昭和40年頃からすでに、今の様に式典はそっちのけで同窓会感覚で参加している新成人の状況がみられたことには驚いた。その参加者の式の意義に対する無関心さを改善させる為には、やはり式自体の見直し、主催者側の行事内容の改正など、参加者の意識の改革が必要とされる。それでは、その成人式を主催している自治体側などについては成立から現代までどのような変遷を辿っているのであろうか。

 

(b)主催側(形態・自治体)の変化

Uの2にある成人式の主催者についての表からも分かるよう、成人式の主催は市町村教育委員や首長部局など各市町村ごとの自治体が主体となり、開催されている。これは、成人式成立当初から同様だと思われ、成立当初も各市町村の公民館などが主体となっている。

昭和24年『読売新聞』の記事によると、初めての成人式が開催された日、主催者側である文部省のコメントとして「3日前に運営が決まったばかりでこの短時間では何の準備もできていない。又、国民の祝日に天下り行事と言われる恐れもあり、部内でも甲論乙ばくしゅんじゅんしていた観がないでもない。来年からもっと盛大なものにしたい。」とある。やはり、成立したばかりの年は形態も未熟なもので、物足りないものであったことが伺われる。

 しかし昭和31年においては各公民館が成人式を挙行、一方それとは別に趣向をかえて町内会や団体でもお祝いの会を開くなど、年毎の祝いの催しが盛んになっていったようである。映画館では入場料半額を挙行したり、また宮城県が昭和26年から始めた優良健康成人の表彰も、これに協力して日赤が昭和34年に始めた純血運動も健康手帳を交付するなどしてかなり好評を博していた。たとえば、石川県では昭和25年に成年者健康調査条例を施行、満20歳になった男女を結核・性病などに重点を置いて検診、成人の日に診断の結果を記入した成人手帳を手渡しているが、心のこもったプレゼントだと一般の評判もよく受診率も98%に達すほどのものだった。それに比べ、昭和35年の宮城県の受診率が1割前後と数は貧弱。徴兵検査を連想させるというので取りやめになっている。しかし農村などではこれに対してこんな時でなければ健康診断を受ける機会が少なく、石川県の条例が好評ということもあって、実質的なプレゼントとして最適ではないかという声も出た程であった。こんな機会でなければ健康診断を受ける機会がないとは、いかにまだこの時代が経済的にも満たされていないものであるのかということが実感できる。

また成人の日にちなんで将来の計画を立てさせ、青年の夢を助長しようとしている中小企業団体も多く、東京新宿区のめん業連合会など十数団体が「従業員育成会」といったものを作り、同じ店に6年以上勤務し、成人に達したもので自分の店を持ちたいと希望するものに退職金を贈って必要な独立資金を貸すことにしている、との記事も昭和35年1月14日『河北新報』によって掲載されていた。この様に、今からは考えられないような形態もあり、驚く部分も多々ある。この時代宮城県の場合は、成人式の行事はどちらかと言えば儀礼的なものが大半で、成人式など出ても出なくてもいいという声が聞かれないでもないだけに、実質的な心のこもったプレゼントへの切り替え時ができているようであった。

しかし、戦後の復興により経済的にも豊かになり始めると、健康診断というものもそれほどの価値あるものではなくなり、昭和41年の記事によると一時は大部分の市町村がくばった日赤発行の健康手帳が敬遠され、日赤県支部では「成人の意義」をどう受け取っているのかと首をかしげるむきもあったという。『河北新報』による記事調査においても、この頃から町内会や企業団体などによる地域としての催しも数少なくなっていったと思われ、地域による催しの記事の掲載が見えなくなった。実際私が成人式に参加した時は、市からお祝いとしてテレホンカードの贈与があったものの、それ以外に町内会での催しなどは一切なかった。現在では、仙台市クリスロード商店街の会員の間で新成人に対して食事会の催しが行われている様に、地域によっては行っているところも一部あるようだが、以前ほど数は無いものと思われる。

しかし戦後間もないこの時代には国民生活の回復は難しく、地域社会崩壊の兆しもみえ、地域の復興を求めていたのではないかと思われる。それ故、新成人に対する期待も『河北新報』社説によれば、以下の様地域社会と結びついたものであることが分かる。

昭和26年1月16日『河北新報』により、「如何に祝うべきか」と題して国民によるハガキ回答を求めた。その結果以下のような返答が返ってきた。

  文化行事を加え郷土文化推進者としての自覚を持たせる。

  形式は市町村民こぞって祝ってあげるものにし、ことに母親たちが温かく世話もつとめ自ら余興の一つも買って出る。

  郷土の産業・財政・歴史その他の調査資料はぜひ贈って郷土の認識を深める。

  この行事を形式的なものに終わらせず、地域の特殊性を加味した永続性あるものとし、市町村中心、各団体、会社などの積極的な後援を望みたい。

  講演会や各国名士の豊富な体験談の発表

  郷土出身の有識者や先輩の帰郷を求めて老若男女一堂に会して人生を語り合う。いわゆる郷土週間(オールド・ホーム・ウィーク)の催しを行う。

  村落の特集、一月の村報に成人になったものの部落・氏名・職業を掲載して祝意を表し、村民に周知させる。

  部落の祝賀会公民館主催で部落ごとに招待し茶話会を開く。成人の青年男女には特に余興を注文する。

 

