オーストラリア研究

私はオーストラリア出身であり、1989年から1999年まで、宮城学院でオーストラリア関係の授業をも担当することになりました。自分が納得できるオーストラリア入門の教材が見つからなかったために、自分で書き始めてみたのが自分の「オーストラリア研究」ですが、大学の改組によりオーストラリアの授業を担当しなくなったため、このテーマについてこれ以上論文を書くことはないかと思います。

オーストラリア研究と言っても、その中身は、先住民族「アボリジニ」に対する政策の遷り変わりを検討したものです。執筆を思い至った当時、日本語の研究書における入植者・先住民関係についての記述の大部分は、やや乱暴に言えば、入植開始から20世紀までの政策基調を「絶滅」と決め付けていました。私は、この捉え方を非常に疑問に思いました。入植者がイギリスからオーストラリアに渡来した1788年以来、絶滅政策を採り続けてきたと言われても仕方がないのは、その通りであります。しかし、結果として入植が先住民に非常に「悪い」結果をもたらしたとしても、政府やすべての入植者がそれを意図したかどうかは、疑問です。別の言い方をすれば、入植者がもっと良心的であれば違った結果がえられたのでしょうか。答えは「否」だと思います。また、世界中どこを探しても、公然と非人道的な政策を採る政府はあるのでしょうか。政策を見る場合には、その結果だけではなく、政策の意図したものと得られた結果の間にズレや矛盾が生じた場合になぜそうなったかを理解するのが歴史の課題であると考えます。

私の理解では、オーストラリアにおける先住民政策は、良心的な人たちが全智恵を傾けて、先住民アボリジニを救おうとした結果、アボリジニを絶滅の危機に追い込む結果となりました。しかも、アボリジニの現在を理解する上で重要な問題は、アボリジニの社会と文化をもっと徹底的に破壊したのが、初期の暴力的虐殺以上に、20世紀になってから近代国家が持ち出した管理政策だったと考えます。現在のアボリジニが抱えているいろいろの深刻な問題は、200年前の「過去」の出来事ではなく、最近の政策がもたらした問題だという認識が必要であります。

さらに、日本がこれから「国際化」していき、他の民族・地域・国の人たちとのかかわりが深まる中で、オーストラリアにおける先住民政策の歴史に重要な教訓が含まれているのではないと思います。善意さえあれば、深刻な民族対立や差別問題を回避できるだろうという考え方は甘い。異民族・異文化理解には、自分の価値観をしっかりともつ必要がある反面、相手の価値観やニーズを自分の価値観だけではかって、自分の判断だけで対応を決めた場合には、思わぬ結果を招く危険があることをオーストラリアの歴史は、教えてくれるのではないでしょうか。「国際化」には、相手と対等の立場での真剣な話合いが不可欠です。

私のオーストラリア研究の論文には、次のものがあります。

「善意の破綻 一九世紀前半オーストラリアにおけるアボリジニ政策」(宮城学院女子大学キリスト教文化研究所『研究年報 民族と宗教』1995

「悲劇への道程 一七八八年から一八三四年までのオーストラリア・アボリジニ政策」(宮城学院女子大学『研究論文集』83号、宮城学院女子大学文化学会、1996年)

「無策の功績 一九世紀後半オーストラリアにおけるアボリジニ政策と新しい「アボリジニ」の芽生え」((宮城学院女子大学『研究論文集』84号、宮城学院女子大学文化学会、1996年)

豪日交流基金図書館のお取り計らいにより、これら上記の論文を、PDFファイルとして基金図書室のサイトでご覧になれます。どうぞ、ご利用ください。

 

ホームページに戻る