『朝日新聞』昭和26年1月15日にも以下の様地域社会と関わりの持つ記事の掲載があった。「いわゆる一人前として、大人の仲間入りをするということは、法律上は成年に達して、公民権などのように社会を構成する一員としての権利が与えられる一方では、社会的な責任を負うことを忘れてはならないものである。権利はおのずから与えられるのであるから、社会に対する責任を自覚するということが『成人の日』を迎えた若い男女に求められる第一のことでなければならない。そこで社会に対する責任とは、余り大きな範囲で考えずに、自分の置かれている部落とか、村とか、町とか、あるいは学校とか、工場とか、会社とかそういう身の回りに近い共同社会のことを考えることが大切である。これを地域社会と言い換えてよかろう。そういう社会の一員としてなすべきことは、社会のためになること、積極的にその社会にプラスを加えるというこでなければならない。農村を守るべき男女の多くが都会に集まったとしたら、どういうことになるであろうか。協同社会にプラスに働くというのは、各人がその持ち場持ち場に従って責任をはたすことによって社会を立派に動かすことである。」

昭和41114日『河北新報』記事には、「農村地帯では成人式をあげる若者の数の減り方が目立ち年々寂しくなっている地域も少なくない。国勢調査の人口集計と同じ傾向を示して、とくに農村地帯で激減している。絶対量の減っているのは全国的な傾向だが、宮城県の場合は県外への若年労働力の流出が大きなウエートとなっているだけに問題視されている。」とあった。

この様に過疎化の問題は成人式の開催にも影響を及ぼす結果となっている。

昭和51年1月16日『河北新報』には、泉市の成人式は対象者830人だが、団地の若者の欠席が目立ち、出席は役450人。市長が「低成長の苦しい時こそ心の触れ合いが大切。勇気をもちふるさとづくりに立ち上がって欲しい」と励ます姿も見られた。

戦後の経済がまだ立ち直っていない時代、新成人に求めるものとは、以上からも分かるように、地域社会としての地域の中で、社会に対する責任などを担うことにあるようだ。

成人式という行事は、町づくりの一環として取り組み、地域の活性化と発展に役立てることを理想としていることがみうけられる。国民は地域の行事として地域社会に根ざしたものにしたいという思いがあるようだ。しかし、これまで見てきたように、国民意識の無さや会場でのマナーの悪さ、過疎化などを含め、参加率の低下によって成人式の地域活性化としての役割を充分果たすものとなっていない状況であると思われる。

それでは次に、問題となっている成人式への参加人数の割合から変遷を辿り考察してみようと思う。

    


W.戦後日本経済と成人式の関わり

 

仙台市成人式における

参加人数割合表

 

成人数

参加数

割合

昭和28

7500

350

5%

昭和30

8340

1800

22%

昭和31

8477

2500

29%

昭和32

8000

2500

31%

昭和33

8356

3000

36%

昭和34

7778

3000

39%

昭和36

8356

3000

36%

昭和38

8995

5500

61%

昭和40

10792

7000

65%

昭和41

8500

5000

59%

昭和42

12000

6500

54%

昭和44

14633

7000

48%

昭和47

11900

7000

59%

昭和54

11911

5000

42%

昭和56

12469

5800

47%

昭和59

13278

6500

49%

昭和60

13682

7700

56%

昭和62

12980

8000

62%

平成6

20659

12097

59%

平成7

20592

11412

55%

平成8

19415

10762

55%

平成9

19186

10621

55%

平成10

18206

9536

52%

平成11

17768

9500

53%

平成12

17260

9000

52%

平成13

16475

5500

33%

昭和28〜62年(19521987

は『河北新報』調べ。

平成613年は(19942001

仙台市役所調べ。

 

 

 

 

 

 

仙台市における成人式成立から現代までの式への参加人数割合は左の表の通りである。

調査方法は、新聞記事による成人数と参加数から割合を計算して出したものである。平成元年からは仙台市町村の合併により、把握困難の為データをとることができなかった。

平成2〜10年までは各区で成人式が実施されていた。それ以降は仙台市一つに統合し行われたという。 表からも分かるように、参加人数は昭和30年頃から上昇し始め昭和40年にはピークへ。しかしまた下降線をとり始める。昭和47年にまた上昇するが、54年を見るとまた低い割合になっている事が分かる。それ以降、昭和時代後半にかけてはまた上昇傾向を示している。平成の時代になってからは大きな変化はなく、参加人数の割合は50%以上を上回っている。平成13年に際しては大雪であり、天候不良の為、著しく割合が低くなったものと見られる。

このグラフの変化と戦後の日本経済とを関連してみることで、何かわからないかと調べてみた。その結果、国民経済の変化や国民生活水準の推移と深く関連していることが分かった。


第1のポイントとして、棒グラフからも分かるように、昭和28年から上昇傾向にあるが、昭和40年にピークを迎える。

戦後、成人式成立当初日本経済は暗闇の中にあり、成人の日の意味として、昭和29年『河北新報』記事によれば、日ごろ虫けら同様の生活をしているので、せめて一年に一度だけ人間に成る、そんなことかもしれないという意見もあったほど、まだこの時代の日本経済は落ち込んでいた。しかし、この年から国民の実質所得が戦前の水準に回復し始め、昭和31年に経済水準はようやく戦前のそれをこえつつあった。国民生活はゆとりから向上へと急速な変化を示し、33年には景気はしだいに上昇し、大量化社会の形成が促進された。昭和36年、国民所得倍増計画は、日本の経済力上昇をしだいに現実のものとし、国民はあらたな経済大国への道を自覚した。そして、昭和39年の東京オリンピックは日本の力の回復を示すこととなったのである。この年、東京オリンピックの影響で景気が高まり、デパート、ホテルの拡張がさかんとなり、家庭用ビデオテープレコーダーがいっせいに発売された。昭和41年には景気が立ち直り、ボーナスが至上最高となる。43年にはGNPがアメリカについで自由世界第2位となるほどまでになった。この東京オリンピックが大きな影響をもたらした為、日本経済は豊かとなりこの年の成人式の参加率の割合は一時的に上昇したと思われる。

さらに、第2のポイントとしては昭和38年から47年までほぼ50%以上を占め

ていた参加率が47年以降急激に落ち込んでしまったことである。

「1970年(昭和45)後半に景気は下降局面に入った。円切上げ等もあって不況は深刻化した。73年(昭和48)10月の第四次中東戦争を引き金として第一次石油危機が発生し、原油価格が一挙に4倍に引き上げられるとともに、供給量が削減されたため、『狂乱物価』状態が出現した。石油危機により世界の経済成長率は落ち込み、インフレが高進した。また、OPEC以外の各国で国際収支が悪化した。異常インフレを終息させるための厳しい引き締め措置と、石油消費国の国際収支赤字によるデフレ効果から、世界経済は極度に縮小した。日本も、74年度の経済成長率がマイナス0.2%と戦後初のマイナス成長を記録した。」

(『日本経済読本』東洋経済新報社 P15)

この為経済が悪化した影響により、参加率が減少したものと推測される。

 

第3のポイント、それは昭和60年以降から参加率が50%以上をキープしていることである。

「日本では1986年(昭和61)以降の土地や株が高騰した時期があった。この時期をバブル経済と呼ぶ。この頃から超大型景気時代に突入。この大型景気では、円高に支えられた資金力による設備投資が旺盛であり、また、いわゆる『カネ余り』が株・債券、土地の資産価格の高騰を生み出してバブル景気を形成した。」 

(『現代用語の基礎知識』2000「超大型景気」索引)

参加人数がまた上昇し、割合が半数以上もキープしていることはこれに関係があると思われる。

では、なぜ、日本経済や国民生活水準の推移と成人式の参加人数の割合の推移がこのように一致するかというと、それは着物と成人式に関係があるようである。

着物とは高級な衣服である。値段に幅はあるが、戦後間もない時代には、誰でも簡単に手に入れることができるものではなかった。成人式はいつの日からか女性は着物で参加することが当たり前の様になり、着物コンクールのようになってしまった。その為、貧乏な家では着物を着ることができない為、成人式に参加することも出来なかった。よって景気が良くなり、国民生活水準が上昇すると、金回りが良くなり着物を娘に買い与えることも出来て、参加率も良くなるという訳である。着物と成人式の関係については後で詳しく述べることにしよう。

しかし、意外な例も見える。1990年から続く複合不況である。「バブル崩壊不況」ともいう。

90年(平成2)以降、地価・株価は急落してバブルは崩壊した。不況要因のひとつは、実物経済の面での過剰生産と、その過剰生産をもたらした過剰設備の存在である。株や建物や土地などの資産の価格が異常に高くなったのを修正し調整するのが、バブルの崩壊である。こうしたバブルの形成と崩壊は、国際的な金融自由化の結果として生じたもので、それをコントロールすることは一国の政策だけではきわめて困難であり、在来型の景気政策だけでは有効ではないとする。」

(『現代用語の基礎知識』2000「複合不況」索引)

この様にバブル崩壊後日本経済は不況に陥った。しかし、これまで見てきた様に戦後の日本経済と成人式の参加率の割合は比例しているのに対し、平成に入ってからはこのバブル崩壊の不況のあおりをうけている節は見られないのである。平成の時代は不況の反応がないのは何故なのだろうか。

それは平成不況というものに特徴があるものだと思われる。平成の時代はものが有り余る世の中となり、お金があったとしても、ものを買わない人が増えた。ものを買わなくとも生活に支障をきたさなくなったのだ。このように成熟時代になると、市民のお金を使う優先順位が変わってくる。もの離れが激しくなる中、物を売るより、楽しみや喜びを売るエンターテーメントの方にお金を払う人が増えたのだろう。不況だからといって、どこも嘆いているわけではなく『勝ち組』『負け組』とはっきり分かれていると思う。女性、子供、家庭の消費欲はとどまることを知らず、『不況だ不況だ』と騒がれていてもゴールデンウイークの時期になれば海外旅行へ行く人の波は後を絶たず、毎年ニュースで放送される。平成14年、今年のお正月は昨年のアメリカ同時多発テロの影響で、海外旅行への不安から海外への脱出者の数は減少したようだが、その反面一個何万円もするおせち料理のお弁当が爆発的に売れ、予約でいっぱいになっているというニュースには驚かずにはいられない。

また、女性のブランドを求める意欲もとどまる事をしらない。最近日本の若い女性の間でも大人気のブランド、LOUIS VUITTON(ルイビトン)は平成13年には同社の全売上の3分の1を日本が占めるという現状は本当に不況なのかと疑ってしまうところもある。

このように、日本経済は不況の中にあり、失業率も高くなる一方、平成不況のちょっと変わった特徴から特定のものへの消費は減少することなく、それが成人式の着物にも当てはまるものと思われる。また、最近では振袖を成人式の為にレンタルできるお店も増え、着物を買わなくても買うよりも安い値段で借りられることから、戦後の成人の日成立当初の様に、着物が着られない為に、成人式に出られないという人は殆どいなくなったものと思われる。では、着物と成人式の関わりについても『河北新報』記事により成人式の成立当初から現代までの流れを追ってみたいと思う。

  

X.着物と成人式

「むかし、元服の時代から服飾を改めることによって成年の表示とする儀礼があり、冠をかぶり、烏帽子をつけ、前髪を落とし、褌をつけるとか、着物を改めることなどがある。服装も大人のものをつけるといった形が普通であった。成年式を機会に着物を改める形には、着物の袖や袂の形を変えたり、肩揚げをおろすことが行われている。新しい形の着物をつけるということは、当人が、新しい階梯に移行したことを表示する一つの方法であった。」

(『日本を知る事典』社会思想社 P14)

 

この様に古くから成人式には着物を改めるという風習があったようである。元服の時代、多くの人が普段着として着物を着ていただろうと思われるこの時代にも、着物の着方を替え、成人したことを服装や髪型で表したということから、成人式における服飾の重要性が伺われる。戦後成立された成人式も、成立当初から女性は着物で参加する姿が多く見受けられたようだ。しかし、『河北新報』記事によれば、成人式の成立から昭和30年頃までは、着物で参加する女性の他、洋服で参加する人もまた多く見受けられたようで、記事に掲載されている写真を見る限りでは、洋服姿の参加者の姿も見受けられる。しかし昭和31年には、気仙沼市の会場では女性のほとんどが和服。白石会場は元服ならぬニュールック果てはママさんもいて、色とりどりだったと報じた。

昭和33年には、式場はまるで晴れ着コンクールみたいだと報じられ、この時代から、成人式=和服というイメージが焼きついてきたものだろう。岩手県宮古市藤沢町で「今年の成人式には普段着で出席しましょう」と呼びかけ。岩手県室根村のようにそろいのうわっぱりを作ったところもあらわれる有様。洋服や着物を新調できない層はつい二の足を踏む。せっかく良くなった出席率がまた下降線をたどる例も多くたまりかねた結果とあった。

また、昭和38年の記事では、晴れ着多数の傾向は特に農村の女の子間で酷いようであり、成人式に出る娘さんたちがめっきり減って、着物は新調の訪問着でなければいけない、髪も日本髪でと母親は困らせられる。それが出来ない家では「じゃ、出ないわ」と娘はふくれてしまうので、娘の出席は満船飾の場合に限られてしまっているというのである。

昭和40年男性の和服姿も見え、女子は9割以上が晴れ着であったという。昭和42年、女性は去年より一段とデラックスになった感じというのが関係者の評。

昭和47年には成人の日に式を挙げるのではなく、夏に成人式を挙げる市町村も出てくる始末だ。昭和49年、成人の日の15日に式をあげる市町村は年々減っており、この日実施したのは東北6406市町村のうち147市町村で全体の3分の1だけだったと報道された。夏への移行理由には「お盆帰省で式への参加率が高い」「冬は積雪などで交通条件が悪い」「服装の簡素化」などが挙げられると思われる。

その服装の簡素化をただ呼びかけるのではなく、実際に行動に出た市があった。仙台市名取市では、晴れ着コンクール状態を改善させようと、昭和55年1月16日の河北新報に「全員が普段着で」簡素化運動すっかり定着と題し、以下のような記事があった。

『成人式は普段着で』48年から続いている名取市の成人式簡素化運動がすっかり定着し、ことしの成人式にも和服姿は一人も見られなかった。出席率は70%とよく会場の椅子に座りきれず、立ち通しの新成人もいた。簡素化運動が始まる前、名取市でも女性の和服コンクールが年ごとに派手になり、翌年成人を迎える娘を持つ親が本番に着せる着物について心配して下見にくるという。それに和服の場合、髪結いなどで前夜から準備も忙しく、式に出席するまでに疲れきってしまう娘さんが出たり、送り迎えの車で大混雑した。簡素化運動の初期には、2割ぐらいの和服姿もみられたが、3年ほど前から100%和服排除となった。この日出席した女性に聞くと、『朝ゆっくり起きれば間にあうし、家に帰って着替える手間もかからない』と普段着の成人式を歓迎していた。しかし、ほとんどの女性が和服は持っており、親の出費軽減には結びついていないようだ。さらに、普段着と言っても趣向を凝らしたドレス姿が見かけられ、それなりに金はかかっている。」

この記事を読む限りでは、着物の晴れ着コンクール状態の改善の為に行ったこの簡素化運動は成功を呼び、参加率が上がったものであるとのことである。

しかし10年後の昭和58年月16日の『河北新報』に、ひところ高まった簡素化運動もすっかり忘れ去られた感じだったと報じられ、簡素化運動の高まりはわずか10年の間に消えてしまった。その理由は日本経済の変化にあるだろう。昭和56年の『河北新報』には、「不況どこ吹く風邪」と題し、高度経済成長の時代に育った、恵まれた世代の新成人を物語るよう、各会場では女性の晴れ着姿が目立ったとある。前にも述べたが、簡素化運動が高まった理由は、着物の晴れ着コンクール状態にある。成人式とは本来成人になったことを祝い、新成人が社会に対する責任を自覚する日なのに対して、その意味を失い同窓会気分でお洒落を競い合う様な集まりになってしまった結果、着物を着る事が出来ない人が参加できないという状況に陥った。その状況を改善させるべく、簡素化運動と題し、新成人を迎える誰もが当たり前に参加できることを目的に行われたわけだが、戦後の経済復興の確立で、着物を買ったりレンタルしたりすることが難しいことではなくなった時代になった為、もうそのことは問題ではなくなった。よって簡素化運動を行う必要性もなくなったものだと思われる。

昭和59年1月14日『河北新報』によれば、「 『成人の日=振袖姿』 の図式はまだまだ健在。振袖にご執心なのは本人よりむしろ親の方とか。近年、成人式への出席率がよくなっており、十年ほど前まではせいぜい40%だったのが、最近は50%〜60%と出席率は向上中。ここ2,3年は男性の和装化も進んでいるようだ。普段着ることのない和服をこの機会にということなのだろう。本人より親の方が熱心な場合もあって、『買ってあげるから』『いらないわ』という会話をたまに耳にすることも。振袖を買ってくれるならその分を現金でもらって海外旅行をしたいなんていう現代っ子も少なくないらしい。『親が拝み倒し、なだめすかして晴れ着を着せ、連れてくるケースもありますね。本人はふくれっ面です』と仙台市内の写真スタジオでも話している。貸し衣装店も大繁盛。仙台市内でのある店では用意した成人式用振袖はほとんど予約済み」という状況にあるということだ。

 

これまでみてきたように、成人式と着物は深く結びついており、着物が原因で成人式への参加人数の割合が低下するなど、大きな影響を及ぼしてきたわけである。しかし、着物が衰退していっていると言われる中、成人式に着物姿で参加する女性の割合は年々増えるということは、着物を扱っている呉服屋にとってそれはとても喜ばしいことに違いない。おそらく、一年のうちで成人の日が近づくにつれて一番売上があがるものではないかと予測され、成人式が着物を伝統として存続させる為の重要なものになっているに違いないと思われる。

そこで私は仙台市のある呉服屋に『成人式と着物』をテーマにいくつかの質問をしてみた。以下はその調査結果についてである。

 

(調査概要)

西村呉服店 聞き取り調査

平成13年12月15日西村呉服店代表取締役 西村艶子さんに聞き取り調査を実施。

宮城県仙台市の商店街クリスロードにある市内でも有名な呉服店である。西村の歴史としては、大正1年居酒屋から呉服屋へ転身、先代・昭和32年仙台現在地に開店、当代・昭和57年西村艶子取り締まり役社長に就任。現在では、娘さんが社長となり、引き継いでいる。

 ここは女性社長、そして女性8人、男性1人の従業員で構成されている呉服屋である。女性が多いのが特徴である。

着物の売上がマイナスにあるこの時代に呉服屋にとって一番売上の高い時期は成人式の時期ではないかという想像から、一年のうち着物の売上が高いのはいつなのかと質問を投げかけてみたのだが、ここ西村にとってはそんなに変わらないという返答が返ってきた。成人式の成立から現代にかけての売上推移としては、残念ながらデータがないのでは分からなかった。

バブルの頃はやはり売れたという。しかし西村ではブームにのっとって商いをやってないので変化はあまりないと思われるとのこと。

現在、町内会では成人の祝いの催しをやっているようなところはあるかという問いには、ここクリスロード商店街では、商店街の会員の成人を迎えた者に対してホテルでのお食事会を開いてお祝いしているという。西村さんは次のようにも話してくれた。しかし、今の人たちは町内会で何かお祝い事をやっても来ないのではないかと。お年よりで、米寿などを迎えた人に対しては町内会などで催しをしてあげるととても喜んでくれるが、若い人はそういうことをしても喜んでくれないと思う。町内会費をその為に出すのは遠慮させてもらいたいということだ。

次に昭和40年頃、成人式は晴れ着コンクールの様だと新聞記事では言われているが、そのことについてはどう感じるかと尋ねたところ、「本当にそう思う。着物=豪華物という意識から親の着物というものに対する憧れが強く、その時代は景気が良くなってきていたので、自分の子どもに着させたいと思う気持ちが強くあったと思われる。一人で2、3単買う人も多かった。」とのこたえ。

西村さん自身は、成人式には友人には着物を着させ送り出したが、自分は参加しなかったらしい。その理由は、ただ騒ぎに行くような成人式には興味がなかったから。同窓会なら別の機会にやればいいと言う。

呉服屋として成人式が無くなったら困るかという質問を投げかけてみた。しかし、意外なこたえが返ってきた。「困らない。止めたらいいと思う。今はレンタルで振袖を貸しているお店もあるが、西村ではレンタルはやらない。振袖というものは、式に出席する時に着る為に作る(レンタルする)のではなく、成人した証に作るもの。そういう呉服屋を目指している。だから成人式の為の市の予算が勿体無い。その分、お土産選挙をしたらよいのでは。新成人が選挙に投票しにきた時に、おみやげとして金券や商品券をあげる。そうすれば、新成人の投票率も上がるのではないか。成人式をやるよりも、そういうことに市の予算を使った方が良いと思う。」

振袖を買いに来る人は、本人が着たいと思って買いに来るよりも、親、特におばあちゃんが買ってあげたいと思って来る人が多いと言う。本人が欲しいと思って買いに来る人もいるが、少数。着物は作るとなると高いもの。本人では親の協力がなければ買えないからというのがあるからだとも思われる。本人が着物を着たいと思い、親がサポートしてくれるのが理想的と考えているようだ。

では、成人式に売上をあげる為に何か戦略はしているのだろうか。西村ではまったくしていない。ただ売上はつねに上げたいとは思っている。ただ連休5月に振袖展と浴衣展は開いている。それは着物に対する認識をもってもらいたいということかららしい。

 西村艶子さんには娘さんがいる。長女が次にこの呉服店を引き継いでいる。そこで、そこに居合わせた娘さんにも、成人式が無くなったら困るかと尋ねたところ、そのこたえは艶子さんと一緒だった。やはり西村では成人式がなくなっても困らないと思う。成人式に振袖を売ろうとういうことはあまり考えていない。普通の呉服屋は成人式がなくなったら困るというだろう。それは着物の良さではなく、ただ売りたいと思っているだけだから。さらに、娘さんも成人式には出席していないと言う。興味がなかったのが理由とか。「式に振袖を着てわざわざ行くのはおかしいと思う。かえって大変。振袖は他の機会に着ることができる。」と。これは呉服店の娘ならではのこたえとも言えよう。

 

調査結果として、呉服屋である西村さんの口から、成人式は無くなっても困らないましてや止めたらいいと思うという回答だったのは意外であった。

昨年、着物の調査として仙台・京都で着物に携わる仕事である呉服屋・染織家・問屋の方々に調査を行った。その結果分かったことは、本当に着物が好きでこの仕事に携わり商売している人は、あえて伝統として着物を残そうと考えていないこと。伝統として残そうとするが故、着物を売ろうという儲け主義にばかり走っては、かえって伝統として続かなくなってしまうものであると話してくれた。着物をたくさんの人に着てもらいたい、着物の良さを理解してもらいたいという気持ちは多くあっても、だからと言って着物を商売の道具としては考えていないようである。西村さんもこのタイプであり、特殊な例であると考える。

西村さんに見られるような特殊な呉服店を除いては、成人式という通過儀礼は着物の売上上昇の為にはとても貴重なものであると思う。

この成人式が着物の衰退に大きな波留をかけるものであることは確かである。成人式が無かったら、今の時代、特に若い者にとっては着物を着る機会などまったくないものになるだろう。着物を伝統として続けていくことは簡単なことではない。着物は物を介在して昔を語れる数少ない重要物だ。お祖母さんやお母さんから受け継がれて次々と次の世代に継いでいくことができるという素晴らしい特徴を持っている。着物は日本が世界に誇れる貴重な伝統文化である。それ故、衰退していくのは寂しいものだと、それまで着物に関心のなかった私がこの調査によって感じるようになった。それ故、私個人の意見として成人式という一生に一度着物を着る機会があってもいいのではないかと思う。着物の良さを分からず、着物はただ窮屈で、着ることも難しい厄介なものであるだけだという固定観念を持つ現代の若者に、成人式は着物と触れ合う為の大きなチャンスと言えよう。

成人式が、着物に接する機会となることで、少しでも着物の良さを理解できる人が増えれば、それは喜ばしいことであろう。

 

 

 

 

Y.伝統創造

 

現代では、満20歳で成人式が挙行される。成人式たるものを昔に求めれば、武家時代の元服式がそれにあたるだろう。かつては男子が15歳、女子が13歳頃をもって元服という子どもから大人への転換点に行われる通過儀礼があった。

前近代には、若者組というものへの加入儀式があり、村落別に組織された青年男子の年齢集団に一五歳頃から結婚するまで加入し、村落の警備や祭礼などに若い衆頭の統率のもとに活躍した。この若者組加入儀式を経ることによって労働・行政・婚姻の各面で原則的には一人前の村人として認められた。第二次世界大戦後に制定された国民の祝日としての成人式も、以上のような古くからの伝統を継ぐものとして構想されたであろう。たしかにこの日を境におとなの仲間入りができるという意味では昔も今も相通ずるものがある。しかし、昔の儀式形態やこれを機に与えられる実質的な待遇は、今の成人式とはまったくと言っていい程違いがあることが分かった。

昔の元服時代の成人式とは、家や公、地域社会と密着したものである。それは性別、階層、身分、職業集団によって多種多様な形態を持つが民間儀礼の一つであり、これまでみてきたように若者組という村に関わる様々な仕事をすることが強いられるものである。しかし、現代の成人式は家、公、地域社会との関わりは薄く、成人を迎える者は選挙権が与えられ、酒・たばこが許され、また法律的な責任を課せられるというものでしかない。この様に、その形態と意義が大きく変わり、従来のものとは全く違うものとなった。

むかしに至るその元服などという成人儀礼を戦後日本国家は国民の祝日として成人の日を設け、一つの画一的な儀礼に組替えたといえるだろう。つまり『伝統創造』である。

『伝統』とは長い年月を経てものと思われ、そう言われているものであるが、その実往々にしてごく最近成立したり、また時には捏造されたりしたものもある。『創り出された伝統』とは、意味するところ一つには、実際に創りだされ、構築され、形式的に制度化された『伝統』であり、さらには、容易に辿ることはできないが、日付を特定できるほどの短期間、おそらく数年間に生まれ、急速に確立された『伝統』を指す。通常、顕在と潜在とを問わず容認された規則によって統括される一連の慣習であり、反復によってある特定の行為の価値や規範を教え込もうとし、必然的に過去からの連続性を暗示する一連の儀礼的ないし象徴的特質。事実、伝統とういうものは常に歴史的につじつまのあう顔と連続性を築こうとするものである。『創りだされた』伝統の特殊性とは、歴史的な過去との連続性がおおかた架空のものだということである。つまり、そうした伝統とは、新しい状況に直面した際古い状況に言及する形をとるか、あるいは半ば義務的な反復によって過去を築きあげるかといった対応のことなのである。」(『伝統は創り出される』P9.10)

まさしく現代の成人式はこれに当たるものと思われる。

 

 

考察

これまで成人式について様々な角度から考察してきたが、成人式とは、つまり、式の催しは各自治体が主催で行うものの、国家行事であり、伝統創造であることが分かった。

Vでも触れたが、昭和24年の『読売新聞』にも見られたように、それは初めから「天下り行事と言われる」など予測されるものであり、成立当初から戸惑い・模索が見られ、国民意識は薄く、関心は得られなかった。成立当初から国民生活に根ざしたものではない行事であることが分かった。そもそも始めから国民の成人式に対する本来の意義の認識があったのかと疑わずにいられない。その成人式において新成人の参加率の低さ、形態の悪さ、地域社会の崩壊、着物コンクール状態などの影響も関わり、常にその存在意義が論議され、解決されぬまま現在まで至ってしまったものである。意義が明確ではないうちに参加人数が多くなり、その為、現代の同窓会行事とされてしまってもおかしくないのである。現代では必要性と意義が明確に認識されておらず、必要性と意義を創り出そうとしても、それを支える社会的基盤が弱い為に、この成人儀式は簡単に崩れてきている現状であるのではないかと思う。

成人式とは、衰退してきた着物を復活させるべく、呉服屋がつくったものではないことは明らかになった。しかし、成人式の存在が、若者に着られなくなった着物を着る機会を与えている重要なものであることには違いがない。西村呉服店の様に、純に着物を伝えたいと考えている店は別だが、儲け主義に走る呉服店にとっては成人式は売上上昇させる為の非常に貴重な存在であると思う。

「成人式は、今やまったく七五三と同じになっているのではあるまいか。お宮参りこそしないにしてもよくぞここまで育ってくれたとばかり、背広姿や振袖姿の息子や娘とともに記念写真に納まっている親の数は案外多いのかもしれぬ。本来は、共同体の一員となりその責任を果たす義務を負わされる、あるいは負うことを誓う「社会的契約」の行事であったものが、親の保護の下に、親サイドで、親の感慨の自己満足の表現として行われるようになった。そして本人たちはこの茫漠とした無責任体制のなかで『成人式ってシラケルネ』とつぶやく次第なのである。」

(『河北新報』昭和52115日より)

この様にこの儀式はすでに形骸化してしまっているという結論に辿りつくだろう。

 

おわりに

平成14年1月14日。たまたま今日は成人の日である。日本の全国各地では、成人式が行われ、そして私が丁度この論文を書いている今、テレビでは今年もまた昨年同様、新成人のマナーの悪さが取り上げられ、逮捕者が出たというニュースが放送されている。相変わらずこの様なニュースが今年も出たことはとても嘆かわしく思わずにはいられない。

『朝日新聞』の世論調査によると、「成人式は不要」と考えている人が、「必要」と考えている人を上回っているようだ。確かに形骸化してしまった今日、成人としての義務と権利を認識するという成人式の持つ本来の意味を失ってしまい、逮捕者が出るような問題になっている現状を思えば、廃止されてもしかたないのかもしれない。税金の無駄使いだと嘆く人もある。しかしだからと言え、戦後成立されたこの国の通過儀礼の一つを簡単になくしてもいいものだろうか。

現代、学生はまだ学窓にあって、一人前のような年になりながら、働きも、その他のことも、一人としての力を発揮できない。学生それ自体は、年こそ成人であっても、一人前の人間としての資格を幾つも内実において欠いていると思われる。現代は仕事を持っても経済的に独立できる青年は多くないし、職業も望み通りに選べず、学生はスネカジリ扱いされる。前近代において、かつては人生の通過儀礼として必要以上に苦しさを与えており、これに耐える中で自らを鍛錬させた上で自律・自己鍛錬・自己修養させる機会となっていた。成人の意義というものが昔と今とでは大きな違いがあるとは思われるが、学生の身分とは言え、いかに私が成人としての自覚が薄く、その意義について無関心であったかを改めて感じさせられた。現代の若者はもっと成人としての義務と権利について一人一人が深く考える必要性があるだろうと思う。

今日、その存続の為、各自治体では工夫の凝らした催しが数多くみられるようになった。新成人が主体となり、開催内容を計画しているところも少なくない。また、新成人式研究会と名打って「21世紀を担う人づくり、まちづくり」に相応しい成人式の創造を目指すとともに、併せて生涯教育のあり方を考える成人式の全国情報センターも設立された。設立発起人は、北野大淑徳大学教授ら16名が参加し、@全国の成人式実施調査・研究、新しい成人式のあり方の提言、A優秀な成人式を表彰する「成人式大賞」の創設と実施、B新しい成人式のあり方にかんするフォーラム等の開催、C成人教育・社会教育・社会教育の生涯教育のあり方の研究と提言、を事業の展開として据えている。この様に、今、新たなる成人式の創造を余儀なくされている。

今、新成人のマナーの悪さによって、マスコミでも成人式が多数取り上げられ問題とされているが、それは成人のあり方について考え、本来の成人式の意義について再確認する為の良い機会になっているのではないはないかと思う。これを機会に新たなる成人式を確立し、これからの未来に日本の伝統文化の一つとして長く地域に根ざした行事となれば良いと思う。

また、衰退していると言われる着物を普段頻繁に着ることは難しいと思うが、冠婚葬祭や通過儀礼の時など着る機会さえあれば、すすんで袖を通してみたい。物を介在して昔を語れる数少ない重要物である着物だけに、祖母や母から受け継いだ着物を成人の日に身につけ、一人前として成長したことを親に感謝し、式に参加できたら、それはなんて素敵なことなのだろう。今日にでも家に帰ったら、私の母親がタンスの奥に閉まっている着物を出してもらい、祖母から受け継いだその着物で、祖母についての懐かしい話でも聞かせて貰おうかと思う。何十年後か、自分が母親になり、子供が成人を迎える時には、着物を通して私の母の話を娘に話してあげられたらなと思う。そして、成人式という儀式において、みんなが成人の義務と権利についての自覚をもち、本来の意義を見出される日がくることを強く願う。

 最後に、この論文を書くにあたってお世話になった西村呉服店・西村艶子さん、一昨年の調査による稲妻さん、渡辺さん、笠原さん、京都の橋詰さん、西陣織会館、織成館の皆様、和光、日産、そして紫織庵・川崎さんに心から御礼を申し上げます。そして、指導教授であるモリス先生ありがとうございました。

 

参考文献

  河北新報 昭和24年〜59年 

  読売新聞 昭和24年

  朝日新聞 昭和26年

・『HP 平成12年度成人式実施状況』文部科学省 生涯学習政策http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/13/04/010420.htm

・『日本経済読本』金森久雄 東経済新報社 2001年

・『現代用語の基礎知識』自由国民社 2000年度版

  『日本を知る辞典』社会思想社 1980

  HP 新成人式研究会』http://www.seijinshiki.org/index.html

  『昭和の歴史』別巻昭和の世相 小学館 原田勝正

  『創られた伝統 』 E・ホブズボウム, T・レンジャー編 
           前川啓治, 梶原景昭他訳  東京 : 紀伊國屋書店 1992年